ヴィヴィオもアインハルトも、外見だけ大人モードに変身できる、だけど中身は子どものままというのが、それぞれ理想と現実のギャップに対応してる点でまっすぐな魔法少女ものなんだという感想は、第1話の感想を書いた時とやっぱり同じです。
たださらにこのVividが練り込まれてるのが、さらにヴィヴィオとアインハルトが、古代ベルカ時代の王様の生まれ変わり(のようなもの)であるっていう、奥にもう一層ある点なんだよな。
聖王女オリヴィエ-ただの高町・ヴィヴィオ-大人モードのヴィヴィオ
覇王イングヴァルト-ただのアインハルト・ストラトス-大人モードのアインハルト
と、メインの二人が三重のアイデンティティを持っているという構成。しかも過去代のオリヴィエとイングヴァルトは恋仲だったっぽいという。
で、StrikerSでゆりかごの鍵だったヴィヴィオを、なのはさんが命がけで助けて高町・ヴィヴィオとして迎え入れたので、StrilerSは聖王女オリヴィエに捕らわれない、高町・ヴィヴィオとしてのアイデンティティをヴィヴィオが獲得する物語でもあった。
そう思うと、だいぶこの巻のアインハルトの感情は分かるんだよな。覇王イングヴァルト時代の記憶が残っているアインハルトには、まだベルカ時代の聖王女オリヴィエとの因縁が終わっていない。アインハルトはまだアインハルト個人のアイデンティティがないのに(カイザーアーツは自分の存在理由の全てだとこの巻時点では言っている)、ヴィヴィオは最早聖王女オリヴィエとしてのアイデンティティは昇華して、高町・ヴィヴィオとして生きている。それを最初の一戦で悟ってしまったからこそ、もう振り上げてしまった覇王イングヴァルトとしてのアイデンティティを受け止めてくれる人間がこの世界には誰もおらず、孤独に陥ってしまう。
という訳で、そこから描かれる、なのはさんとフェイトの関係リフレインのような、アイデンティティの救済劇。世代を超えた、ガールミーツガール。
彼女は覇王(わたし)が会いたかった聖王女じゃない。だけど“わたし”はこの子と戦えたらと思っている。(アインハルト)
ただのヴィヴィオが、覇王イングヴァルトではない、ただのアインハルト・ストラトスの生きる理由になる。都築真紀さんの脚本は完璧過ぎて怖いくらいだな!
また、アインハルトに「伝わる」きっかけのヴィヴィオの猛攻を後押ししてるのが、StrikeSの物語だというのも世代交代ものの醍醐味がある。なのはさんに強さと勇気を教えて貰ったからっていう回想シーンが熱い。なのはさんがアイデンティティロストしたフェイトさんに正面からぶつかっていったように、娘のヴィヴィオもアインハルトに正面からぶつかっていくという構図。この作品はまぎれもなく、無印〜StrikerSと繋がっている第4期だと思うのでした。
魔法少女リリカルなのはViVid (1) (角川コミックス・エース 169-2)
娘TYPE ( にゃんタイプ ) Vol.5 2010年 03月号 [雑誌]
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