「あたしのものにしようっと」(レジーナ)

 ドキドキ!プリキュア第16話「レジーナ猛アタック!マナはあたしのモノ!」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:愛のリソース

 他人に愛を分け与える幸福の王子たるマナさんと、ジコチュー(特に、初接触時にキュアラビーズを貰おうとしたあたりから、所有欲というか略奪欲というか、主にそっち方面に焦点があたってる。やっぱり「分け与える」が属性のマナさんと対になってる。)がマイビートのレジーナさんが本格接触。しかも「友達になろう」という序盤から危険球全開な展開です。

 そして、ここで結局第1話から続く、マナさん一人では全員に愛は分け与えられない問題に戻る。第1話で全ての部活の助っ人にOKを返そうとしても、現実は全員の助っ人はできない。さらに例えば第10話で六花が真琴に嫉妬心を感じても、全員に全ての自分を捧げることはできない。劇中で童話『幸福の王子』に例えられるように、全員に分け与えられたなら……というマナさん(幸福の王子)と、マナさんが欲しい(『幸福の王子』なら王子から与えられた民衆)、独り占めしたい(『幸福の王子』ラストも、自分の銅像を建てたいと我欲を争わせる街の有力者というシーン)というマナさんの回りの人々との、ディスコミュニケーションが続いていく。マナさんは全員と友達になりたい。レジーナさんは友達は自分だけでマナさんを独り占めしたい。ここが、埋められない。だから現世は苦しい。

 また、この全員分の愛がない、だから自己中でも奪いたい問題が、物語全体の縦軸にもかかっていくとしたら、ジコチューがトランプ王国に攻め入ったのも、何かしら「リソースが足りない」のが理由なのやも。オムライスが多めに作れれば(リソースが増やせれば)、分け合って食べられるのに、という今話ラストまで、全部かかってる感じ。

 また、愛が足りない世の中さポイズンなので、誰しもこの手の自己中は持ち得るというのは、己の闇と向き合う『映画プリキュアオールスターズNS2』の内容とも合致する感じ(たいていその年の映画はその年のTVシリーズのテーマの圧縮になってる。今話の「本当の友達って?」要素も映画と対応している。)。前回は鏡が印象的に使われたり、嫉妬心や独占欲はプリキュアでも持ち得るという今までの話など(六花さんの嫉妬回とか)、プリキュアでも無謬じゃないんだから、じゃあ自分の負の部分とどう折り合いをつけていくのか、という話は今回ありそうなのでした。

 しかしレジーナさんは本当、今作の物語が希求してるヒロインという感じで見ていて気持ちが良い。ジコチューが全て通ってしまったら逆説的に本当の友達は手に入らないということにまだ気づかない無邪気さとか。敵だけど、レジーナさん的な自己中は誰しも抱きえるものなので、全否定すればプリキュア側も自分自身をも否定することになってしまうという構造とか。お話もキャラクターも真面目に作っておられるという印象。「マナを独占したい」という気持ちは六花(プリキュア)も抱いた気持ちなので、一概に否定できない……っていう流れは上手いよなー。

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→前回:ドキドキ!プリキュア第15話「大いそがし!真琴のアイドルな日々!」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第17話「ショック!奪われたクリスタル!」の感想へ
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