記事中にはネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
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今回の映画の見所ベスト1。
第1位:立ち上がる街の人達
例年、春のオールスターズ映画はその年のTVシリーズの主題を先駆けて描くことが多いです。そして、ここしばらくのプリキュアシリーズは前シリーズと次のシリーズがテーマ的に繋がって続いてる側面が大きいので、本映画も『ドキドキ!プリキュア』から『ハピネスチャージプリキュア!』へ、のエッセンスが凝縮されていたと感じました。
中心として感じたモチーフは、『ドキドキ!プリキュア』の「宝石を配る幸せの王子と、愛を受け取って立ち上がる街の人達」でした。今回の敵役のマームさんが、一種のバッドエンド相田マナさん(「幸せの王子」に劇中で何度も比喩されてきた)なのだと思うのですよ。子的存在への強い愛情はあるんだけど、その愛情が子を永遠に偽りのメルヘン夢世界に閉じ込めておけば安心だ、という方向に行ってしまう。それは、子的存在の可能性や未来を信じていないことになってしまう(『映画ドキドキ!プリキュア』で安寧の虚構児童世界から出て現実の未来へ向かえと言ったマナのお祖母ちゃんと逆、ということ)。また、子の方のユメタくんも、本心の本心ではそれを望んでいない。となると、『ドキドキ!プリキュア』作中で童話『幸せの王子』バッドエンドバージョンとして何度も暗示させるように描かれていた「相手の都合を考えないで宝石を配る」行為をマームさんはしていることになってしまう。そんな、闇落ち相田マナさんみたいな今回の敵役キャラに、本当の相田マナさん含む「君を信じる。ために戦う」プリキュアさん達&人々がどうするのか、というのが大まかなストーリー。
「幸せの王子と街の人達」モチーフだけれど、本映画では焦点は幾ばくか「街の人達 」の方にあたっていて、まだプリキュア的な人、ヒーロー、「幸せの王子」にはなれない「街の人達」サイドの人達が、立ち上がっていく様が中心的に描かれていたと思いました。マナさんはどちらかと言うと「報われた」側として描かれていたと思いましたね。一人夢世界で総理大臣になっても、マナさんとしては全然嬉しくないわけなんだけど、じゃあ外の世界との繋がりは、リンクはあるのか? という点が問いかけられる。しかしマナさんの夢が総理大臣な設定って、ドキドキ! 最終回で岡田さんがトランプ共和国の大統領になるのと同じく意味があったんですね。つまり、民衆(「幸せの王子」の比喩的には「街の人達」に相当)が立ち上がってくれるかどうかで、報われ具合が別れる、という要素。そして、闇落ちマナさん的なマームさんの方針と違って、マナさんは現実の外の世界で愛を散布し続けて、リンクを繋ぎ続けてきたから、やっぱり報われるんです(マナさんが残していた外の世界のリンクについては後述)。みんな、立ち上がってくれるんです。
さて、で、「立ち上がる街の人達」の部分に、「一人立ち上がる」ステージ、「二人で手を繋ぐ」ステージ、「徒党になる」ステージと、段階があった気がしたので、順に。
「一人立ち上がる」ステージは、主に、「メルヘン夢世界から目を覚まして、現実の自分の物語を生きはじめる」ことで描かれていたと思います。TVシリーズ的には『スマイルプリキュア!』が、映画では『映画プリキュアオールスターズNS1 みらいのともだち』がテーマとしては近いですね。昔、メルヘンに救われた。じゃあ次は、自分自身が現実でメルヘンを体現する存在になろう、という『スマイルプリキュア!』で描かれていたテーマのあたりです。TVシリーズの「なまけ玉」から出てくるくだりや、『映画スマイルプリキュア!』のニコちゃんと魔王が閉じこもり世界から出てくるくだりは、かなり本映画の虚構のメルヘン夢世界から出てくるくだりと重なっていたと思います。
本映画で、このまず「一人立ち上がる」物語の焦点はユメタくんが一番は担っていて、彼が、マーモさんの過剰な愛情から贈られた虚構夢世界を脱却して、現実で自分の本当の夢に向かって一歩踏み出す瞬間まで、が核心要素として描かれます。
で、その一歩を踏み出すまで。どうしたら、その現実で戦っていく一歩を踏み出せるのか? という部分が、10年分のプリキュアシリーズ文法、総決算から受け取るものを受け取って、みたいになってるんですね。劇中の流れとしては、歴代プリキュアさんたちが次々と虚構夢世界から抜け出していく様を目の当たりにして、何かを受け取って、ついにユメタくんも踏み出す、という流れになっていたと思いました。
