ドキドキ!プリキュア第49話(最終回)「あなたに届け!マイスイートハート!」の感想です。
今回の見所ベスト4。
第4位:プロトジコチューさんを論駁
ジコチューを極限まで押し進める、つまり自己拡大し続けて支配を極限まで進めるという動力に関して、マナさんが素で反駁。自己中は他者の存在があって初めて規定される概念なので、他者が全部いなくなったり、他者を全部支配してしまっては成り立たない、と。
最終回は全部盛りみたいな勢いだったので、「自分と他人」のテーマにも一つ落としどころを言語化して分かりやすく描いていた感じ。この手の話、哲学の世界ではわりと有名で、ブーバーの『我と汝』とか土台にしてるんじゃないかとずっと思っていたのですが。あるいは、『ドキドキ!プリキュア』はゼロ年代オタク向け作品のコアが、女児向けアニメにまでコンバートされはじめた塩梅という説で言うなら、『コードギアス』の「愛されギアス」の問題ですか。『ドキドキ!』劇中では、他人を愛する、一人の他人を選ぶことも自己中に分類されているのですが、これはもろに他人がいないと成り立たない自己中ですし、また他人を支配してしまっても、逆説的に愛することに価値がなくなってしまう、という話。そしてもちろん今話でマナさんが例にあげてたような、横入りとか信号無視も、突き詰めると他者の存在で価値が規定される行為だったのでした。自己中と他者の尊重は、突き詰めるとやはり表裏一体。
プロトジコチューさんがわりとガチで論駁されかかってたのが面白かった。強い言葉でいうと「自己矛盾です」と言われた訳なので、マナさんの、言葉でも急所を突いてる感じが怖い。
第3位:愛
共時的な仲間、六花とありすという幼馴染の縁者、真琴と亜久里というトランプ王国という新しく出会った「あの場所」の人達、そういった仲間からからリソースを受け取り、また通時的な力、一万年越しの三種の神器に宿るリソースも全て受け取り、キュアハートパルテノンモード発動。
プロトジコチューさん:「まやかしだ!」
↓
プロトジコチューさんの攻撃に背後のビルディングとかは壊されるのだけど、パルテノンハートは微動だにしない。
のシーンがめちゃめちゃ熱かった。愛はまやかしじゃないんだよ。
そもそもパルテノン(処女宮)ですし、えらくプラトニックなという感じですが、物質的なものは壊されても、ともすればまやかしめいた愛という存在だけは、壊されない。
映画で特に描かれていた「伝承される永遠の愛」という類のもの。物質的じゃないのかもしれないけれど、それはある。
最後は「幸せの王子」相田マナのターンみたいな戦闘シーンも最終回にふさわしかった。ラスボスの渾身の一撃を踵落としで分断して一撃、という山田風太郎忍法帳の最終戦かというけれん味に満足。愛、強ぇ。そして、足、美しい。
最後のマナさんの「愛」にまつわる語りは今後聖典になる勢いなので、ここに引用しておきます。
分かるよ。私の中にも我がままな心はあるもの。
誰かを妬んだり、何もかも嫌になって投げ出したくなったりすることもある。
けれどそうやって悩むから、苦しむから人は強くなれるんだと思う。
それにたとえ私が愛を見失ったとしても、私には仲間がいる。
支えてくれる仲間がいるから。
私は絶対に何度でも立ち向ってみせる。
劇中でジコチュー化してきた人たちへの、ある種の救済。そういう時もある。けれど、そうして悩む過程で人は強くなる。実際、最後に街の人たちとして立ち上がった彼・彼女らは、当初ジコチューの狭間で苦悩していたのだし。
また、自分がジコチュー化した時は、仲間が助けてくれるというのも、「幸せの王子と街の人達」モチーフ的。街の人がジコチュー化して一線を越える前に、助けて回っていた幸せの王子。
そして、もし幸せの王子がジコチュー化しそうな時は、街の人、頼むね。
君を信じる。ために戦う。
第2位:そして次の幸せの王子たちが駆けはじめる
印象的に描かれるいくつかの世代交代。幸せの王子から愛を受け取って立ち上がった街の人は、次の幸せの王子になる。
生徒会長相田マナから受け取って立ち上がった純くんが次の生徒会長に。
岡田さんは、やっぱり「ババ抜き」モチーフのジョーカーで、最後にペアになる人(アン王女)がいなくなって残った人ポジションだと思いました。そういう意味で、映画のマシュマロに、王に選んでもらえなかったトランプ王国国民、そういう「選ばれなかった存在」の最後の一人。そういう存在は出てしまう世界システム。
