「私に大切なものをくれたのよ」(月影ゆり)

 ハートキャッチプリキュア!第49話(最終回)「みんなの心をひとつに!私は最強のプリキュア!!」の感想です。
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 今回の見所ベスト3。

第3位:デューン様の事情は知らない

 巨大化して暴れるデューン様の事情は明確には最後まで描かれなかったし、花咲さんも問おうとはしなかった。

 ようは、今までずっと深くは介入しない(できない)まま数多のゲストキャラ達をちょっとだけお助けしてきたように、劇場版で「深い事情は存じませぬが」の状態でオリヴィエと男爵をちょっとだけ助けたように、この最後の最後のゲストキャラのデューン様にすることも、一つだけ。たぶん知ってもプリキュアは問題の本質は解決できないですし、各人の物語は各人が頑張るしかないんです。それはデューン様も同じ。

 ただ、ちょっとだけ背中を押したり、少しだけ助けになったりはできるから通りすがりでも助けてみる。それが今年のプリキュアさんだったんだけど、デューン様クラスになると、その「少し」が結構大変。オーケストラさんがはじかれたくらいなので。

 花咲さんが選択した最後の方法は、現役4人のオーケストラさんとの融合。前回書いた通り、劇場版の情報なども拾っていくとオーケストラさんは今までのプリキュアの歴史みたいな人なので、歴史の最新ページとして花咲さんらが収まるというのは分かる。桃園さんがフレッシュ第1話で言っていた、「プリキュアレジェンド」、と。

 祖父母から親へ、親から子へ、子からその子へ、次の代へ、という誰にでもあるハズの世代の歴史のミクロな連鎖と、
 劇中の初代キュアアンジェからその次へ、キュアフラワーへ、ムーンライトへ、ブロッサムへ、マリンへ、サンシャインへ……、というプリキュアの歴史と、
 劇外の初代から続くシリーズへ、フレッシュへ、ハートキャッチへ、そしてスイートへ、という作品の歴史とを、三重奏で「つぼみから芽へ、花へ、種へ、そしてまた花へ」という「花」モチーフにかけてハートキャッチという作品が描いていたのは確かだと思うのですが、その全てが詰まったフルオーケストラの夢幻プリキュアさんでした。

 今、現役4人が加われるのは、この作品の物語を通して自分のルーツ(家族など)と自分本人に関して一区切りを付けられたから。特にゆりさんが前回で月影父を許せたから。ダークさんの半分の心の種を受け取った時に、憎しみではなく愛で戦うと決めたから。

 作中のプリキュアの歴史も、劇場版とハートキャッチミラージュ取得回の「過去の自分との対話」で昇華されていた。そして、劇中序盤では存在した、ムーンライト代と花咲代の齟齬や不和も、物語を通して解消された(最後の戦いに赴く前のマリンとムーンライトのやり取りは感動的だ)。

 そして、劇外でも、「親の愛情が貰えてないのではと飢餓感を感じていた」プリキュア娘が何人かいる。美墨さんが、夢原さんが、怒濤の活躍で彼女らを救ってきたのもプリキュアシリーズの歴史。そして、「巨大な男女が地球規模で対峙」というのは、最初のシリーズ完結編たる『MaxHeart』最終回の本歌取り的な表現でもある。あの時から、プリキュアシリーズとしても変わったこと、変わらないで受け継がれているものが、それぞれある。

 そんな重厚な文脈の全てを乗せて、花咲さんが選んだのは、愛。

 デューン様の事情は知らない。ただ、憎しみで苦しんでいることだけは分かるので、せめて愛だけ叩き込んでみる。

 「くらえ、この愛」

 最後の攻撃がついに「拳パンチ」なのも熱かった。おしりパンチとか全部パンチとかのネタを、ここで意味あるものとして使ってくるとは思わなかった。確かに、実質殴ったりもしてるけど、プリキュアさんの根本思想において、手は殴るためのものでなく、差し伸べるためのものだ。

 ラストシーンは、劇場版で名もなきパリの人が道ばたで泣いていた花咲さんにハンカチを差し出した、手を差し出したのにとても似ている。相手が強大で話が大規模になっているから凄まじい文脈を込めた愛が必要になっているだけで、やっていることは、「困ってる人がいるので、全部は助けてあげられないけど、少しだけ愛を込めて手を差し出す」と、劇場版の話と何ら変わりない。

 デューン様、愛の前に、子どもの姿に戻り、静かに消えていく。「深い事情は当人の物語」方式で劇中で明示的には描かれなかったけど、子ども造形や劇場版のテーマ、親の愛情にまつわる花咲さんや月影家の話、最後の対立軸として何が綺麗かなどを考えていくと、やはり何かしら親に優先されなかった子どもみたいな人だったんだと思う。最後の光景は、「ようやくお母さんに叱って貰えた子ども」みたいに見える。


第2位:あとは当人達の物語

 アフターパート。プリキュアとして、裏を返せば「プリキュアの力で」というニュアンスで世界を救った4人の、その後の物語への示唆が描かれます。

 ずっと「プリキュアの力で何でもできる訳ではない」というのを描いてきたハートキャッチ。

 「いつまでも無限の力とか、無限の愛とかに頼っちゃダメ」
 「自分の人生なんだから」


 美しい帰結です。確かに偉業を成し遂げたかもしれないけれど、いつまでもプリキュアの力に頼っていてはいけない。それは、プリキュアシステムと心の大樹システムで、世界中の心を一気に救済しようとして挫折した、月影博士の思想に近いものになってしまう。娘のゆりさんがちゃんと理解してくれているのがせめてもの救いです。

