「手伝って」(相田マナ)

 ドキドキ!プリキュア第2話「ガーン!キュアハートの正体がバレちゃった!!」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:幸せの王子

 「リンク」が重要な意味を持ってる作品のようなので、かつ無印に原点回帰してる感もありつつ、第2話でも印象的な手をつなぐシーンが二つ。一つはキュアハートとキュアソードで、もう一つはマナと六花。

 前者が一旦繋いでも結局は同じ側になったことを認めない(友達でもなんでもないんだからね状態)のに対して、後者は同じ側(プリキュア側、非日常側)に一緒にいこうという手繋ぎである点からして対照的なので、マナと剣崎さんの手繋ぎはまだ仮契約状態なのだろうなと(物語が進んだ時点で本契約イベントがありそう)。一方で、マナと六花さんはとっくに契約してたじゃない、みたいな流れ。

 マナと六花の手繋ぎシーンは、第1話ではキュアラビーズを手に入れた所で非日常側に行きかけていたマナを六花が手をとって日常側に持ってくるという流れだったのに対して、今話では六花の手をマナがとって非日常側(プリキュア側)に連れて行くという風に対になってるのも印象的。なんで剣崎さんとはまだ本契約としてリンクできなくて、六花さんとはできるのかっていったら、やっぱりスイート〜スマイルの流れ的な「児童時間の共有体験」だと思うのですね。幼馴染だというのが、設定だけじゃなくて、今話ではマナと六花には幼い時間に色々共有した大切な時間があったんだなというのが滲み出てるように描かれていました。一方で、剣崎さんはアイドルだったり、扉がしまって断絶して上に登って行っちゃったりと、徹底して「遠い人」演出が1話ではなされている。対照的なダブルパートナー構造の話とも読めそう。

 ともあれ、前回書いた通り第1話にして超人スペックなれど、「でも一人では全員に愛は分け与えられない」問題が既に見え隠れしていたマナさんに、最初の一人ではない二人目、手を繋げる六花さんが、というお話。『幸せの王子』もスマイルで『赤毛のアン』などを作中縦軸でも意味がある形で使ってたのを鑑みるに、今回も第2話で出すなりの意味がある話だと考えると、マナさんは超人っていうよりはタームとしては「英雄」像だよな。ジコチューとは真逆に、利他的に人を助け続けるのだけど、自分自身がすり減っていた、というような。今話の「だったら私が助けなきゃ」も尊くてカッコいいと思う反面、どこか危うい。うっかりこの放映見てから図書館で借りてきて『幸福の王子』読んでしまったのですが、金箔で覆われているけどそれは表面で、中は普通の銅像というのが寓話的要素として入ってる話だったり、利他的行動をずっとやりつつも、最後にツバメが死んだ時に王子の鉛の心臓(心臓までは黄金じゃない、ということ。ドキドキ!がハートモチーフなのと関係して示唆的)が壊れてしまうお話だったりするのね。最後はツバメは力尽き、王子も溶鉱炉行きに、自己中心的な人間たちが自分の銅像を建てたがるような現実の喧騒の中、でも二人は天国で幸せになりました、みたいなお話なのでした。童話として尊重しながらも、現在の価値観も普遍性の求道のために持ち込んでいくなら、二人で天国へというエンディングとは別解も模索してみたくなる感じ。そういう意味で、他人のための行動ばかりのマナさんにツバメたる六花さんがいた、最初の手を繋げたのは素敵なことだけど、でもそれだけでもまだダメだ、という話にも思える。これ、経済屋だし、以外と三人目(四葉さん)が重要なのかもしれない。

 とりあえず、どこまでそういう要素ありを続けるのか分からないけれど、今回のジコチューも前回のカニに続いて「分断」要素がある信号機で、生身の六花さんの頑張りで分断が回復した後からのハート様のターン! という辺りは音楽の良さもあって高揚する展開でした。プリキュア(非日常・メルヘン)と普通の人(今話時点での六花さん)が児童時間を共有した縁を拠り所に共闘するという展開を第2話にもってくるのはスマイルからの流れ的に大きいですよね。ちゃんと、「その次」の最新の物語になってると既に感じ始めていたりです。


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→前回:プリキュア雑記(2013年2月5日)へ
→前回:ドキドキ!プリキュア第1話「地球が大ピンチ!残された最後のプリキュア!!」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第3話「最高の相棒登場!キュアダイヤモンド!!」の感想へ
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