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 公開初日に観てきた『映画プリキュアスーパースターズ!(公式サイト:音注意)』の感想です。

 今回は全5回でお送りする予定で、その第4回です。

 第1回から順に読まれる方はこちらから。↓


映画プリキュアスーパースターズ!の感想1〜ワンオペ母に手を差し伸べる朝日奈みらいの物語(ネタバレ注意)


 それでは、第4回。

 ネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
 ◇◇◇

 「過去」の悲しい出来事について、どうにかする映画だという話を第2回で書きました。


参考:映画プリキュアスーパースターズ!の感想2〜悲しい過去も何とかなる物語(ネタバレ注意)


 今回の映画での「過去」の悲しい出来事は、はなさんがクローバーとの「約束」を果たせなかったことです。

 この「過去」の悲しい出来事を、


1.「過去」の「見え方」は変えられる(『魔法つかいプリキュア!』の方法論)
2.「失敗」を「閃き」で失敗したなりの思いがけない素敵なものに「昇華」する(『キラキラ☆プリキュアアラモード』の方法論)
3.他者からの「応援」(『HUGっと!プリキュア』の方法論)


 の三つの処方箋で何とかする物語だという点についても書きました。

 ただ、この三つの処方箋で逆転が決まって、「過去」の悲しい出来事がなかったことになって、「当初(はなさんとクローバーが「約束」した当時)イメージしていた未来が思ったように実現できた」、めでたしめでたしとなるかというと、そうはならないのがこの映画の核心の一つかと思います。

 クローバーは、無事にはなさんからの、


 「私が、色んな世界に連れて行ってあげる」(野乃はな)


 という「約束」が思った通りに実現して、たとえばはなさんと世界中を一緒に旅するというような「未来」に辿り着けたかというと、そうはなりません。

 プリキュアたちを復活させるためにアスパワワ(とおそらくキラキラルも?)を供給して、消滅してしまいます。

 そういう意味では、やはり「当初イメージしていた未来が思ったように実現できなかった」物語なのです。『HUGっと!プリキュア』第1話で、はなさんが当初イメージしていた通りに前髪を切れなかったように。転校初日の自己紹介で当初のイメージ通りにできなくて失敗したように。


参考:野乃はなさんのアスパワワが豊かな理由〜HUGっと!プリキュア第1話の感想(ネタバレ注意)


 でも、これはやっぱり物理的な意味ではなさんとクローバーが一緒に世界を旅するような「未来」は訪れなかった、オシマイダーなのか? というと、そうではない、という物語でもあります。

 はなさんの切りすぎた前髪が意外と似合っていたように。失敗した自己紹介がさあやさんに勇気を与えることがあったように。

 ちょっと失敗した未来なりに、カタチを変えて意味はある。

 今のところ、これが『HUGっと!プリキュア』という作品の中心的なテーマの一つなのかなと個人的には受け取っています。だから、TVシリーズ本編でも、ほまれさんはたとえもう一度「跳ぶ」という「未来」の選択をしたとしても(第5話)、「未来」は当初(子供の頃)想定していたものとはちょっと違うカタチなりのもの(例えば、ストレートにフィギュアスケーターとしては成功しない?)になるのかな? という予感はしています。

 さて、では本映画で、はなさんとクローバーの「約束」がどう「カタチを変えて」成就したかというと、若干哲学的というか宗教的というかスピリチュアル的というかですが、物理的に一緒に旅はできなかったのだけど、クローバーは「野の花」になってはなさんに会いに行くというカタチで、はなさんと共に世界中を行くという「未来」を実現したというエンディングなのだと思います。

 これは、「アニミズム」的な世界観です。

 プリキュアシリーズがけっこうこの「アニミズム」的な世界観を採用しているという話は、たとえば『魔法つかいプリキュア!』の時に書いたこちらの記事などを参照です。↓


参考:草木国土悉皆成仏を唱えてモフルン師匠にブッダが宿る〜魔法つかいプリキュア!第36話「みらいとモフルン、ときどきチクルン!って誰!?」の感想(ネタバレ注意)


 まあ、二代目の『ふたりはプリキュア Splash☆Star』(感想)からして、「精霊」とか「自然」がキーワードでしたから、プリキュアシリーズはずっと前からけっこう「アニミズム」的な作品群なのですが。

