「芸術は破壊だ!」(彫刻ジコチュー)

 ドキドキ!プリキュア第17話「ショック!奪われたクリスタル!」の感想です。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:物語構造

 他人に愛を分け与える他人志向のマナさんが、童話『幸福の王子』に例えられてるであろう今作ですが、


1. 王女様に似た彫刻
2. ロイヤルクリスタルという宝石をいたるところに分け与えている


 の二点が、非常に童話『幸福の王子』を意識させられる今話&ここ数話(幸福の王子は銅像で、自分の身体の宝石を街の困っている人々(他人)に分け与え続ける)。『幸福の王子』の宝石を分け与えられる側、脚本家とか貧しい家の人とかが、ここ数話の競技かるたクイーンや女優、彫刻家に重なって見えるんじゃないかとか、そういう話ですな。

 そう思ってみると、『幸福の王子』に比される「ディスコミュニケーション状態のまま他人志向を行う」登場人物はマナさんの他に劇中におそらくもう一人いて、それは真琴(他人)のために自分から手を離した(リンクを切った)アン王女。

 童話『幸福の王子』を、結局自己中心的な街の人達と幸福の王子は意思疎通できなくて、幸福の王子は溶鉱炉行きというエンディング。幸福の王子は一方的に自分を削ってディスコミュニケーション状態のまま愛を散布しただけじゃないのか? と『ドキドキ!プリキュア』では解釈してるフシがあると思っているので、そういうバッドエンド解釈の『幸福の王子』のバッドエンドを回避する物語構造が今作ではとられているのでは、と思ったりします。

 そうなると、このままだと『幸福の王子』的バッドエンドに向かうかもしれないマナさんを救うには、マナさんと似ているアン王女を救う必要がある、と。アン王女と真琴とか、街の人々とか、そういう間のリンク(双方向の意志疎通)を繋ぐ必要があると。ここ数話の、街の人々がジコチュー化するのだけど、幸福の王子(アン王女、あるいはマナさん)が溶鉱炉行きになる前に浄化していく、という続く流れは、そういうバッドエンド回避への流れにも思えます。

 そして、この流れにジコチューがマイビートのレジーナさんが関わってくると。

 まず他人志向のマナさんと自分志向のレジーナさんとの接触でお互いが変わる物語を描くつもりなのかなと感じているのですが、上記『幸福の王子』的バッドエンドを回避するには、マナさんがどこかで他人志向オンリーから変わっていく必要があると思うんですね。そういう意味で、ここでレジーナがディープに物語に食い込んでいるのかと。

 ジョー岡田さんがジョナサン・クロンダイクでアン王女の婚約者というのも、「王女様のリンクを取り戻そう」関係の物語だと思うし、自分と他人、リンク、そういうお話が、マナさん関係の近景とアン王女様関係の遠景で重層的に描かれている、さらには童話『幸福の王子』まで引き合いに出してる、と、これエラク物語方面がっつり練り込んで作ってるなと感じる今作なのでした。

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→前回:ドキドキ!プリキュア第16話「レジーナ猛アタック!マナはあたしのモノ!」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第18話「出現!さいごのロイヤルクリスタル」の感想へ
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