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 「オカリナとして吹くこともできるニャ」(ハミィ)

 スイートプリキュア♪第5話「ドタバタ!テレビレポーターに挑戦だニャ♪」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。

第1位:何故音楽か

 王子隊の彼が、音楽をやって良かったことは? という質問に、「仲間」と即答。何気ないシーンなんだけど、作中解なんだろうと思いました。音楽が題材の作品でも、あくまで「組曲」なので、孤高の芸術家路線ではなく、調和とかハーモニー、人と人との繋がりなどに主眼が置かれている感じです。

 という訳で、人と人との繋がり、調和、協調、プリキュア的な最小単位なら友情、とか、ありふれていると言えばありふれているけど、やはり大事なものを描こうとしてる作品なんだろうなとは思うのですが、そろそろ作品として見えてきたと思うのは、「スイート」は、そういう調和とか協調とか友情とかの大事さを描くために、逆に敢えてそういう大事なものは、「ささいな認識の違いで崩れてしまいがち」ということを描くのにかなりフォーカスしている点。

 今回、響は奏がタイミングが遅いと言い、奏は響がタイミングが早いと言う論争をするシーンがある訳ですが、これは冷静に考えると不毛、というか絶対的な正解は無い部分だったりします。客観時間を使って、「何時何分何秒に同時にステップを踏む」とかだったら「遅い早い」が成り立ちますけど、今回のは基本的に「呼吸」みたいなファジーな部分での早い遅いなので、それは人間の主観、認識側の問題。それがお互いズレていたなら、調整して合った瞬間が正解としか言いようがない。

 作品の核をギュウギュウに詰め込んだであろう第1話&第2話の3本目の桜事件も基本的にはこれです。「3本目の桜」という同じ認識を目指しながら、響と奏はそれぞれの認識の違いで、別の所で待っていた、というお話。

 こういう、「同じものを認識してるはずが、各々で違う認識になる」というモチーフが大変多いです。セイレーンさんが寝泊まりしてる時計塔みたいな所で定期的に鳴り響く音楽も、街の人達は幸せいっぱいに聴いているのに、セイレーンさん達には苦痛な音に聞こえる。物理的な音としては同じはずなのに、聴く人の認識の違いで、解釈がズレてしまう。そしてズレた結果、容易に不仲になったり、争ったりしてしまいがち。

 そもそも音楽モチーフ的にも、この「同じ音だけど解釈が違う」事例は豊富です。細かい音楽理論は置いておいても(僕もそんなに詳しくないです)、例えば鍵盤の上のラの音は、ハ長調で解釈すれば6番目の音ねとなるし、イ短調では最初の音ね、となります。同じはずの音が、解釈側、認識する側で、何やら違うもののように聞こえてしまう。

 キュアメロディとキュアリズムの決めポーズもおそらくはこの「認識する側で同じものも違って見えてしまう」をモチーフにしています。これ、メロディもリズムも実は同じポーズなのですが、角度だけ違っているのです(90度ズラしている)。つまり、同じポーズだと気づけるかは、認識する側の問題。同じポーズをしているものでも、角度が違う(認識する側の視点が違う)だけで別のものに見えてしまう。

 そして、だからこそ、さらに反転させて、そんな認識する側の問題でズレちゃったり、ズレちゃったきっかけで不仲になったりしちゃう世界だからポイズン。それを乗り越えて、二人の認識が一致した瞬間を、とても尊いものとしてスイートでは描いている気がします。桜の木の認識の違い問題に気づいて、1年ぶりに響と奏の心が合わさった瞬間。小さい部分で言うなら、今回の、とっさにコンビネーションを見せた瞬間。

 セイレーンさんとハミィの問題しかり、音楽の解釈の問題しかり、まだまだ劇中は、この「認識の違い」問題がそこかしこに埋め込まれています。それを、まずは最初の主人公の響と奏の間で、コツコツと「一致する瞬間」を描きながら、少しずつ物語を進めている印象です。

→主題歌

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→キュアリズム

スイートプリキュア♪ ふんわりキュアフレンズ キュアリズム
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→前回:スイートプリキュア♪第4話「モグモグ!奏が見せる気合いのレシピニャ」感想へ
次回スイートプリキュア♪第6話「ガミガミ!お説教が生んだミラクルベルティエニャ♪」の感想へ
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