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 『Go!プリンセスプリキュア(公式サイト@朝日放送公式サイト@東映)』第21話「想いよ届け!プリンセスVSプリンセス!」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:トワ


 トワは自らの夢、「グランプリンセスになる」を叶えたい気持ちが強く、いわばその道のりをショートカットできてしまう(らしい)という心の弱さを突かれて、自分からディスピア様についていったことが明らかに。

 ディスピア様が語っていた夢が大きければ大きいほどその距離に絶望するみたいな話は、哲学史で絶望と言えばこの人(え)のキルケゴールの『死にいたる病』という有名な本に書いてあったりなことで、ざっくりとは自身が抱く希望と、現実の至らない自分との距離、それが「絶望」であると定義していたりするのでした。

死に至る病 (岩波文庫)
キェルケゴール
岩波書店
2014-12-18


 で、その夢と現実の自分の「距離」を縮めていく方法論が、はるかは色々なことをやりつつも地道に、トワはディスピア様に委ねることでショートカットしようとしたと、対照になっている模様。

 シャットとロックの会話に顕著だったけど、正統性を有した本物のプリンセスから普通の娘になってしまったトワ。次回以降、自分がトワイライトなのかトワなのかのアイデンティティに揺れる展開になると想像されるのでした。

 ここ最近の感想で、正統性を有した存在なのか普通の存在なのかというトワの物語は『ふたりはプリキュアMaxHeart(感想)』の九条ひかりの、ひかりが「正統者としての光のクイーンとしてのアイデンティティ」と「普通の人である九条ひかりとしてのアイデンティティ」との間で揺れる物語に似ている(というか元ネタというか)と書いておりましたが、トワの方が若干キツそう。

 というのも、ひかりは普通の人である自分が十全になぎさとほのかにアイデンティファイされていたのに対して、トワは普通の自分、トワイライト様ではなくトワの方は夢への道のりをショートカットしようとしてディスピア様につけこまれた弱い人間だから。

 それに加えてここまであった「本物」と「偽物」の話が逆転するというすごいことをやっていて、これまでは、


・「本物」のプリンセスであるトワイライト様−「偽物」のプリンセスであるはるか


 という構図から、「偽物」のはるかの方を一方的に糾弾してれば良かったのだけど、今話にて、


・「偽物」の(ディスピア様との)血縁であった強いトワイライト様−「本物」の(カナタ王子との)血縁であった弱い人間であるトワ


 に逆転してしまった。人文系の学問とかやった人向けに馴染みそうな言葉を使えば対立していたテーゼAとテーゼBが「デコンストラクション(脱構築)」されてしまった状態に入ったという展開なのですが、これは我々弱い人間にとっては不安です。何が本物で何が偽物なのか分からないのは不安だし、あまつさえ、構図的に本物の自分(トワ)の方が、自らディスピア様についていった醜く弱い人間なのかもしれない。

 こーいう構成・展開にするところは、よりかかる正統性のような存立基盤も何が正しいのかよく分からないし、そんな中で「自分とは何か」ということに(哲学的にも、実際の行動の選択としても)葛藤していかなくてはならない現代を生きてる人一般を反映してる感じで、僕はたいへんトワの状況に共感するのでした。

 追い打ちをかけるように、今まで自分に宝石を配ってくれていた(これまでの感想で書いてきたように、これは子供から見た親を連想するように描かれていた)「幸せの王子」、カナタ王子が喪失。何も拠り所がなく、不安な世界、不安な自分というトワと、未だ「幸せの王子」までは至らない「街の人」であるはるか達だけが残されたという現状。

 そういう欠落し、拠り所なく、不安なトワに、ただの「街の人」で「偽物のプリンセス」であるはるかが、カナタを失った状態で何ができるかというのが見どころだと感じます。

 みなみと兄のわたるの関係を描いた第16話(感想)や、きららと母ステラを描いた第17話(感想)辺りが効いてきていて、そういうどうしようもなく不安な状況でも、途切れないものとして、「家族の繋がり」を(これはプリキュアシリーズとしては定番の要素としても)描いている。ここでも、ディスピア様とトワイライト様の繋がり、カナタ王子とトワの繋がりは、それぞれ「偽物」-「本物」テーマに対応する。

 きららが母ステラ(かつて宝石をくれた「幸せの王子」ポジション)と同じステージに立つとした第17話。今話もまた、「幸せの王子」カナタに一方的に自己犠牲で助けられてしまったトワ(とはるか)だけれど、こうして分断されてもあの日のバイオリンの曲に象徴される繋がりがカナタとトワにはあり、いつか共に同じステージで戦えたなら……というストーリーラインなのだとしたら面白い。

 やっぱり、何が何だか分からなくなっちゃった世界で、子が親と、「街の人」が「幸せの王子」と、「偽物」が「本物」と、メタにはシミュラークルが原典と、「共に戦える」ようになっていくまでの感情曲線が物語の奥に引かれているのだとしたら、それは大変現代的でもあるし、面白いと思うのでした。

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『ドキドキ!プリキュア』のマナ×六花二次創作SS

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