ドキドキ!プリキュア第47話「キュアハートの決意!まもりたい約束!」の感想です。
今回の見所ベスト1。
第1位:幸せの王子と街の人達
童話『幸福の王子』を題材元とした、幸せの王子相田マナさんと街の人達の物語、第32話(感想)で描かれた作中解が、物語縦軸の最終バージョンで描かれる。
例えば第1話、クローバータワーで子供を助けたマナさん。だけど、どんなスーパーヒーローでも、世界の全員なんて救えない。映画版のマシュマロ。どうしても選択の結果犠牲になる存在は出てしまう。お祖母ちゃんの元に駆けて行っている間、マシュマロは死んだ。マナさんの全員に自身をすり減らして宝石を分け与え続けるかのごとくの幸せの王子人生の始まりです。童話『幸福の王子』における本作でのバッドエンド解釈は、どんなに一人で宝石を街の人達に分け与え続けても、最後は自己中心的な街の人達の喧騒しか残らない、王子本人は全てをすり減らして溶鉱炉行き、というもの。
その『幸福の王子』バッドエンドをなぞるように、トランプ王国と同じように、この危機的な状況で、この世界も人間がみなジコチュー化して滅びるのだとベールさんは語る。「愛を失うのだ」と。
マナさんの返答はこちら。
「愛の力は何も負けないって、私は信じてる。今だってみんな、愛の力で支え合っているよ」(相田マナ)
そして、子供を保護している早乙女純君(第12話のマナさんの弟子)のシーンへ。純君が保護してた子供が、第1話でマナさんが助けた子供に重なりつつの、「幸せの王子一人だけでは助けられない存在」の象徴なんですね。そして、声をかける純くんの元に、第32話で最初に立ち上がった二階堂くん(この人も色んな意味で街の人ポジションで重要キャラだ)もやってくる。そんな少年たちの姿を見て、パニックでジコチューに染まりかけて逃走しかけていたその他の街の人達も立ち止まる。こんな時だから助け合おうと、他者愛が、善性が目覚めだす。
『幸福の王子』バッドエンドを乗り越える物語、という縦軸の物語構造があった『ドキドキ!プリキュア』という作品。ついに最終段階で描かれる、幸せの王子相田マナさんから愛を受け取っていて、立ち上がる街の人達。あの童話『幸福の王子』という物語は、例えば王子から宝石を受け取った脚本家が立ち上がって次のヒーローになって街の人を助けたりしていたのだとしたら、決してバッドエンドではない。
次々と立ち上がる街の人達。セバスチャンとかはもちろんだし、直接マナさんから愛を伝導されたキャラじゃなくとも、ありすから伝導された五星麗奈さん、真琴から伝導されたまこぴーファンクラブの会長とかまで立ち上がってますからね。愛の伝導で『幸福の王子』バッドエンドを覆してみせるというドキドキ!理論、顕現。災害的な出来事で一度光を失った街に、立ち上がった街の人達のプシュケー(ハート、作品象徴的には「ドキドキ!」)の明りがポツポツと灯り、やがて広がっていく映像はボロ泣きであったよ。2011年以降の作品。一人の超人的ヒーローが無理して頑張るフェーズは終わった。それよりも、問題解決のためのリソースを追加しよう。「立ち上がった次の数多の駆ける通りすがりのヒーローたち」、これからのフェーズで希求したい世界像です。
そして、この「街の人達が立ち上がってくれる」が、前回の感想で書いた「全部は選べない」問題、映画で言えば結婚モチーフの作品だったので、「全部は選べないで一人の人を選ばないといけない」という命題に関して、また一つの解を提示してくれている。
今話はつまり、マナさんはレジーナ一人の元に駆けて行ったのですよ。映画の過去物語だと、お祖母ちゃんの元にマナさんが駆けて行った間にマシュマロは死んでしまったのだけど、もしあの時、立ち上がった街の通りすがりのヒーローがマシュマロのことを助けてくれていたら? 前回の話は「愛する一人の人か世界(国)かどちらかしか選べない」という話だったけれど、一人の人を守りに行っている間に、世界の方は立ち上がった次のヒーロー達が何とか守っていてくれたら? 今話はそういう所も切り取っている。劇中で、世界の方を選ばずに自分の愛する人一人を選んでしまうのは自己中だと表現されているのだけど(前話のベールさんのアン王女への糾弾がこれ)、幸せの王子だって、一人の愛する人の元に駆けることがあったって、いいじゃない。