 そういう訳で、後は基本「プリキュア」とは関係ない、4人当人の物語。


●ゆりさん

 とりあえず人生の夢探しから。とてもツライことがあったので、この人は少し休んでイイ。色んなものを沢山失くし過ぎて、当面は何もやることが思いつかないという気持ちは経験上分かる。そして、そんな時期でもなんやかやと側にいてくれる人もいるということも。

 それでもいずれやりたいことは湧き出してくるものだから、今は空を眺めていればいい。シリーズを通してのゲストキャラ。ハートキャッチは間違いなく月影ゆりの物語でもありました。お疲れ様でした。


●いつきさん

 キュアサンシャインは「プリキュアの力を使って『変わった』いつきさん自身の理想の姿」みたいな感じだと思うんですが、少し髪を伸ばし始めてるのは、今度はプリキュアの力なしで、自分の力で理想の自分に向いはじめているというような意味なんだと思う。最終回まで、シリーズのテーマの一つであった「外見」要素も入れております。来海理論のように、確かに外見を変えることで、内面も引っ張られながら理想の自分へ変わり始めていける……ということはある。

 やりたいことは秘密オチ。これも、「言わなきゃ分からないよ」と何でも口にする歩く本音マシーンの来海さんと対照的で素敵だ。どちらを否定するという訳ではない。ただ「可愛いものが好き」という自分の本質・本音を抑圧して口にできないでいた頃とは今は全然違って、やりたいことを口にしないのもアリだというだけ。もう、別に本音を語るのにデザトリアン療法は必要ない。タイミングが来たら、ちゃんと自分の意志で普通に言うから。


●来海さん

 夢はデザイナーだと公言している様子。歩く本音マシーンは当初ウザがられたりもしましたが、今ではそれが良い方に働くことがあるのもみんな分かってる。本音ブチ撒け療法たるデザトリアン療法に遭遇した数多のゲストキャラ達が心のバランスを取り戻したのと、それは似たような文脈。

 「あたしの人生これ以上、何があるってのよ!?」

 プリキュアとして地球を救ったのはそれはそれとして、これからの来海さんの物語もきっと熱い。終わらない日常を乗り越えようという作品も多々あるけれど、当人の日常の物語は、それはそれで大変な物語でもある。

 プリキュアはお助けだけ、当人の物語は当人にしか描けないというずっと描き続けてきたものは、プリキュアだった来海さん当人にも当てはまっていく。

 ただ来海さんは未曾有のハイスペックなので、ノリノリで実現していきそうだ。以前、アフターストーリーを想像した場合、夢原さん達は作中の夢をそのまま叶えそうだけど、桃園さんはプロのダンサーにはならない気がすると書いたことがあったけど、来海さんは「5」組タイプに思える。デザイン事務所が売れなくて腹ペコナッツ状態になっても、タフに宣伝とかして盛り返しそうな謎のバイタリティと勢いがこの子にはあります。


●花咲さん

 とりあえず宇宙に花を咲かせてみるという夢を抱くことに。

 す、スケールがデカいな……。内向的だった女の子は、限りなく外向きに「変わり」ました。幼少時の「お花があればそれでイイ、人間いらない」みたいな感じから、「誰かのために、宇宙にお花を」と、色々逆になっているのも熱い。人はここまで変われるということにこの作品の物語で説得力を持たせているし、同時にそうは言っても変わらない大事なものもあると、丁寧に描いてきました。

 いずれ花咲さんにも、宇宙関係の夢と、自分の子どもと、どっちを優先するの、みたいなハートキャッチ劇中でたびたび提起されていた問題が訪れるのかもしれない。プリキュアの力なしで、自分の力で宇宙まで行くとはそういうこと。でも例え今後色々なことが起こるとしても、それは、後は花咲さん当人の物語。


第1位:人々が忘れても

 「変わる」ということは「忘れる」ということと実は近かったりする。例えば過去の偉大な古典を、現在ちゃんと読んでいる現代人がどれだけいるか、みたいな。

 しかし、花咲さん達は地球を救ったけど最後まで「通りすがりのプリキュア」を通したので、そこはあんまり気にする所じゃないかもしれない。劇場版で泣いている花咲さんにハンカチを差し出したパリの人の顔を、きっと花咲さんは覚えていない。だけどあの時確かに助けてくれた、確かに力や、少しの愛や勇気をくれた、それでイイ、そういうのがハートキャッチさんのノリでした。

 残されているのはかなえさんが撮影に成功した謎の写真だけというのがカッコいい。あの最後の出撃前の人々とプリキュア達との距離感が、最後までハートキャッチが描いて、またとても大切にしていたものでした。

 そして、それでも、例え人々が忘れても、受け継ぐ者は現れるというラストの暗示もイイ。劇中では花咲さんの子か、妹さんか、はたまた名もなき女児さんか。劇外では、続くスイートさんもある。ラストの女児は視聴者自身と重なる感じで終幕している。誰が忘れても、私たちは知っているし、その時間を過ごした当人の物語は本物だし、あるいは次は私かもしれない。以前としてプリキュアさんにも普通の人にも当人の物語があるし、それは続いていく。個人的な語感の可能性もありますが、「catch」には「思いがけず出くわす」みたいなニュアンスがあります。人に対しても、人の心に対しても、出来事に対しても、プリキュアさんに対しても、ゲストキャラから名もなきパリのモブキャラの人に対しても、作品に対しても、そんなニュアンスがにじみ出ていた作品でした。『ハートキャッチプリキュア!』、1年間ありがとうございました。

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