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 「このままでいたいのに……みんななんだかどんどん変わっていくでしょう?変わるたびに、何を残して何を切り捨てるのか、決めなくちゃならないみたいなのがいやなんです。自分が捨てられるのもいやだし、比べたくないものを無理に比べて優劣つけるみたいなのが、とても怖いんです……!」(未来)

 この部分の未来の台詞の通り、今巻でスポットがあたるのは、「変化」の是非。何ものも変わらないではいられないという一つの真理に、中学生の少女がどう折り合いをつけるのか。ラスト部分で描かれる未来が得た気づきは、誰もが一度は通るものといった感じです。いやー、青春だ。
 いきなり青春時代に考えるような哲学的な話から入ると、「選択」することは「変化」することと同義なんですねぇ。ここまでの物語でずっと主人公の未来は「温室」的な華雅学園に進学するか、「野」的な森戸南女学園に進学するかという進路問題に悩んでいたわけですが、今巻ではその「選択」の前哨戦として、華雅学園の文化祭に出席するか(華雅を象徴)、朱海さんの皆伝のお祝いのお香の会(森戸南を象徴)に出席するかの選択が迫られるわけですよ(日にちとしてダブルブッキンブ)。そういう状況に置かれて、上記引用の台詞が出てくるわけですね。「丘の家」の近くの小さな海で仲間と楽しくボートで過ごす時間は、やがて終わってしまう。そのことに未来は恐怖を覚えるわけですよ。その時間の終わりと共にやってくる、華雅か森戸南かを選ばなくてはならない選択、「選択」することはどちらかに優劣をつけて片方を切り捨てることで、未来はそのことに恐怖するわけですよ。今はどちらも大切なだけに。

 このある種の恐怖を乗り越え得る「気づき」を、今巻のラスト部分にて、平安時代から幾多の時を超えて未来の前に置かれた香木を未来が「聞く」場面にて未来は得るわけですが、そのシーンは神秘的で美しいんで、敢えて答えは語らずに直に目撃されることをお勧めします。このお香のシーンはマジで凄い。筆致が神がかってます。久美沙織恐るべし。「時が匂う」なんて表現、中々出てこないし、こんな哲学的だけどどこかジュブナイルな悟りを詩的に表現する文脈にちゃんと組み込んで言語表現で表現しきってる所が凄まじい。この未来が朱海さんのお香を聞く場面の3ページくらいは何度も読み返してしまったよ。いやー美しい文章だ。

 そんな感じで、トコや麗美さんに象徴される華雅に、うららや杉丸に象徴され、また他のクラスメイト達との漸進的な友情構築劇を経て森戸南にも……とそれぞれに居場所ができあがってきて、双方が大事だからこそ、ミシェールとしてのアイデンティティもミッキーとしてのアイデンティティも大事だからこそ悩み抜かねばならない未来が、舞台を華雅学園に移そうという所で次巻へ。次巻サブタイは「永遠の麗美さま」ですよ。今巻心持ち森戸南サイドの話が多かったんで、次は前巻の麗美さま伏線(未来に服を全部くれたエピソード)もあるしで、華雅サイド中心のお話かなぁ。楽しみ楽しみ。いやー、本当面白いわ。傑作少女小説の予感……とか僕が言うまでもなく、時を超えて新装版で復刊されるほど名作と評されている作品です。


『丘の家のミッキー』シリーズ


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