だけど、前話で、真琴がそれでも、例え選ばれなかったとしても立ち上がってみせるという解答を見せていてくれたこともあり、岡田さんも、やっぱり切ないのだけど、立ち上がってトランプ王国初代大統領に。王国から共和国に移行してるので、もろに童話『幸福の王子』の幸せの王子ポジションです。自身は選ばれなかったけれど、そんな選ばれなかった人達のバッドエンドを今度は救えるように、今度は自分が「次の」幸せの王子になるんだ。
次の幸せの王子として立ち上がるには、愛を受け取っている必要があるというドキドキ!理論。じゃあ、岡田さんが誰から愛を受け取っていたかっていったら、やっぱりアン王女だと思いました。最後の二人のやりとり、「あなたから愛を受け取っていた」「僕もだよ」みたいなのはイイ。パルテノンモードに通じる、まやかしじみていたのかもしれないけれど、でも本当にあった愛のかたち。アイちゃんも氷漬けの王女も、アン王女本体ではなく、ある種まやかしだったのかもしれない。でも、二人の間に愛がなかったのかといえば、やっぱりあったのだろう。僕は岡田さんはカッコいいポジションだと思う。
第1位:そして立ち上がったみんなが巡る世界が始まる
印象的に述懐される、真琴の、こちらの世界の人達は一緒に歌う、トランプ王国の人達は聴いているだけ、という語り。残念だけど、トランプ王国バッドエンドが訪れてしまったのは、国民が「幸せの王子から一方的に宝石を分け与えて貰っている街の人たち気質」だったからなのでしょう。一方で、第32話でこちらの世界の二階堂くんたちが立ち上がれたのは、やはりキーワードに「双方向」がある。この辺りは、こちらの記事に詳しく書いたので参照で(「プリキュア雑記(2013年9月23日"『幸せの王子』バッドエンドからの分岐条件と物語終盤の打倒対象")」)。
そんなキーワード「双方向」。トランプ王国国民もようやく立ち上がったし、復興に向けて色々やっていこう、岡田大統領とトランプ共和国民衆の間も双方向、人間世界と、トランプ共和国世界とも、キングジコチュー様が空けた大穴も空いているので、双方向。
ありすが、四葉財閥駆使してガチで「交易」を始めてるのが熱いです。一人の超人的な幸せの王子が何とかしてくれる世界のフェーズは終わった、「リンクを繋いでリソースを追加して問題解決にあたろう」が大きい流れとしての作品テーマだったと思うので、まさしくリンクしちゃってリソースをやり取りし始めるこの展開は熱いです。リアルの帝国主義時代みたいな消費地としての植民地獲得競争みたいな、時代遅れのリソースの奪い合いではなくてさ。お互いに足りないもの、必要なもの、調整して交換してリソースを補充し合うということ。そうやってお互いが次のステップへ進んで行けるということ。そういう世界、希求していきたい。とりあえず、トランプ共和国の、なんか掃除する的なものを、ドバっと輸入。トランプ共和国的にはお金も手に入った。復興費用にあてよう。こっちの世界も、衛生状態とか、きっと改善されていくはず。ありすはね、こっちの世界でルンバとか流行ってるのちゃんと読んでるんだよ。これ、輸入したら役立つし、流行るわ!
最後は、そうして次のフェーズとして急速に進展していく世界の空を舞う、プリキュアたち。衛星もいきなり落ちてくるし、この先も厳しい局面はきっと何度も訪れるけれど、幸せの王子と、立ち上がった次の幸せの王子たちとで駆けて、何とかやっていこう。
「既にプリキュアが世界中にいる」世界観の『ハピネスチャージプリキュア!』へ続いて行きそうな。そんな終劇。
『ドキドキ!プリキュア』素晴らしい作品でした。制作陣に百万の感謝を。
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→前回:ドキドキ!プリキュア第48話「ドキドキ全開!プリキュアVSキングジコチュー!」感想へ
→次回:ハピネスチャージプリキュア!第1話「愛が大好き!キュアラブリー誕生!」の感想へ
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