「私もマナと一緒なら飛べる」(菱川六花)

 ドキドキ!プリキュア第3話「最高の相棒登場!キュアダイヤモンド!!」の感想です。
 ◇

 今回の見所ベスト1。


第1位:児童時間

 「リンク」が重要と思われる作品で、六花はお母さんは遅くまで仕事で病院、お父さんにいたってはマチュ・ピチュと、デフォルトでは家族が分断されてしまってるかのような状態。それを、電話や手紙という「リンク」で繋いでるというのが前半を使って十全に描かれておりました。

 だからこそ、カニ、信号機に続いて「分断」ネタであるヤギが「リンク」の象徴である手紙を食べる時、マナはそれを守ろうとする。これは、第1話でお母さんと子供のリンクを守ろうとしたのと同じ。逆に言えば、六花がそうやってリンクで家族の紐帯を繋いでいるのをずっと見てきたから、その大切さを知ってるから、そういう生き様になったのか、とも言えそう。何かにつけてマナと六花の相互関係も印象的に描かれてる話だったと思いました。

 そして六花の側の視点からすると、とても大切なリンクは児童時間にマナから既に貰っていた、というスマイルの主題を彷彿とさせる児童時間の共有体験ネタが炸裂。これ、変身後のコスチュームもですけど、10周年作品ということで、マナと六花の関係はなぎさとほのかの関係、咲と舞の関係あたりを少しオマージュしてるようにも感じましたね。片方が分断による孤独にあえいでいて、それを救ってもらった縁がある、というあたりとか(他、勉強ができる=ほのか、ツバメ=鳥=舞とか?)。幼マナと幼六花がはじめて握手したシーンは反則でありました。逆に、その自分たちの児童時間に経験した「大切さ」を投影してるから、スマイル的に言えば自分が児童時間から現実でメルヘンを体現する側の存在になった今、お母さんと子供の手繋ぎを守るとか、そういう点に重みが出てくるんだろうなと。動機、マナや六花さんの精神性の土台の部分。ちゃんと、剣崎さん以外は幼馴染という設定に作品を通底する意味がある感じ。

 おそらくはダイヤモンドも連想させつつマナとのリンクのおかげで輝いていたと「輝き」のキーワードが炸裂。孤独と分断によるバッドエンドルートを既にマナの存在で回避していたキャラクターが六花さんって感じなのかな。「愛を伝える」というマナさんの存在意義、アイデンティティが、ちゃんと意味があったという結実の一つの形が今の六花さん。児童時間の共有体験、その頃に伝導された愛が、現実で戦う時の力になる。今度は、自分たちがその伝導を守る側になる、という、やっぱりスマイルの次の作品だなぁとしみじみと感じたりしましたね。


→色々

Happy Go Lucky!ドキドキ!プリキュア(DVD付)
Happy Go Lucky!ドキドキ!プリキュア(DVD付)

ドキドキ!プリキュア キャラポスコレクション BOX
ドキドキ!プリキュア キャラポスコレクション BOX

→前回:ドキドキ!プリキュア第2話「ガーン!キュアハートの正体がバレちゃった!!」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第4話「お断りしますわ!私、プリキュアになりません!!」の感想へ
ドキドキ!プリキュア感想の目次へ