以下、『マリア様がみてる』新刊『薔薇の花かんむり』の、相変わらずの長い(笑)ネタバレ感想です。
あとがきに書いてある通り、今巻だけでは解決していない問題が、パっと考えただけでも、
・朝に髪を振り乱して登校するまで、祥子さまは前日に何をやっていたのか。
・祥子さまはどうして突然勉強をはじめていたのか。勉強の内容は。また、途中でまたしなくなったのは何故なのか。
・柏木さんが祥子さまの家に最近頻繁に行ってるらしいのは何故か。
・burn one's bridgesと、背水の陣を敷いた祥子さまは何を決めたのか。
・「金曜日」に祥子さまが学校を休んだのは何故か。
・演劇の練習中に瞳子と典さんがすり傷だらけになってたのは何故なのか。
などなど……と沢山あって、簡易ミステリにチャレンジ的な楽しみを読者に提供してくれてる巻でもあるんですが、僕、マリみての簡易ミステリ見破った試しがないんで(志摩子さんのカードの在処も、「ドッペルかいだん」のアリコの正体も見破れなかった)、今回は特にその点には触れずに、相変わらず内容の方の感想で、三点ほど。
●またもや「嫉妬」に関するお話が描かれている
『マリア様がみてる』作中でよく題材に扱われるのが、この「嫉妬」という感情にどう対処するかというお話。「レイニブルー」〜「パラソルをさして」では祐巳が瞳子に嫉妬して祐巳と祥子さまの関係が崩壊しかかりましたし、妹問題とか、誰が誰を好きかとかのお話にも、要所要所で必ず関わってきますし、短編なんかでは嫉妬のせいで崩壊してしまったカップルのお話なんかまであります。だけど、この「嫉妬」の攻略法に関してははマリみては既刊で既に到達点を描いていて、今回はその確認みたいなお話。
マリみて作中で描かれてる嫉妬の克服に関しては前巻『フレーム オブ マインド』の感想の時に「四月のデジャブ」の所の感想で書いてるので、詳しく読みたい方はそちらを参照にして頂きたいんですが、簡単に言えば、心の中で、大事な人を入れる場所を棲み分ける……という対処法ですね。今回も演劇部の部長の高城典さんが、「愛情を計れる機械」という比喩を持ち出して、祐巳へ嫉妬を向ける様が描かれるんですが、とりあえず、「愛情を計れる機械」で祐巳と典さんの瞳子への愛情のレベルを計ろうとしていた典さんは、『くもりガラスの向こう側』の由乃の台詞の例を取ると、瞳子の心の中にある同じ部屋に祐巳と典さんを入れて、どっちが上かを競おうとしていた状態。この状態は嫉妬を生みます。
けれど、祐巳との対話を経て、典さんの心情も、
「愛情を計れる機械なんて、ない方がいいのよね」(高城典)
と変化。この変化後の心情は、由乃の台詞の例を使って言えば、瞳子の心の中で、祐巳と典さんは入ってる部屋が違うと受け入れられた状態。瞳子の中で、姉という部屋には祐巳が入っているけど、自分は演劇の同士という部屋に入って、その場所から最高に瞳子を輝かせてみせる、という典さんの決意。
で、実際に典さんは瞳子を輝かせてみせるわけですが、その典さんプロデュースの瞳子の劇を見て祐巳が感じたのが、
でもその嫉妬は、決していやなものではなかった(P178)
なワケですよ。
「嫉妬」の克服法に関して描いてきた部分も、このシーンで決着と解釈してもいいような場面です。瞳子の中で祐巳と典さんは入ってる部屋が違うから、瞳子を輝かせる典さんに対して、自分にはできないことをやってのける典さんに嫉妬は感じるんだけど、逆に祐巳にだけできることがあることも知っているから、心の部屋の棲み分けができているから、その嫉妬は「いやなものではない」という決着。何度か書いてるけど、マリみては嫉妬の克服法に関しては一つの到達点を描いているような気がします。
●瞳子と演劇に関する暗喩
瞳子と演劇に関しては、その演じる役や題目とリンクして、作中で何らかの意味があると思われるんですが、『マリア様がみてる』でもっとも解釈が難解な部分であったりします。とりあえず、これまでキーになってきた、『若草物語』に関して、瞳子=エイミーであって、ジョアナだとは思われたくないと思っている(思っていた)。で、祐巳は原作と違って陽気なベス……という部分に関しては、『大きな扉 小さな鍵』の感想の時に解釈を書いたので(他にもちょくちょく書いてましたが)、そっちを参照にして欲しい所です。
で、今回は瞳子はヘレン・ケラーを演じるんですが、エイミーの時と違って、今回は役に打ち込むにあたって、「現実と虚構の境界をきっちりと分けたい」「まだ乾いていない絵の具の隣に別の色を塗って違いに色がにじみあうのが嫌みたい」という雰囲気を抱えてかなり練習してるということが、乃梨子の口から語られます。祐巳を除くと一番の瞳子の理解者である乃梨子が語っているので、作中でも信憑性がある、というかその通りなんだと思うんですが、どうしてエイミーの時はそうではなくて、今回のヘレン・ケラーの時は瞳子がそういう状態になったのかというのが、非常に解釈が難しい所。
