「アンが死んでしまっては」(王)

 ドキドキ!プリキュア第46話「エースとレジーナ!誕生の真実!」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:ジョーカー


 アン王女も何かの犠牲の上で生かされた存在なのか。他の何を犠牲にしても娘を助けたいと願った王の愛。物語にずっとついて回っていた「全員は助けられない」問題。

 王の立場からすると、娘を助けるという自己中側の愛と、世界のためという他己的な愛。アン王女の立場からすると、キングジコチューになってしまっても父親を殺したくないという自己中側の愛と、世界のためにという他己的な愛。どちらかを選ばなくてはならない。王もアン王女も、映画版のマシュマロというか、誰か(世界とか大きい話含む)を助ける背後で選択の結果次第では選ばれずに犠牲になるポジションなんですね。「愛する人か世界か」という選択のもと、アン王女は心を分割。それぞれがレジーナと亜久里に。

 レジーナと亜久里はそれこそ何らかの形でリソースが追加されて両方生存できそうな気がするけれど、そうなるとアン王女本体が戻らなそうで、そっちが物語の帰結なら愛する人を一人失うのは岡田さんということになる。

 これ、だからジョー岡田がジョーカーなのかな、と。ようやっと「トランプ王国」というトランプモチーフがちゃんと縦軸の物語に繋がっていたんだと感心しきりなんですが、おそらく、上述したような、「選択の結果犠牲になる存在」が「ジョーカー」で、ようは「ババ抜き」モチーフなんだろうな、と。犠牲になる存在を押し付け合うゲーム。それで何とか整合性を保ってる世界。そして、このままだと、ペアになる相手がいない文脈で、ジョーカーたるジョー岡田だけが残りそう、と。

 それで「切ないね」なのか、何かブレイクする解法があるのか。

 他作品の話で申し訳ないですが、以前から、『ドキドキ!』はけっこうゼロ年代のPCゲームの『物語』が一般層向けにまで表に出てきた結果の作劇という気がする、という話を書いておりました。今話の「愛する人か世界かの選択」という話は、『Fate/stay night』の桜ルートですし、「ジョーカーの押し付け合い」は『ひぐらしのなく頃に』です。両作品は両作品で劇的なラストが描かれるのですが、『ドキドキ!』はどう描くのか大変楽しみ。

 この、ゼロ年代物語的にも現実の世相的にも解法が困難な問題に立ち向かうに辺り、悲しい事が起こってる「あちら」の場所の存在たる真琴に亜久里、「こちら」の存在であるマナ、六花、ありすが、混合チームで最後の変身というのは熱いのでした。

 最終戦の舞台が「街」というのは、「幸せの王子と街の人達」モチーフだった『ドキドキ!プリキュア』的にキターっという感じです。第1話のタワーが印象的に使われるとか反則。今は幸せの王子は一人ではない(つまり、マナさん本人が、自己犠牲で世界の方を選んだ状態のバッドエンド『幸福の王子』は乗り越えた文脈に、この46話ではいる。)というのも熱いし、それでもやっぱりこの物語の主人公は「幸せの王子」相田愛だ、というのも熱い。

 マナさんはこの一年本当カッコいいと思った主人公なので、ラストを見届けるのです。

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→前回:プリキュア雑記(2014年1月5日/『ハピネスチャージプリキュア!』について)
→前回:ドキドキ!プリキュア第45話「宿命の対決!エースVSレジーナ」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第47話「キュアハートの決意!まもりたい約束!」の感想へ
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