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 「いちごさんはいちごさん。お姉様ができたとしても、私たちの友情は変わらないでしょ?」

 ミステリ風のお話大好きの緒雪先生による、やっぱりミステリっぽい短編が一つ。以下、「四月のデジャブ」ネタバレ感想です。
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 ミステリの形式としては、一人称の語り部の主観の方に問題があるタイプのトリックが仕掛けられてるタイプのお話。あんまりコバルト読者層と重ならないような気がするけど、『京極堂』シリーズとか、『ひぐらしのなく頃に』なんかで使われてるタイプのトリックと言えば、知ってる人には分かりやすいでしょうか。

 今回も主人公で一人称語り部になってる鈴本いちごさんは、事故によって長期入院していたという設定上、主観がちょっとあやふやな所があって、それゆえにデジャブという怪奇を呼ぶんだけど、まあ、『京極堂』シリーズや『ひぐらしのなく頃に』ヨロシク、最後はその怪奇が、現実的なロジックで主観の方にこれこれこういう齟齬があったんですよと解体されて終わるという、そんなミステリですよ。

 そんな、語り部のいちごさんの主観を惑わす最大のトリックが、鈴木二葉さんと鈴木一絵さんが本当の姉妹だったという、双子トリックばりにミステリ的に必殺技だったのが熱いです。しかも、姉の一絵さんの方が一年で成長して手足が伸びてたからパっと見分からなかったとか、かなり必殺技的。

 でも、今回の短編では「デジャブ」というギミックで描かれてますけど、内容は『マリア様がみてる』で何度も繰り返し描かれてきたリフレイン演出が使われたお話ですね。幾年の時を超えて想いが受けつがれてきてるリリアン女学園という舞台設定を生かして、過去と、現在とでイベントがリフレインして、その時の流れの中で伝えたいテーマを浮き彫りにするという、例の手法です(代表的なのだと、『いばらの森』で、過去の学園長と須加星さんの関係と現在の聖さまと栞さんの関係をリフレインさせてお話を展開したのや、『パラソルをさして』で、過去の祥子さまのお祖母様と弓子さんの関係と、現在の祐巳と祥子さまの関係をリフレインさせてお話を展開したのなど)。

 今回は一年間という短いスパンですが、一年前のいちごさんと一絵さんの関係と、現在のいちごさんと二葉さんの関係がリフレインされて描かれ、最後に一年前に一絵さんからかけられた言葉と同じ、

 「いちごさんはいちごさん。お姉様ができたとしても、私たちの友情は変わらないでしょ?」

 の言葉を今度は現在において二葉さんからかけられることによって、テーマを浮き彫りにしているという。

 一番伝えたかった部分はこの台詞に凝縮されてるんでしょうね。『マリア様がみてる』では、その一人に入れ込むあまり、視野狭窄になって嫉妬に陥ってしまう状態がちょっとネガティブに描かれて、そこから回復する過程を物語として描くお話が多いので(代表は『レイニーブルー』〜『パラソルをさして』)、今回も、一瞬そんな視野狭窄による嫉妬心にかられてしまったいちごさんが、リフレインされて二回も届けられた、個として自立した友情を喚起する台詞によって、嫉妬状態から解放されるお話です。何気に、嫉妬の克服法としては『マリア様がみてる』は到達点を描いていると思います。『くもりガラスの向こう側』にあった由乃の、

 「気持ちをしまっておく部屋が違うんでしょ、それは」(島津由乃)

 の台詞なんかに通じる所ですが、心の中に部屋が一つしかなくて、その部屋を一人の人でいっぱいにしておきたいという見解にたってしまうから、その大事な人の心の部屋に自分以外の誰かが割り込んでくると嫉妬してしまうんですよね。

 ところが、『マリア様がみてる』で提唱してるのは、心に優劣の無い複数の部屋を持っているという内面観。今回で言えば、一絵さんにしろ二葉さんにしろ、一つの部屋に自分以外の人が入ってくるのが許せない!嫉妬しちゃう!という状態だったいちごさんに対して、一絵さんと二葉さんからリフレインされて届けられた言葉によって、お姉様が入ってる部屋と、友だちが入ってる部屋は違うじゃない、だから、嫉妬なんかしなくていいのよ?という気づきがいちごさんに与えられるお話。なんか、一見ドライな感じも受けるけど、物語を通して丁寧に描かれてるだけに、こういう人間関係観いいよなーと思って、最近は僕も共感しながら読んでます。やっぱり、『マリみて』はいいなー。

Cobalt (コバルト) 2007年 04月号 [雑誌]

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