記事タイトルを見ただけで、「ねーよw」とニヤニヤしている全国1000万人(当社比)の『明日のナージャ』ファンのみなさん、おはようございます、相羽です。
 『フレッシュプリキュア!』で爆発している少女アニメダンスの起源はS☆Sの「ガンバランスdeダンス」じゃないの、私、もっと前に一人で踊り続けていたわ、という可憐な少女の叫びを、今日は徹底解説だ!(なんだろうこのノリは)
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 『明日のナージャ』は人情もの少女アニメ作品に偽装した、バトル作品です。根源的な「闘争」を描いているという点で、『おジャ魔女どれみ』よりは『グラップラー刃牙』に近いです。

 『刃牙』でも「本当の強さとは、本当の力とは何なのか?」というのがある種哲学的なまでに突き詰められていますが、ぶっちゃけナージャもそんな感じです。

 まず出てくる強さ、力の根源として描かれるのは、暴力です。もっと漫画・アニメっぽく、戦闘力と言ってもいいです。ジャンプ漫画で描かれるバトルが基本的に戦闘力の競い合いな点からも、わりとメジャーに「強さ」として理解されている能力です。

 なんですが、現実的に考えた場合、戦闘能力だけで勝負に出たとしても、実社会では勝ちきれないことが多い。ヒクソン・グレイシーばりに強くても、社会の方を敵に回して例えば1万人の軍隊を敵に回したら、現実問題体力残量的に勝てるはずがない。無双シリーズは、残念ながらゲームだからこそアリな側面が大きいです。

 この辺りの、暴力、戦闘力による強さの限界をナージャで担っていたのが、団長やケンノスケ辺りです。ケンノスケは何しろ侍なので、基本戦闘力は強いです。強いんですが、それでもラスボス(後述)を前にナージャを守るのには、ほとんど役に立てなかった。何故なら、ラスボスは社会システムの方を味方につけていたから。『るろうに剣心』で剣心は剣一本でもこの瞳にとまる人々くらいなら何とか守れるでござると言ったけれど、『るろうに』作中ルールでは何とかなっても、『ナージャ』作中ルールでは何とかならなかった。無駄に、ナージャルールは厳しい。少女アニメだけど、ナージャルールは厳しい(二度言った!)。この「戦闘能力が決定要因にはならない」というのはケンノスケよりも強い団長にも当てはまります。団長がナージャに贈れたのは、決定的な部分では「勇気」だけだった。

 という訳で、戦闘能力だけでは勝てない。そこで出てくる次なる強さが、「お金」です。ビバ資本力! 資本主義社会においてこの力は強力。ヒクソン・グレイシー並の戦闘力がなくても、1万人の軍隊を組織できる「お金」があるなら、そっちの方が強い。

 この辺りの強さを担っていたのが、ナージャではフランシス・ハーコートです。ナージャの憧れの王子様にして、お金持ちのボンボン様です。後半、ナージャ絶体絶命のピンチにフランシスと再会するシーンは希望が膨れあがります。これで、絶体絶命だけど、資金力でラスボス(後述)を倒せるかもしれない!

 しかし、この第二の力、「お金」の限界もが描かれるのがナージャクオリティー。フランシスのお金の力は、結局の所ラスボスに対して決定的な効果は発揮できませんでした。

 何故なら、物語後半でこんな展開になるからです。

 「このままではハーコート家は破産する」(フランシスパパ)

 !!!

 何ということだ。お金は確かに力だけど、それを維持するにはもっと根本的にある力が必要なのです。その力がなければ、資本力など一晩にして瓦解してしまう砂上の楼閣。『ナージャ』はリーマンショック以降だったらもっと迫真性をもって受け入れられていたかもしれない。確かに、一時の資本力が盛者必衰を繰り返す昨今。リアルです。リアルですが夢イッパイの少女アニメで憧れの王子様を破産しかける境遇にもっていく『ナージャ』は、作品として主題を追うことにストイック過ぎた。いや、確かに言ってることはその通りなんだけど!

