
写真はPC(仕事用)脇にぶら下がっているW桃園さん。
相羽さんはせつなさんパッションさん言いつつ、二つも買いそろえるほどの隠れ桃園派だったのか!? という感じなんですが、一つはガチャガチャで偶然当てた物。もう一つは友人からプレゼントされたもの。べ、別に集めようと思って集めた訳じゃないんだからね!
シロクマ好きはだいぶ知られているので、相羽さんにプレゼントするならシロクマ関係なら外れないと思われているフシはもう数年前からあり、頂くプレゼント、頂くイラスト、シロクマ関係が多く、僕の部屋のシロクマ度は相当高いレベルになっているのですが、最近ではプリキュア好きも知られてきたらしく、プリキュア関係をプレゼントしておけば間違いがないと認識されつつあります。そしてダブった桃園W。なんとなく、立ち回り的に桃園さんで良かった。
さて、一気に真面目な方に話が飛ぶのですが、「同じ姿の少女が二人」というのは、少女創作上長年描かれてきた外すことができないモチーフです。
去年完結したCLAMPの『ツバサ』に、真・さくらと写身サクラ(二人とも同じ姿)が百合っぽい感じに描かれているCLAMP絵の扉絵という神イラストが二箇所ほどあるのですが、同位存在が描かれる少女画というのには、何かしら普遍的な魅力があるようです。
この辺りは、ドッペルゲンガーの伝承が成立した人間の心理的背景なんかも掘り下げると関係してくると思っていて興味深い所なんですが、分かりやすくは、女性が「鏡を見る」という行為が成立したあたりから起源を捉えると解釈上面白いのかなと思っています。
自分自身を映していながら、鏡に映る姿に理想を、今いる自分は現実に、そういう少女の姿は美しい。こう捉えると、長年個人的に主張している、少女小説のコアは「内面の理想と現実のギャップ」という僕の話にも関わってくるお話です。
実はプリキュアシリーズでも、「5」の時に、中盤のクライマックスでこのモチーフが使われていたりも。現実に埋もれて絶望した偽うららに、真うららが引きずり込まれる、みたいな絵があった中盤のクライマックスあたり。それと、そのまんま「鏡」がモチーフに使われて、過去の自分と今の自分、未来の自分(夢)が表現された劇場版「鏡の国のミラクル大冒険(←これ、哲学度ではプリキュアシリーズ屈指だよね)」。そして全てを突破してみせて全員救い上げた夢原さん。「夢原さんだけ鏡の中の自分(闇夢さん)を救い出してしまう」は半端ない哲学度だった!
そんなこんなで、「同じ姿の少女二人」は僕も描いてみたいモチーフなのでした。夏に出したい「Ontological Girls Fiction vol.1(仮)」っていう少女画集には、1枚入れてみたいなぁ。
![映画Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!【通常版】 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61jw6c4NdmL._SL160_.jpg)
映画Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!【通常版】 [DVD]