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30話の感想で、
ざっと、左側が保護者的(親的)な人、右側が保護される側的(子的)な人という対応関係で、
・月影父−ゆりさん
・ゆりさん-ゆりさんの妖精
・いつきさん-ポプリ
・はるかちゃんのお母さん-はるかちゃん
という関係があるんじゃないかという話を書いたのですが、その後、さらにもう3層ほど関係する似たような関係が作中には描かれていて、全体としてかなり縦に一本通った作品のテーマを表現してるのかなーと思い至ったのでした。
まず、追加分1層目として、
・花咲さんの両親-花咲さん
という関係も作中には盛り込まれています。
はるかちゃんのお母さんが仕事優先ではるかちゃんのことどうでもよくなったんじゃないか? 同じように月影父も自分の仕事(使命)優先で、娘の月影さんのことなんてどうでもよくなったんじゃないか? というのが盛り込まれていた話だったんですが、ここに逆に、両親が自分達の仕事優先で花咲さんのことを忘れかけていたんだけど、ギリギリでその花咲さん孤独エンドを回避して、仕事よりも娘を優先して鎌倉からこの街に引っ越してきた……というプレ第1話的な花咲家の物語も重なるということに気付きました。
つまり、もしかしたら親に優先されなかった月影さんと、幸せなことに親に優先して貰えた花咲さん……という対照。
これは、月影さんを救う役所、本命は主人公特権を差し引いても花咲さんな気がしてきたなー。親に優先されて愛情を受けている分、優先されなかったかもしれない人に何らかの形で与えるものを、花咲さんは持っている気がする。花咲さんは引っ込み思案詐欺で、実はめちゃめちゃタフなんですが、この辺りはプレ第1話において、両親の選択で既に救われているからと考えるとだいぶしっくりきます。
そして追加分2層目として、
・三浦くんのエピソード(ラーメン屋さんの回)とか、なみなみ回とか、ハートキャッチはゲストキャラのエピソードも、親が遠くに行ってしまう(行ってしまった)ことに由来する精神的な危機を描くという話が多い
この話のはるかちゃん親子の話に、本軸の月影家物語に限らず、ちょっと何の意図もないとは思えない割合で入っています。
で、それらの全てに、親の選択でそういった子としての精神的な危機が訪れるのを回避した花咲さんが、堪忍袋の緒を切りながら、通りすがりのプリキュアノリで、ハートの問題のギリギリの部分は守っていく……というストーリーライン。何か、花咲さんが異様にカッコよく思えてきました。精神科医の方が患者さんより100倍キツイみたいなことはよく言われる訳ですが、花咲さんがハートを守れる側にいられるのは、既に両親の選択で一度自分のハートは守られたから、みたいな。
そして追加3層目として、
この親と子の話が、そのまま作中に散りばめられている世代ネタや花を中心とした植物モチーフに対応しているということ。祖父母-両親-私……みたいなのが、植物の種-つぼみ-花-また種……みたいな循環と比喩的に対応して描かれているのは明らかなので。
そう思うと親が子を優先するか、大事に想うか? という上で書いたように縦軸にある話も、これに対応して主題を表現しているんだなということが見えてきます。もし親が子を大事に想わないのだとしたら、それはつぼみがそこから咲く花を否定し、花がそこから生まれてくる種を否定するようなもの。それは、作中でも作外でも、やはり悪いことのように思える。プリキュアシリーズ的にも、夢原さんが最終回で言っていた「(連鎖していく循環による)本当の永遠」を否定してしまうものだから。
という訳で、親と子のお話から、ある種生物学的哲学的(というより、大昔の神話とかからこの植物や自然の循環を、人間がどうこう、世界がどうこうという話と比喩的に結びつけるものは世界各地に沢山あるのですが)お話までに何層にも広がっていて、どんどんリンクしていく作劇を取っているハートキャッチは、かなり骨太に「物語」してるよなーと思ったのでした。この辺りが凄いハートキャッチが好きな理由かなー。
この世界がどうこう、生命循環がどうこうという話まで奥行きがある中で、もし月影家が親が子を優先しないで破滅してしまうのだとしたら、その奥行きにある全てもダメになってしまう。それを花咲さんが回避してみせる、守ってみせる……という話なのだとしたら、もの凄くドラマチックだー。
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