 こうして、「お金」でも決定的な力、強さにはならないというのが見えてきた所で、ついに登場する第三の力、みなさんお待ちかねの我らがラスボスローズーマリー様の力、「知力」です。

 戦闘能力? お金? そんなものは、圧倒的な知力の前では無力。1万人の軍隊を組織できる「お金」があったとしても、その「お金」をコントロールできてしまう「知力」には敵わない。知力重視社会が叫ばれるようになった昨今、P.F.ドラッカーよりも先にローズマリー様はその重要さに気付いていた。

 莫大なお金を持っているナージャの実家に、真・ナージャと入れ替わって偽・ナージャとして君臨して力を振るうローズマリー様には軽く惚れます。お金が欲しいんだったら、頭を使えばいいじゃない。確かにそうです。確かにそうなんですが、少女アニメのヒロインとしては間違ってる。

 終盤にある、私が本物のナージャなの! と、次々とローズマリーが偽ナージャである証拠をあげていく真・ナージャに対して、片っ端から論理で証拠の正当性をぶった切っていくローズマリー様のシーンは圧巻です。もう、何なの、この少女アニメ。

 しかし、最後に勝ったのはナージャ。なんと、「知力」を越える、最後の「本当の力」があったのです。幸運にも、ナージャはその「本当の力」を持っていた。

 結論から申しまして、「知力」でお金も戦闘力も掌握したローズマリー様を物語の最終局面で打ち破ったナージャの最後の力は、「人脈」です

 証拠不十分なら、人脈を総動員してさらなる証拠を集めて突きつければイイっ!

 物語の最終局面、戦闘力を持ったケンノスケが、団長が来てくれる。お金持ちのフランシスも来てくれる。フランシスよりも強力なキースも助けてくれる。孤児院時代の幼なじみや、旅先で出会った様々な人々が、みんなナージャのためにやってきてくれる。

 ナージャの人脈総動員の大応援攻勢の前に、単独で知力をふるったローズマリー様がついに押し切られるラストは神々しいです。戦闘能力? お金? 知力? どんなにそれらに優れていても、それらの能力を高い力で備えた人脈ネットワークにかかってこられたら、単独ではどうやったって勝てない。実社会でもままあることです。確かにその通り。確かにその通りだけど、日曜朝の少女アニメとしては少し時代が早すぎた。資本主義社会自体や知力重視社会そのものが疑問視され得る最近でこそ、ナージャはもっと響いたかもしれない。う、うん。僕もお金より知力より、何より人脈を大事にしよう……。

 そういう訳で、「また旅に出る」という『ナージャ』のラストは至って自然だとも思うのでした。あのまま貴族の娘になっても、それはせいぜい「お金」の力であります。ローズマリー様すら何とか押し切った我らのナージャさんとしては、旅先で新しい人脈を築いた方が、遙かに根源的な意味では「力」に、「強さ」になる。いや、なんで少女アニメの主人公がそんなに力に対してストイックなの! っていうツッコミは置いといて!

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 そんなあくなき力の根源を問い続けた『ナージャ』は、ダンスだけじゃなく、今のプリキュアさんにもちゃんと生きています。ぶっちゃけ、夢原さんの「深層の飢餓感を満たしてあげる→仲間化」能力とか、桃園さんの「しあわせ一緒にゲットだよ→仲間化」能力とか、捉え方によっては人脈力の一種だよね。夢原さんにも桃園さんにも、独力な人、孤独な人は絶対に勝てないというプリキュアシリーズルールは、こうしてナージャから受け継がれていたんだ!(な、なんだってー)

 そんなこんなで、『プリキュアディケイド』ではシンケンジャーの世界的な位置づけで「ナージャの世界」も出てくるって私、信じてる! 今日この頃、雑文失礼致しました。<(_ _)>

明日のナージャ Vol.1 [DVD]
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●ちなみに、放映時にタイムリーに(ほぼ)全話書いていた『明日のナージャ』感想がまだ残っていたりします。最終回時に「ナージャ終幕のイイ余韻にひたりながら、プリキュアに想いを馳せたいと思います。」とか書いてる6年前の自分が微笑ましい。6年後こんなことになってるなんて……。

一応、その頃のナージャ感想もリンクしておきます