まだ、『奇跡の人』の練習中に瞳子と典さんがすり傷だらけになってた謎が明かされてないので、今の時点で解釈するのは難しい部分なのかもしれません。一方で、ヘレン・ケラーの「Water」の部分は、シンプルに今まで「分かって欲しいけど同情は買いたくない」とか、「両親の実の子供じゃない」とか、もろもろの祐巳の妹になるにあたっての障害になる要素から、どこか心理的に閉じこもってた所があった瞳子が、『あなたを探しに』まででそれらの負荷が取り除かれ、今回晴れて祐巳と姉妹になったことで、外界との繋がり、パスを持つに至った……というのを、ヘレン・ケラーが言語のシニフィアンとシニフィエの対応の理解を通して外界と通じたシーンをもってシンクロさせて表現してるのかな?とも思いました。
でも、だからといって、その劇を成功させるために、「現実と虚構の境界をきっちり分けたい」というスタンスに立つ必要が何故あったのかという点に関しては、中々答えが導き出せない部分。瞳子の演劇に関するメタファーの部分はやっぱりすげー解釈が難しいなぁ(;´Д`)
●妹が出来たことで、祐巳と祥子さまの自立のお話も佳境へ
これから、こうやって二人は並んで歩いていくのだ。
大丈夫。
あいた左手には、まだ祥子さまの手のぬくもりが残っている。
聖さまと志摩子さんの「片手だけ繋いで」をちょっと重ねた場面だと思われますが、祐巳と瞳子も両手を繋いだ依存関係ではなくて、片手だけ繋ぎながら「並んで」いる関係で姉妹になれたものの、祐巳のもう一つの手にはまだ祥子さまのぬくもりが……という部分。
近刊でも、まだ祐巳は祥子さまが本当に卒業していなくなってしまったら自分はどうなってしまうんだろう?みたいに思い悩む場面が何度も挿入されており、このお姉さまの卒業問題に関する、これまでマリみてで描かれてきた帰結、「離れても関係性は残る。だからお互いに自立して、笑顔で送り出せる」状態まで祐巳と祥子さまは辿り着けるのか?というのが卒業イベントを間近に控えた作中での一大ポイントになっていたわけですが、とりあえず今回はまだ祥子さま視点が伏せられていて祥子さまの方の心情は分からずとも、頼りになる新しい妹達との関係を通して、祐巳視点では、
けれど、今はここにいる。
お姉さまの送別会なのに、泣かずにいられる。(P194)
いつか終わりがくるとわかっているけれど。
こうして仲間に囲まれて、このままずっと踊っていたかった。(P195)
と思えるまでに、祐巳の方は変遷してきたみたい。
お姉さま=世界だった頃の祐巳ではもうまったくないということですね。仲間や妹といった新しい要素が増えて、由乃の言葉を借りるなら沢山の部屋を作ってきたことで、祐巳の方は祥子さま離れ(「卒業」という区切りの表面的なモノ、関係性はずっと残るということが、これまでのお話で十全に伝えられている)の準備ができつつあることが描かれています。「パラソルをさして」で、「もっと視野を広げなきゃ」と祐巳が悟った名場面がありますが、アレからこれまでの物語を受けて、祐巳もここまで来たわけですね。
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●おまけ:今巻のホワホワ要素
・志摩子さんが面白キャラになってきてる件
「私、飲むわ」(志摩子さん)
「私、踊るわ」(志摩子さん)
お姉さまと妹に対して、それぞれきっちり関係性を保とうと自分からアクションしてる、どこにでも飛び立てるように身軽でいたかった志摩子さんが随分変わってきたものだ……というイイ場面でもあるんですが、関わろうとするアクションが面白すぎる。
・「お姉さま」(瞳子)/「瞳子」(祐巳)
お互いの呼び名が変わるという、王道の技なんですが、見事にやられていました。初めて瞳子が祐巳を「お姉さま」と呼んで、祐巳が瞳子を「瞳子」と呼び捨てにする所は、読んだ後無意味に床を転がり、部屋を一ターンしてからまた読み返し、もう一回転がって、また読み直し……くらい悶え悶えして読んでました。な!な!そうだよね!ね!(同意を求めるように)
・髪下ろし瞳子
これも気になるあの娘が今回は意外なビジュアルで……的な王道の技なんですが、見事にやられていました。登校シーンで文字で描写された所から悶えていて、バイオリン演奏シーンのひびき玲音先生の挿絵で完全に陥落しました。いいよね!ね!(同意を求めるように)。と、というか、普段なんでドリルなのかの方が意味が分からん(;´Д`)
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この芝居は、ヘレンがけもののように暴れまくるので、どうしてもヘレン役とサリバン先生役の人はすり傷等を作ってしまうそうです。
マンガだと「ガラスの仮面」で主人公のマヤが演じていました。