ブログネタ
スマイルプリキュア! に参加中!
 「豊島、手ごわいな」(日野あかね)

 スマイルプリキュア!第34話「一致団結!文化祭でミラクルファッションショー!! 」の感想です。
 ◇

 今回の見所ベスト2。


第2位:豊島くん

 この前「共有体験としての古典物語」という話を書いた後に、共有体験? みんな一緒? 俺はバンドがやりたいんだよロケンロー、という少年豊島くんのお話でした。うむ、体制への反逆とマジョリティーとは違う個を表現するぜロケンローでこそロック。スイート〜スマイルのテーマ的に、この問題は避けては通れないのかもしれない。共有体験がなければ人々は個に分断されて孤独になってしまうけれど、共有体験が押し付けになっては、個の侵害になってしまう。アンビバレント。

 今話の題材はファッションショーとしつつも、絵本、古典物語をモチーフにしたファッションショーという形になっていたので、実質共有体験としての「古典物語」側と、共有体験がマジョリティーの押し付けがましくなっては個として反逆したくなる「ロック」側との、折り合いをつけるまでのお話だったと思いました。

 一人一人がそれぞれの古典物語を選んで身に纏い、ああ私の物語、それぞれの物語大切、で一見めでたしめでたしのように思えます。実際、散々ポストモダン評論時代に言われていた相対主義の危うい点の話なんかはどこ吹く風、我々の現実も人それぞれを一辺倒に礼賛な人たちは溢れていたりもするように思います。

 そんな世情なので、当然一見まっとうな意見も出てくる。豊島はやりたくないんだから、放っておこうと。それが個を尊重することで、各々の物語を尊重することで、人それぞれ素晴らしい、と。

 だけど、スイートから繋がる問題意識上、そこで話は終われない。いや、行き着いた相対主義と個人主義、たとえば人生で『シンデレラ』しかしらない人と『桃太郎』しかしらない人との間にまったく共有体験がなかったら。『仮面ライダー龍騎』至高主義者と、『仮面ライダーカブト』至高主義者に、まったく共有体験がなかったら(え)。これは対話ができない。お互いが自分の個、自分の物語の方こそ最高だと言ってパワーゲームになってしまったら、ゼロ年代バトルロワイヤルのごとく戦うしかなくなってしまう。やはり、対話のキーとして、どこかに「共有できるもの」を求めて、お互いに共有しておくことは必要ではなかろーかというような。

 ここで話飛びますが、この前TJさんのTwitterで今更はじめて知ったのですが、『スマイルプリキュア!』のシリーズ構成の方って、『仮面ライダーディケイド』と同じ米村正二さんなんですってね。どうりでスマイルもメタ物語的な要素が強いはずです。そして、そう言われるとスマイルにも、確かに「個々の物語を繋ぐ」要素と、「そうして物語を繋ぐ過程こそが、また物語」要素が入っていると思います。だとしたらやっぱり、そうやって物語を繋いだ過程は虚構的だったかもしれないけれど、ホンモノだ! に持っていって欲しかったりもするのですが。

 そういう訳で、ロックがやりたいのも個としての豊島の当人の物語、尊重しましょう、個人的な我々最高、では話は終わりません。


 「私はこのままじゃ、なんか嫌だな」(星空みゆき)


 そうだった、個々人尊重でバラバラでオールオッケーだったら、何でスイートという作品を描いたのだ、と。ここに正面から向き合ってるのがプリキュアシリーズでした。


第1位:やがて終わるメルヘン時間でも、私たちは一緒にいた

 回答は、各々の物語を纏ってファッションショーをやりながらも、豊島くんは自分の個であるロック(というかバンド)でちゃんと自分の物語も生かしながら、共有体験としてのクラスの出し物にも参加、というものでした。理想的です。こういう風景が訪れることがあったならと願わずにはいられない。

 さらに、各々の物語で、ダンスをやりたかった子はダンスを取り入れながら参加したり。ダンス、ファッション、音楽、古典物語(絵本)です。やはり、フレッシュ以降のプリキュアシリーズ、それぞれの物語も意識されるように描いていると感じます。各々の物語を尊重しながら、それらを紡いでいくという共有体験としての物語を、どこかで願ってる、というような。

 そんな幸せな、理想的なメルヘン時間を飾る、ピーターパンの豊島くんとシンデレラ(かな。一瞬ウェンディかとも思ったけど、一番有名なウェンディの衣装とは違った気がする)のみゆきさん、という絵。共通してるのは、「メルヘン時間にはやがて終わりが来る」。劇中の学園祭というメルヘン時間にもやがて終わりは来るし、スマイルプリキュアという作品のメルヘン時間の物語にも終わりが来るし、プリキュアシリーズも来年の10年目で終わりだったり一区切りだったりするのかもしれない。だけどたぶん、そういったメルヘン時間や児童時間は、たとえば第19話のやよいさんの幸せだった頃の児童時間の記憶のように、いつか厳しい現実に立った時に何かを贈ってくれるものかもしれないから、だからせめて、その時間は「みんな一緒」にいたい。だから、豊島君もこの時間だけは共有していてほしい。だから、関わることをやめなかった。それは例えば、たいした動機もないはずなのに、会いに行くことをやめなかった夢原さんを連想したりもする。

 明示的に描かれるかは分からないけれど、みゆきさんも転校してくる前は孤独な時間を持っていたのかもと補完すると、よりドラマチックです。


補遺:またはじめていくために

 前回の、バッドエンド空間で監督がやる気(創作意欲)を失ってたのは大きいと思いました。永遠に続く怠惰なメルヘン側に行っちゃうと、たぶん「新しい物語」が生まれてこないのですよね。

 そういう意味で、また新しい何かを作り続けるためには、その前の物語は終わるのが必然とも言えるのかもしれません。次世代へ続いて行くことを是としている以上、新しい物語の創出をシリーズとして否定するとも思えないので、新作なり一区切り後の別コンセプトなりのために、やっぱりプリキュアシリーズは10年で終わりないし何らかの形で一区切りなのかな、などとは推察してしまいますね。


補遺2:「ナ〜ル」シリーズはこれだから

 次回のロボは予告だけで(笑い)死にそうになりました。

→色々

スマイルプリキュア! ボーカルアルバム2

スマイルプリキュア!  【Blu-ray】Vol.1
スマイルプリキュア! 【Blu-ray】Vol.1

→前回:スマイルプリキュア!第33話「映画村で時代劇でござる!?の巻!」感想へ
→次回:スマイルプリキュア!第35話「やよい、地球を守れ!プリキュアがロボニナ〜ル!?」の感想へ
スマイルプリキュア!感想の目次へ