ドキドキ!プリキュア公式サイト(朝日放送)

ドキドキ!プリキュア公式サイト(東映アニメーション)

 一字目が「相」、「菱(四方と関係ある語)」、「四」と、二元論系が基盤というか陰陽思想系のモチーフというか、そんな感じなんですかね。

 スイートにもそういうモチーフはありましたし、哲学の話で一元論的世界観か二元論的世界観かと言えばプリキュアシリーズは二元論的な側に感じますしね。さらには二字目は「田」、「川」、「葉」と自然物で、主人公の名はマナ。実際に現実の世相的にも自然物を名前に付ける親は増えてるらしくて、逆にそれは近代社会の中で失われていくものへの憧憬感情を反映してるんじゃないかという分析がある、なんて話を友人の高校教師としたのをちょっと思い出したりしましたね。
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 スマイルに歴代作品で定番だった、親の承認が希薄で(と感じてしまって)孤独な子、がいないのは、最近のTVシリーズの話で主題として明らかになってきてる「児童時間に誰かから(何かから)受け取ったものを、次に分けていこう、伝えていこう」という話からすると必然な気がします。

 ほのかの境遇と底にあった動機はMaxHeart最終回の冒頭だと思いますし(無印・MH)、美翔さんは親が希薄とまではいかなくとも親が忙しいまでは描写としてあって、絵に没入する姿勢が後半や映画でそこに閉じこもっていてだけではダメだったと描かれていく流れからすると、文脈上は同じに思えて(S☆S)、水無月先輩、月影ゆりの動機が親への希求心なのは分かりやすいですし(5&Gogo・ハートキャッチ)、イース様を通しては親的存在のメビウス様に切られてから、桃園母から疑似親としての承認が得られるまでが描かれますし(フレッシュ)、物語冒頭で孤独だった響さんが、中盤でお母さんに愛されていたのを実感してからスイートの物語が動き出すのは、物語構成としてそうでした(スイート)。

 MaxHeartの最終回冒頭のシーンは凄いですね。雪城両親が飛行機で飛び立っていく映像と残された幼ほのかが泣いている映像が描かれるのですが、確かに夢を追ったり競争を勝ち抜いて成功したり、より遠くへと進歩を志向していくのは大事だ、でも置いて行かれて悲しくて泣いてしまうこの感情をどうすればいいのだろう、という。そんなほのかに「希望を捨てずに頑張ってれば、明日はきっとイイ日になりますよ」とほのかのお祖母ちゃんが声をかけるのですが、帰結としては、でも「ほのかはなぎさに出会えた」です。

 舞も咲に出会い(正確には再会ですが)、水無月先輩は夢原さんから承認を受け(「5」の第6話)、イース様には桃園さんが会いに行き、ゆりさんもつぼみやえりかと出会い、です。だから、全てのシリーズにおいて第一話には「出会い」が描かれているのだと思います。母親から直接承認を実感するスイートも、第一話には実は響とエレンの「出会い」が入っています。

 だから、何か児童時間に与えられるはずのものが希薄だったりで閉じこもったり孤独だったりな存在への処方箋として、「直接会いに行く」がとても大切なこととしてシリーズを通して描かれ続けます。「Gogo」はそれ自体が一番のテーマですし、イース様の元へとにかく全力ダッシュしていく桃園さんとか、少し昔なら分断作戦をくらったほのか、舞に全力で会いに行くなぎさ、咲とか、随所に「会いに行く」のが大切だというシーンは出てきます。

 一つの結実を見てるのは『映画オールスターズNS』だと思って、クライマックスはただ坂上あゆみがフーちゃんに「会いに行く」、というシーンです。

 この映画はスマイルの主題が見えてきた今だと本当素敵だなと思って、例えば上述の「児童時間に誰かから(何かから)受け取ったものを、次に分けていこう、伝えていこう」が既に入っていることに気づきます。どうしてクライマックスであゆみさんがフーちゃんのもとに走って行けてキュアエコーに変身できるかって言ったら、前半で、響さんとみゆきさんが、必死に走ってあゆみさんに「会いに来てくれたから」なんです。その時貰った「必死に会いに来てくれる人がいる優しさ」を、ラストは今度は自分が主人公になってフーちゃん(声優の方から劇中の役回りまで、何かと子供の比喩になっている)に返しに行く、という構成になっている。

 そして、少し戻って、じゃあなんで響さんとみゆきさんが最初にあゆみさんの所へ走って行けたかっていったら、響さんは既に両親から色々受け取っていたのが本編で描かれた後ですし、今はようやく星空みゆきというキャラクターの根幹が「これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを、色んな人に分けていきたい」(前回の第44話)なのだというのが分かります。孤独な時期はあったけど、児童時間に受け取るものは受け取っていた、それを大切だと思うから次を守るよ、というキャラクター。

 そこで冒頭の話に戻りますが、スマイル組は作品の底に「これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを、色んな人に分けていきたい」があるので、前提として児童時間に親からの承認のような受け取るものは受け取っていた所から始まる登場人物たちなんですね。だから、定番の孤独少女は(作中本編時間中には)いないし、一番その文脈をギリギリ継いでるやよいさんも、親からも(第19話)メルヘンからも(第41話)、児童時間に受け取るものは受け取っていた存在として描かれています。そういう存在だから、次に分け合うとか、守るとか、その次元に行ける。逆に言えば、最強の武器は子供時間に親から貰った愛情などなんだから、そこの所大切によろしく、という親世代視聴者へのメッセージとも感じます。

 『NS』のクライマックスは、だから既に大切なものは貰っているスイート組&スマイル組が、「次」のメルヘンであるあゆみさんを守る、という展開になっていきます。そして最後にピンチになった時、児童時間、一昔前の伝説のメルヘン(プリキュア)扱いになった、無印からGogoまでも助けにきてくれる。スマイルという作品に通底している「メルヘンは終わっても(終わらせても)本当に糧になる」を既にこの映画で描いていたのも分かります。

 さらに、スマイルはメルヘンが力を貸してくれるだけじゃなく、メルヘンを守る話でもあります。じゃあスイート組、スマイル組、伝説組まで力を貸してくれて守ろうとしたあゆみさんとフーちゃんの「物語」が何なのか、と言ったら、それこそが、この9年で承認の欠如や競争・個人化主義の背景で生じがちな「孤独」に対する回答として描き続けた「友達に会いに行く」です。坂上あゆみがとった行動はそれだけ。だけど、歴代プリキュア娘たちが一番の局面で行い続けてきたこと。それ自体が、今では綺麗ごと的に聞こえるメルヘンかもしれないけれど、それが大切だと信じたいから守るよ、というお話でもあった、と。次のメルヘンとして自分が主人公になるあゆみさんと、昔もらったメルヘン的優しさを分け合い、それを守ろうというみゆきさんとの、二視点、二主人公の映画とも捉えられるのかな、と。

 もう線の多さとか検討してるの!? と全力でツッコミたいTJさんが、既にドキドキ!の変身後のコスチュームは歴代の要素を取り入れているんじゃないかという感想をTwitterにアップしております(こちら)。9年分のメルヘンの橋は『スマイル』さんが架けた。それら全てをスマイル的な意味での糧に、次の「今」を駆ける10年目、何を見せてくれるのか楽しみです。

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