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・響さんの特性が、物語冒頭では「筋力・運動」なのに対して、最終回時点では「音楽」へと変化してるのにはたぶん意味がある。
・「筋力・運動」は、オリンピックでNo.1目指そうぜそれ最高! というような「より強く、より速く、より大きく」が価値原理な「近代」の枠組みに属する属性。一方で「音楽」の方がたぶんこれからの時代にはこっち側の要素が必要なんじゃないの? と作り手たちが提示したかったもの。
・「筋力・運動=(より強く、より速く、より大きく)」的な近代型原理は、必然として競争を是とする。「幸せのメロディの歌い手という一つの座をゼロサムで奪い合う」「リーダーの座をゼロサムで奪い合う」「お菓子のコンテスト」などなどで作中に盛り込まれていた問題提起的要素。
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・競争や強さの追及が人を強くするのは否定できないけど、一方でその方向性は「孤独・断絶」と繋がってしまうというまさにスイート文法的な側面がある。「より強大に」を目指して競争すれば、限られた枠を奪い合ってライバルを蹴落とすわけだから、そりゃ孤立もする。強さを追及する過程で所属する共同体も代替可能なものになるので共有体験も生まれにくい。そして、多くの人は特にそのことに自覚的にもなれない。「どうしてこんなことになったんだろう……」。自分でもよく分からないまま奏さんや家族と破たんしたまま一人でダンベルの上げ下げするしかない響さんと、「幸せのメロディの歌い手」という座を目指して競争した結果ハミィと断絶してしまったぼっちエレンさんが、もう誰もいない調べの館で出会う……という第一話は完璧だと思う。
・個人的にも、もうより強くなるために努力してもっと頑張れば幸せになれます(きりっ)と言われてもピンとこない。強くなれないまま断絶した弱者たちが累々と横たわっているのに、そこに目を背けたままマッチョやポジティブだけを唱え続けられない。
・思い出のレコードに象徴される「過去の共有体験」を媒介に響さんが奏さんや家族と連帯を取り戻し始める流れと、筋力や運動から音楽へと響さんの志向が変化していく流れが同期するのはうまい。上記の「ゼロサム競争と孤独がリンクする問題」に一つ区切りをつけたのは、たぶん山で修行回。自分たちでも訳が分からない座禅耐久競争をみんなで一斉にリタイヤしてしまい、「山に登る方法」を競争から個々人の特性を生かした連帯に変えて、山頂からの風景に到達する。奏さんは直接的にはまったく役に立ってないのに(声をかけることしかできない)、一緒に登ろうというのも優しい。
・「肉球フェチ」には「筋トレ」ほど象徴的な意味は感じないけど、でもなんとなく分かる。「響とケンカ中にハマってた」というのがポイントで、孤独だとそういうものにハマったりする、というのも分かる。たぶん、奏さんもそれなりに寂しかったのだ(ただ、響、エレン、アコが失ってた「家族」は最初から持ってる存在として描かれている。)。仲直りしてからは徐々に肉球ネタが減っていったのも分かる。確かに、部屋で肉球写真とか眺めてるよりは、友だちと色々やってる方が楽しい。
・ただスイートは優しいので、必ずしも「筋力・運動」の近代型原理をことさらに否定したりもしない。孤独だったから訳も分からずやってた筋トレだけど、そこで身に着けた筋力は役に立つ! という流れになる。また筋力・運動時代(助っ人で所属共同体はない)なりに、友人みたいな人も確かにいた。それが和音さん。
Rubygillisさんも書いてるけど、ダイレクトにテーマが胸に来るのは三十代前後くらいで、より迫真性を出すなら社会人二年目くらいの設定の方がダイレクトな作品だったかもしれない。
・就職競争をそれなりに勝ち抜いてみたけど、友人たちとは疎遠な状態。故郷の家族との連絡も途絶えがち。今も自己研鑚のためと部屋で一人資格の勉強とかしてるけど本人はその意味も分かってない。楽しかった学生時代に想いを馳せながら「どうしてこうなった……」。そして、別に誰も悪くないはずなのに、理不尽な現実は容赦なくやってくる。
・そんなある日、古びたCD屋さんで聴いたのは、昔親友と聴いていたあの曲だ。うざがられてもイイ、連絡取ってみよう……みたいな所から始まるお話。

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