その間くらい、立ち上がった街の人達が、幸せの王子の分も街を、国を、世界を守ってくれていてもいいじゃない。だから、今話は物語冒頭ではもしかしたら他者愛過ぎて自己愛(自己中)がない人なんじゃないか? とも描かれていたマナさんという主人公の、レジーナ一人の元に駆けたい、という自己中を街のみんなが守ってくれた話でもあるのです。そういう意味で、レジーナの救済物語の側面が前面に出ているけれど、幸せの王子相田マナさんの救済回でもある。今話のマナさんの「私は信じてる。」はオープニング歌詞の「君を信じる。ために戦う」が示唆していた事柄(OP歌詞の解釈記事はこちら「プリキュア雑記(2013年9月16日"二階堂くんのポジション")」)の収斂だけど、マナさんの「信じる」が明確に報われた回でもある。
そして、そうやって街の人達のおかげでようやっとマナさん一人として(六花たちにも来るなと言う)レジーナ一人を抱きしめられたから、ようやっとレジーナにも伝わったよね。やっぱり、自己中だと言われても、この段階がないと、次に進めないよね。『ドキドキ!』はゼロ年代PCゲームの物語をちょっと意識してるんじゃないかと書いてきましたが、マナさん一人レジーナ一人を抱きしめる絵を横から見せるのは、『Fate/stay night』の桜ルートの公園での「約束する。俺は、桜だけの正義の味方になる」のシーンに重ねてるんじゃくらいの勢いを感じましたよ。「一人を選ぶ」というシーン。ただそのシーンよりも進んでいるのは、主人公が一人を選んでいる間、世界の方は立ち上がった街の人達が頑張ってくれてる点。
ここから先は、同性ではありますが、「一人を選ぶ」ということで、劇場版も意識させながらの「結婚」モチーフでした。
あとは、既存の家族だけ(例えば父親と娘だけというキングジコチュー様とレジーナ)に閉じこもって外部とのリンクを閉ざすのか、次の別な人との出会いや次の関係性構築である外部とのリンクを繋ぐのか、という対照。まあ直で比喩すると、お父さんが娘を嫁に出さないか、嫁に出して新しい人とか新しい家族とも新しい繋がりを構築していくかの対照ですね。『ドキドキ!』でずっと描いてきた「外部とのリンク」の瞬間を、「結婚」モチーフで描いてるという話です。お父さんお母さんと自分、だけだった六花が、児童時間、お隣の家族のマナと最初のリンクが繋がった瞬間。家族、家の中で病弱に閉じこもっていたありすが、壁の向こうからやってきてくれたマナと六花と繋がった瞬間。幼馴染三人だけという物語冒頭から、外部の世界の住人である真琴と繋がった瞬間。そういうこれまでの物語で描いてきた大切だった瞬間の意義をかけて、キングジコチュー様を説得する。という最終盤。
独占欲による嫉妬とか、そういう経験は描き済み(六花がまこぴーに嫉妬心を抱く第10話ね)の六花とか、それを既に含有してる境地にいたありすとかの言葉も使って、今までの物語総動員体制で説得にあたってる感じもよく作り込まれた作品だった感を感じますね。
次回予告は、家族の絆も世界もキュアハートが守ってみせるとのこと。第3話で六花の家族の繋がりを繋いでいた「手紙」をマナさんが守り、かつ幸せの王子のツバメになった六花さんはその後世界も守りというような流れの話だし、キングジコチュー様とレジーナの家族の繋がりも守ったまま、世界も守るというような流れの話でもある。第22話(感想)、幸せな家族の中にいるマナさんたちを横に「ポカポカしてるのに胸が苦しい」とレジーナに言わせてしまっていた業を、ようやっと昇華する時がきた。レジーナの家族も守らないと、意味がない。幸せの王子に報いる街の人達に関しては今話が最クライマックスだったように思います。あとは、上記の両方を守れる、やっぱりヒーロー、幸せの王子相田マナが描かれる感じなのかな。この一年本当にカッコいいと思った主人公。あと2話を見届けるのです。
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→前回:ドキドキ!プリキュア第46話「エースとレジーナ!誕生の真実!」感想へ
→次回:ドキドキ!プリキュア第48話「ドキドキ全開!プリキュアVSキングジコチュー!」の感想へ
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