 何気ない自然の中に、誰か(神様とか)が宿ってる……という世界観ですね。

 「アニミズム」と「トーテミズム」も関係し合ってますが、もっといって、「もの」にも「たましい」が宿ると考えたりします。わりと、日本人の感覚だと、わかる感覚だと思います。プリキュアシリーズですと、『魔法つかいプリキュア!』がストレートにこれを扱っていて、「もの」であるモフルンに「たましい」が宿り、「自然(草花)」であったはーちゃんに「たましい」が宿る……という物語ですね。

 つまり、クローバーは消滅する時に、


 「いつか野の花になって会いにいくよ」 (クローバー)


 と言っていたので、この映画のラストシーンの「芽」の描写は、「野の花」として転生したクローバー……という描写だということですね。

 めっちゃざっくりとは(ブディズム、仏教方面の考え方とかでいうところの)「輪廻」です。

 で、自分の親しい誰かが「輪廻」して、何気ない「もの」や「自然」に宿ってるのかもしれないから、大事にしようよ。

 もっといって、クローバーは「野の花」になり、これは当然=「野乃はな」であるわけですから、何気ない「もの」や「自然」は、あるいは自分自身かもしれないよ、だから大事にしようよ……と、このくらいの領域まで「アニミズム」とか「トーテミズム」とか、あるいは「ブディズム(仏教)」的世界観では描いていたりしますね。

(『魔法つかいプリキュア!』最終回はけっこう哲学的で、みらいさんはもしかしたらリコさんだったかもしれないし、みらいさんがみかけた女の子たちは彼女たち自身なのかもしれない……みたいな領域まで表現していたりします。詳しくは、『魔法つかいプリキュア!』最終回の感想を参照です。

 ぐっと抽象的な話から今回の映画の話に戻すと、クローバーは「過去」の「幸せ」の象徴なわけです。それが、当初(過去に)信じた「未来」の「幸せ」の「約束」が破らてしまったから「復讐」に変わってしまっていた。(クローバーの花言葉が「幸せ」「約束」「復讐」と多重なのにかけている。)

 『HUGっと!プリキュア』は作品の裏ターゲットに「昔プリキュアを見ていたような現在20代くらいの女性」もありそうで、彼女たちは子供の頃に「イメージしていた未来」が実現できたのか? というと実現できなかった人の方が多いであろう……という話を第3回で書きましたが、現実でも、「過去」に思い描いた「幸せ」の「未来」に思った通りにはなってなくて、ついつい「復讐」の心で「世界」を見てしまうということはあると思います。

 でも、この映画で描いてるのは、「過去」、子どもの頃にイメージした「未来」は(たとえば)歌手だったのに、なれなかった、果たせなかった、現実は厳しい労働に子育てに介護だ、許せない、世界に「復讐」してやる……ではなくてその「未来」への「約束」は、今でも果たそうと志向し続けているなら、輪廻して、カタチを変えて、たとえば当初のイメージ通りの歌手ではないけど(たとえば)YouTuberの歌い手として実現化するカタチで、今の自分に併走してくれるかもしれない、みたいな事柄ですね。

 で、それでイイんじゃないか、っていう。それで、(当初想定していたカタチとは違うカタチでだけど)幸せになってくれる人もいるでしょ、っていう。

 昔(「過去」に)願った理想の「未来」との「約束」を今でも大事だと思えるなら、昔願った「幸せ」はカタチを変えて(「輪廻」して)イマのあなたに会いにきてくれる……という領域までを描いていた映画だったと思います。(哲学的な意味でも)見事なのでした。

 『映画プリキュアスーパースターズ!』の感想、第5回(最終回)も数日中に更新する予定です。

▼『映画プリキュアスーパースターズ!』の感想
第1回〜ワンオペ母に手を差し伸べる朝日奈みらいの物語
第2回〜悲しい過去も何とかなる物語
第3回〜「幸福の王子」宇佐美いちかの物語
●第4回〜アニミズムとしてのプリキュアシリーズの物語
第5回(最終回)〜過去の思い込みから解放される物語

→キュアモフルン



→「映画プリキュアスーパースターズ! 」主題歌

「映画プリキュアスーパースターズ! 」主題歌シングル
「映画プリキュアスーパースターズ! 」主題歌シングル
Marvelous Entertainment Inc.LDC(PLC)(M)
2018-03-14


 あと、何となく今年から実験的にしばらくコメント欄を開けておいてみるので、何かプリキュアの話とかありましたら〜。

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Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)

→前回:HUGっと!プリキュア感想/第6話「笑顔、満開!はじめてのおしごと!」(ネタバレ注意)
→次回:一条蘭世さんが大事なキャラクターである理由〜HUGっと!プリキュア第7話の感想へ
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