今更ですが、『魔法少女リリカルなのは』第一期全13話をDVDで視聴したりなんぞしておりましたので、簡単にネタバレで感想をば。
もう、ガールミーツガールの少女作品の傑作ですね。なのはとフェイトの関係に絞って丁寧に描いているので、ラスト2と最終回のついにヒロインの少女二人が合流する所の熱さとエモーショナルな感動が異常。
対立する立場で現れたフェイトに、なのはは持ち前の明朗さで解り合いたい、友だちになりたいオーラを発して正面から向き合い続けるんだけど、フェイトの方にも背負っているものがあるので、もう、心の奥底ではなのはからのサインを受け取りたいのが見え見えなんだけど、頑なに対立せざるを得ない……という必然のすれ違い劇の繰り返しで物語が進んでいくのね。
だけど、そのフェイト登場からずっとなのはが対立しながらもフェイトに友だちになりたいというサインを発し続けていたのが、最後にちゃんと意味を持って、ラスト2と最終回に収束していく様が、本当に綺麗だった。
ラスト2からの展開が神。
フェイト、自分がアリシアの写身だったと知って精神崩壊
(母親からのアイデンティファイの崩壊←これは小学三年生にはマジで辛かろう)
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母親以外に自分に向き合い続けてくれたなのはの存在を思い出す
(なのはからの再アイデンティファイ←すれ違いながらなのはが発し続けたサインがついに届く)
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フェイト復活(ここで挿入歌が開始)、砕けたはずのバルディッシュがリカバリして、作中で初のビジュアル付きのフェイト変身
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フェイトなのはの元へ、フェイト・なのはの共闘がついに実現
ここまでの流れが熱すぎる。
すれ違い劇の途中にあった、なのはは自分の名前をフェイトに伝えるんだけどフェイトは呼んでくれなかったという伏線を生かして、最終回のついにフェイトが正面からなのはを見てなのはの名前を呼ぶというエンディングも綺麗。
早すぎた少女時代の終わり、母親からの無条件のアイデンティファイなんてのは実は虚構だったと、小学三年生の少女(フェイトのことね)が自立を迫られてしまうのだけど、
「本当の自分を始めるために、今までの自分を終わらせよう」(フェイト・テスタロッサ)
と逃げなかったフェイトがカッコ良かった。この台詞で涙を流しながら最後の変身をする所が、挿入歌とかの演出も相成って本当感動的。そして、そうやって母親への依存を断ち切る形での自立っていう、小学三年生にはあまりに過酷なイベントに投げ出されてしまうんだけど、側にはなのはがいてくれたっていうラスト。もう、感動ですよ、感動。
もう、最終回のなのはとフェイトのやりとりは(悶えて)転がりながら見ていた。一旦お別れするラストなんですが、また会えるよねってお互いのリボンの交換をしたりするんですよ。フェイト良かったのう、なのは良い娘じゃのう、と良質の少女小説を読み終えた後のような清々しい読後感(視聴後感)。
もうこれで完成している気がするけれど、三期まで続編ありで劇場版も制作中ということで、しばらくおっかけて見ます。
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