今年、こっちはあとどれだけ更新できるか分からないので(漫画告知はしますが)既にまとめモードで思いついたことを書いておきます。

 お父さんの言葉は「世界を救うのは愛」という意味も込められていて熱いなぁ…。  『真・南海大決戦』

 桃園さんは愛だったな、と思った。

 夢原さんは一見ロースペックだけど実は凄い人だけど、桃園さんは一見ロースペックで、本当にロースペックな娘だった。ただ、親御さんから愛情たっぷり注がれて育てられたので(劇中で丁寧に描写されている)、内側から愛だけは自然と溢れまくっている娘。

 イース様救済も、劇場版も、思えばそれだけで乗り切ったし、実際それが一番強かった。

 イース様→東せつなの中盤のクライマックスはやはり感動的だった。

 管理国家から排斥されたというとアニメ的だけど、明かに現実世界とも重なるように描いていた部分で、心から信じていたものが絶対じゃなくなってしまう、というのは価値観が相対的になり過ぎた現代ではよく起こりえること。具体的なシチェーションとしては、一生この会社に勤める気満々だったのに、解雇された、とか。

 そして信じていた会社という共同体が無くなってしまうと、どこにも居場所がなかったことに気がついた……というのも、よく聞くお話。朝日新聞とかで、中高齢期のあり方みたいな特集があるとこれでもかと取り上げられています(笑)。やばい、自分家族からも必要とされてなければ、本当の友達もいなかったのか、的な。

 そういうことまで思い出されるシチェーションだったので、何はともあれ桃園さんが走って会いに来てくれるというシーンがエラく感動的だった。

 ラビリンスから削除された、現実なら一昔前に話題になった「会社のために死んでくれ」状態で、会社という社会的後ろ盾がなければ誰も相手にしてくれない、そんな時代さポイズン、という所で、なんだか知らないけど東せつな本体という個人のために桃園さんが走ってきてくれるというのが感動的。

 しかも桃園さんは無策ですからね。知力重視社会と言われて久しい時代に、驚くほど何の戦略もなく、ガチ無策なんだけど、とりあえず放っておけないから走って会いにだけ行ったという。胸にあったのは本当愛だけですよ。やっぱり愛は世界を救うのか……。

 パラレルワールドという設定も上手かった。ディケイドもだけど、あれは一つの組織、共同体、宗教、イデオロギー、価値観、なんでもいいんだけど、絶対的なものが持ちづらくなってしまった現代人の心情を反映してるんだよな。自分とは違う価値観(世界)が見えてしまうし、それを尊重したくなってしまうという現代人のつらい所。相手の価値観を尊重すれば、相対的に自分が属していた価値観が減衰して見えてしまう。そうして、じゃあ自分は何を信じればいいんだと孤独に陥りやすくなってしまう。

 そんな時代さ、ポイズン、なので、やっぱり桃園さんが世界(価値観)の異相を越えて、孤独な人に会いに来てくれるというシチェーションは感動的なのだった。中盤のおじいちゃん話の、ワールドワイドだからラブという名前にしたというのが重要な伏線だったんだな。自分の国(価値観)だけとか小さいことを言ってないで、全世界的に愛を届ける女、それが桃園さんだったのかも。

 第45話、一瞬TVの向う側でお母さんを捜して泣いている子どもの映像を桃園母が見ることで、世界か? 身近な人か? というセカイ系問題も解決してるのが熱い。身近な人を犠牲にしても世界を救うのか、身近なキミのためにセカイを壊すのか、といった00年代セカイ系ストリームもこの作品ではほぼ決着している。自分の子どもを想う気持ち、親を思う気持ちと、世界全体とは、ちゃんと連動しているという。

 なので、自分の子ども(シフォン)を守るという行為が、そのまま世界の危機を救うことにもなるというこの最終戦は、大変見事だと思うのでした。