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 『魔法つかいプリキュア!(公式サイト@朝日放送公式サイト@東映)』第16話「久しぶりっ!補習メイトがやってきた!」の感想です。
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 前回の様々な姿に変わるはーちゃん。今話の様々な味に変わるクルクルッキー。総じて、様々に「見え方が変わる」ことが世界に受け入れられていることが大事なんだと描いていると思われる本作。

 今回も、ナシマホウ界に来ているのは魔法修行の観点からは「遅れ」になるのではとちょっと不安になってしまうリコさん(「魔法の成績」的な均質的な「見方」のみにまた陥りかけてしまう)。なのだけどフランソワさんがナシマホウ界だからこそ学べることがあると、新しい「見え方」を提供してくれる。

 「見え方」、評価軸が一本だけの均質化された世界だとしたら、その評価軸で落ちこぼれたら「自身の無価値感」へ繋がってしまいます。別な「見え方」、評価軸が多様な世界だから良い。このテーマだから、「補習メイト」っていう単一評価軸だと落ちこぼれになってしまうメンバーが最初の仲間達だったのか……。これ、補習メイトそれぞれの欠点だった部分も、物語が進むにつれて「見え方」が変わって長所に裏返っていくんだろうな……。評価軸が一本だけの均質化された世界では、その評価軸での「遅れ」は排除して効率性を追求し、はーちゃんも最適な形態一つだけでイイし、クルクルッキーも最高の(最適化された)味一つでイイし、プリキュアも最強フォーム一つだけあれば良いということになってしまいます。そうじゃないんだと。ダイヤスタイルで対応できない時に、ルビースタイルに切り替えられる多様性。そっちの方で行こうよと。

 ナシマホウ界と魔法界、こういう「世界」の方のものの「見え方」、それが色々あって良いという作品であると同時に、「個人」の中にも様々な側面があって良いっていう作品なのかなと感じ始めています。はーちゃんが、同じはーちゃんなんだけど色々と変化するとか、プリキュアがフォームチェンジするのも、そんな要素を受けてという感じで。

 「個人」の内部にも多様性があるのを受け入れるということは、「個人」の「変化」を受け入れるということです。ダイヤスタイル的な私からルビースタイル的な私へと「変化」が可能。そのように「変化」が受容されるから、「お姉ちゃんからの愛情に自信がなくなって競争相手とみなして自己無価値感に陥っていたリコさん」から「お姉ちゃんからの愛情を受け取り直して自分という存在は祝福されていたんだと気付けるリコさん」へと「変化」が可能となる。

 そうなると、ドクロクシーさんというのは、そのまんまドクロ、骸骨で、その存在の内部に多様性や変化の可能性がなくなってる敵キャラとして描かれてるのかなと。

 前回の感想で、「基本的にグローバル化は良いことだけど、グローバル化の名の下に、国や地域の個性までも奪い取るような、間違ったグローバル化はイヤなんだよね」的な鷲尾天氏のエッセンスが本作には見られるという話を書きましたが、


鷲尾天氏のエッセンス〜均質化に向かう世界で「見え方が変わる」を守るということ―魔法つかいプリキュア!第15話「ハチャメチャ大混乱!はーちゃん七変化!」の感想(ネタバレ注意)


 それこそ、もう変化しないドクロクシーさん内部の均質的な価値基準(これが、今話で言葉として出てきた「闇」かな?)を世界に押し広げようとするという敵キャラ。

 それに飲み込まれてしまって全て均質的な評価軸、「見え方」になってしまうのは嫌だから、魔法商店街とか人魚の里とか、各地域のそれぞれの伝統文化的なものの「見え方」も、自分個人の中の様々な多様性という変化の素も、守るよ、という。マックのハンバーガーはすごいけど、宮城県のホヤもイイよ。ディズニー作品はすごいけど、私の中の東映不思議コメディーシリーズ『ペットントン』第30話「横浜チャーハン物語」が好きな部分(え)は大事にしたいから守るよ、というような、ちょっと繊細なヒーロー(プリキュア)像。

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→前回:魔法つかいプリキュア!第15話「ハチャメチャ大混乱!はーちゃん七変化!」の感想へ
→次回:魔法つかいプリキュア!第17話「水晶さんおしえて!おばあちゃんの思い出の人」の感想へ
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