なんで僕はこんなに氷室冴子さんの『雑居時代』が好きなのだろうと考えたのだけど、おそらく80年代末という時代背景に関係している気がします。
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 バブル期の資本の拡大というのは、大競争社会とリンクしていて、そういう社会的環境の中、主人公の数子は学生の範囲で、学業・偏差値競争社会の中を膨大な努力で勝ち抜いている。

 のだけど、そんな数子が抱いている理想は「運命の伴侶(譲さん)と結婚する」、という恋愛まで資本競争と結びついてしまった社会では一笑にふされそうな、たいへんオールドファッションド(オルコットの著作『An Old Fashioned Girl』より、邦題は『昔気質の一少女』)な「幸せ」の価値観。そこにこの作品の味があります。

 社会の方は容赦ないので、恋愛競争の中、譲さんは教え子の清香と結婚してしまい。あまつさえ最終的には、譲おじさんはより強く、より速く、より遠くへ、の近代原理に駆られていくかのごとく、シュトラスブルクへと行く話になってしまう。そこに、一昔前の「正しい」幸せが壊れていく悲しさと、それでもみんな競争しながら夢を追った、というバブル末期、80年代末の隆盛と黄昏が同居する独特の感覚を感じます。社会の話と個人の話がリンクしている。

 そんな社会の中では、家族とか無二の親友とか、一昔前までなら正しいと信じられた拠り所、価値観が揺らいでしまう。むしろ、胡散臭くさえ思える。

 だからこそ、数子、家弓、勉の三人が、独特の距離感で花取邸で雑居時代を過ごす、というのが奇跡的に映る。家族や親友礼賛とも、個々人バラバラに夢を追って競争しよう、とも違う、とても曖昧な関係性、共同体。だけど、きっと大人になった時に振り返ったら、楽しかったと言えるような、微かに残った真実性がある風景。

 通時的な視野があった氷室冴子さんが(歴史ネタ作品も書いてる)、歴史的な視点からは刹那なあの80年代末を、とても問題はあったのだけど、コメディとして温かく切り取ってやりたい、せめてこの作品の中では、という愛を個人的に感じる作品。

→小説電子書籍版



→漫画版も素晴らしいです(電子書籍)

雑居時代 1 (白泉社文庫)
山内直実
白泉社
2015-12-24