「そうやってまた私を苦しめるつもりなんでしょ」(レジーナ)

 ドキドキ!プリキュア第39話「会いに来たよ!レジーナふたたび!」の感想です。
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 映画は初日に観てきて感想もアップ済みですが、来週くらいまでは感想記事中で映画の「コアな」ネタバレはなしの方向で(軽くは触れちゃいますが)。その後は普通に言及していきます。

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 今回の見所ベスト1。


第1位:愛が伝わらない

 童話『幸福の王子』モチーフとしては、幸せの王子のマナさんと、街の人代表的なレジーナ様。

 第三クール、幼少期のありす、二階堂くんや大貝中学の生徒たち、などなどと街の人達に幸せの王子マナさんの愛は届いていた、そしてリプライ(返事)が返ってきたというのが描かれていたのですが、彼、彼女らはまだ愛を受け取る素地がある人々です。ここにきて、いよいよ愛を受け取るのが難しい、というかむしろ愛が苦しいという存在。レジーナにもマナさんの愛は伝わるのか? という段階にお話は突入。


 「私にはパパ一人だけなの」(レジーナ)


 第33話などは対照として大事なお話だと思って、幼ありすにはマナさんの愛が伝わり、ありすはマナさんや次の誰かに返事(リプライ)を返し、ありす父はありすの意志を尊重し、ありすは扉を開けて外の世界(広い世界の他者との関係)に開けていった。

 一方でレジーナの方は、キングジコチュー様は何やら球体に閉じ込め、レジーナはもうパパと私だけで良い、という。閉じた父娘セカイ系です。

 そういう状態のレジーナにマナさんの愛が伝わるかというと、今話時点ではまだ伝わらなかった。マナさんたち、まだ第22話の、


 「ポカポカしてるのに胸が苦しい」(レジーナ)


 を乗り越えてないんだよな。

 「あれから強くなった」は必要な要素の一つとは描いてるのかもしれないけれど、それが決定打とはやはり描かない感じ。感覚的にも、今話の場面描写的にも、強ければ愛が伝わる、というのは何か違う。

 あの時、家族が完備してる幸せの中にいるマナさんを見て、自分には欠落してる点にレジーナは苦しいという描写だったと思うので。愛を連呼されても、受け取れない。これは終盤の課題として大きい。例えば映画で「是」と描いたことがレジーナにはないような感じなので。

 ラストシーンのレジーナが抜き去ったミラクルドラゴングレイブの先端がハート標の逆に見えるのも、第33話でありすが反転落下しながらハートを作ったのと対照になると思われる、カッコいい演出。これが、私の返事だ。

 以上の対照描写から、また状況的にピースを埋めていってもレジーナに欠けてるのは「母」的存在なわけですが、どう収斂していくのか。

 今回がニセモノとホンモノが象徴的に使われている話で、キュアエースがアン王女に似ていて、亜久里はトランプ王国に懐かしさを覚え、一方でレジーナはアン王女ゆかりのミラクルドラゴングレイブを抜けるという展開。オープニングのカットや初遭遇から今話まで強調して描かれるレジーナVSキュアエース構造。

 やっぱり二人は何か一つのリソースを取り合う関係にあって、『ハートキャッチプリキュア!』の月影ゆりとダークさんの物語の、10年目シリーズ版をやる気なのかなぁという気が改めて(ドキドキ!はプリキュアディケイド仮説。TV本編でもまだ肝心なところでくるかもですが、残るフレッシュ要素の大事な一つは映画で回収)。

 映画は、なんでマナさんがああいう人格を形成したかの重要なエピソードでもあるのですが、「全員は助けられない」リソース切れの幸せの王子が、何らかのリソースを奪い合って例えば切られる(助けられない)側に回ったレジーナにどうするのか。解法はあるのか。

 TV版終盤はもう一層先を見せてくれそうで楽しみです

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→良い歌でした



→映画を観てきた感想はこちら:『映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス!』の感想へ(ネタバレ注意)

→前回:ドキドキ!プリキュア第38話「ベールのたくらみ!アイちゃんジコチューになる!?」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第40話「とどけたい思い!まこぴー新曲発表!」の感想へ
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