
というわけで通称『丘ミキ』こと『丘の家のミッキー』シリーズに突撃しております。文句なくコバルトの中でも名作にカウントされる、『マリア様がみてる』のルーツ的な女学園もの小説なんですが、これがめちゃめちゃ面白いです。2年前に『マリみて』を初めて手に取った時以来の読書熱沸騰。早く続きを読み進めたいんだけど、もったいないから2、3日に1冊ペースにセーブ!みたいなくらいにもだえ読んでます。
僕が購入したのはイラストも今風のモエイラストになってる復刻版の方なんですが、第1作の初出版は1984年ということで、『マリみて』よりもこっちが先なんで、普通は『丘ミキ』をベースに『マリみて』を語る方が順番として正しいんですが、何しろ僕の場合は先にどっぷり『マリみて』を読んでしまったんで、『マリみて』をベースに『丘ミキ』の感想を書く形になっちゃうのはご容赦下さい。
女学園を舞台に人間関係の機微を描いた非常に『マリみて』的な小説なんですが、構造はどちらかというと『マリみて』と逆です。『マリみて』、発表順のファーストエピソードの「銀杏の中の桜」では、視点キャラで一般人的な感覚を持ってる乃梨子が、お嬢様学園という独特の文化を持ってるリリアンにやってきて、そのギャップに戸惑う様をコミカルに描いて、で、最初はリリアンに違和感を感じてるんだけど、最終的には志摩子さんと絆を結んじゃったりして、「仏像もいいけどマリア様も悪くない」と、リリアン的な文化も異文化ではなく自分のものとして取り込んでいく話だったと思うんですよ。
『丘ミキ』は逆で、視点キャラの主人公、未来(みく)の方がお嬢様で、華雅学園っていうリリアン的なお嬢様女子校に通ってた純粋なお嬢様が、引っ越しを期にしもじも(笑)が通う森戸南女学園に通うことになって、しもじもの文化、つまりお嬢様の未来からすればがさつな異文化に接してるうちに様々にぶつかったり泣いたりしながら、最終的にはしもじもの文化も悪くないと取り込んで成長していく話なのです。名前を使ったギミックでそれを表現してるのがステキです。洗礼名「ミシェール」という呼び名はお嬢様学校華雅学園での未来のニックネームなんだけど、異文化の森戸南女学園に通ううちにアイデンティティロストしてきちゃって色々思い悩む。だけど、自分から視野を広げて人と接してるうちに、うららや杉丸さんといった友人もできてきて、今度は森戸南女学園の方ではミッキーというニックネームで呼ばれるようになる。最後は華雅学園時代の友人と、森戸南女学園での友人とが一同に介してのヨットの進水式の場面で終わるんですが、そこで『マリみて』で「仏像もマリア様もイイ」とどちらかを否定して終わるのでは無かったように、「華雅学園のミシェールも、森戸南女学園のミッキーも、徐々に自分に取り込んで行ければいいな」という感じで、両方の文化を飲み込めるような形まで未来が成長した所でこの第1巻は終わってます(これだけで完結してるエピソードです。あとがきによると、当初の予定ではこの1冊で終了の予定だったのが、あれやこれやと全10巻のシリーズものになったのだとか)。異文化交流もの、相互理解ものとしても非常に『マリみて』的で、僕としては大満足の1冊なのでした。
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また、キャラクターの魅力でも楽しませてくれます。84年刊行だけに用語、時事ネタ辺りが色々古いんですが、太陽族(笑)に憧れて50歳間近に再燃して家族を振り回す未来のお父さんとかかなりロックだし、その他少年少女達も友情あり、恋心あり、百合(当時は「S」と言ったそうです(笑))ありで、楽しませてくれます。僕的にはうららにあこがれてる杉丸さんがステキ。乙女乙女してるのに適度に自分の世界の方につっぱしって言っちゃう様がステキです。冒頭に華雅学園が舞台でソロリティーなんていう山百合会的な集団が出てきた時は『マリみて』なのか!?と思ったけど、後半で舞台が森戸南女学園とシャッフルされてからは、お嬢様に加えて普通のVividな少年少女達も加わって魅力全開で動き出してきて、本当楽しめました。
何気に久美沙織さんの小説は『小説版ドラゴンクエスト』シリーズ(4以降)以来なんですが(そういう意味では幼少の頃読んでたという点で久美沙織さんは僕のルーツの一つかも)、がっつり楽しめました。
しばらく『丘ミキ』に没頭する日々が続きそうです。皆さん見捨てずについてきて頂ければ幸いです(^_^;。というか『マリみて』大好きっ子はこの1巻だけでも読んでみては。同じような成分を補給できると思いますよ。一緒に、しばし久美沙織『丘ミキ』ワールドに旅立ちましょう。

『丘の家のミッキー』シリーズ

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