プリキュアたちで、最初に虚構夢世界から抜け出すのは夢原さんなんですね。これはもう、『プリキュア5』の第24話(感想)の絶望の仮面から抜け出す物語が思い起こされるように演出されていて、やっぱり増えに増えたプリキュアオールスターズの中でも、最初に抜け出すのは夢原さんしかいないよね、という感じで涙腺にくる展開でありました。もう、
「楽しいだけじゃダメなんだよ! 今はどんなことも諦めずに一生懸命頑張れって、教えて貰った!」(夢原のぞみ)
のシーンがリフレインしていたよ。ココとの熱気球の話、あったあった。自分はダメかもしれない(今回ユメタくんも痛感していた感情だ)。だとしても、都合の良いメルヘン世界に埋没しないで、地道に現実で気球を膨らませ続けよう。いつか飛ぶから。
ユメタくんがやっぱり疑似視聴者みたいなポジションで、彼が一歩踏み出すために、10年分の色々を受け取っていく構成になっている。まずは夢原さんをはじめ、『プリキュア5』の面々からの贈り物。うららのシーンとか、女優設定を生かして録画映像を見てるような演出になっていて、過去の作品、過去のキャラクターが今に力を送ってくれている感じがして良かった。またうららですからね。何度夢破れても追い続けた人ですよ。ユメタくんも頑張れと。
そして例えば、ユメタくんはエンエンに問いかけられる、
「君の本当の夢は何?」(エンエン)
自分の本当のビートは何かって聞いてるので、『スイートプリキュア!』要素もここに入ってるかな、とも思ったけれど、それ以上に、エンエンのこの台詞、『映画プリキュアオールスターズNS2』で、マナさんがエンエンに向かってあなたは本当はどうしたいの? って言った台詞を、エンエンが継いでユメタくんに届けてるんですよ。それを言ったら、あの映画でマナさんとエンエンがコンタクトできたのは、みゆきさんの「伝言をお願い」があるからこそなわけで、『スマイルプリキュア!』あたりから顕著になってきた「伝承されるメルヘン」「伝承される愛」の要素が、こんな所にも生きている。これが前述したマナさんが報われる要素ね。自身の愛がエンエンを経由してユメタくんまで伝導して、ユメタくんが立ち上がってくれたわけだから。最終的に、バクの力をキュアハートに届けてくれたわけだから。ちゃんと、配った宝石、配った愛が、巡り還って、マナさん自身も報われている。ハッピーエンド『幸せの王子』を現実で決めてみせるにあたっての、ドキドキ! 理論炸裂。
こうして、スイート、スマイル、ドキドキ! からも、ユメタくんは何かを受け取る。
『ハートキャッチ』は相変わらず、あの人たち「深い事情は存じませんが。私たち? 通りすがりのプリキュアです!」なノリでよく分からないんだけど、やっぱりちょっとだけ力は貸してくれたのだろう。それこそ、『映画ハートキャッチプリキュア!』でオリヴィエくんに事情は知らないけれどちょっとだけ助力しましたくらいの塩梅で、今回もユメタくんに何かを。マリン、集合した後も「何だ夢かー」とか言ってて、相変わらず当人(今回はユメタくん)の深い事情を何も存じないままで戦ってくれるのが熱いと思いましたよ。
そして、とても重要だったと思われる『フレッシュ』。
ユメタくんが最後に一歩踏み出す時に挿入されるのも桃園さんなんだよね。失敗しても、やり直せるよ、と。一歩踏み出してみて、そりゃ失敗することもあるだろう。でも、そうしたらまたやり直せば良い。
桃園さん、虚構の夢世界では華々しくダンスコンテストに優勝してジャンプしてたのに、次にはもう絆創膏だらけの姿になっていて、相変わらず桃園力半端ないな、と。
一つの物語を挿入するほど時間はかけなかった部分で、絆創膏とかで表現していたんだと思うのだけど、瞬く間に失敗して、マジ落ち込みして、またやり直しを始めてるんだろうな、と。だが、それが『フレッシュプリキュア!』のテーマだったのだった。
そんな桃園さんが、一度人生終わった(というか死んだ)せつなさんを救ったのです。これも、桃園さんがやり直せばいいよって言うだけで、あのフレッシュの東せつな物語を思い出してしまって、この映画まじプリキュア・メモリです。桃園さんは本映画のセーフティネット。いかに尊いことだと言われても、現実で夢に向かって一歩踏み出すのは怖いし、実際踏み出して失敗することがあるのも人生。でも、やり直せばいいよ、と言ってくれる人がいるから、終わらないやり直しの過程に寄り添ってくれる人がいるから、逆に夢に向かって踏み出してみたりできる。
こうして、「街の人」、親的、「幸せの王子」的な人から守られるばかりだったユメタくんは、自分自身の本当の夢のために一歩踏み出します。ユメタくんの夢はバクになることなので、ぴたりと、夢(メルヘン)に守られている側から、夢を守る側への一歩、という感じです。例えば、『スマイルプリキュア!』で、メルヘンに救われてメルヘンに守られていたみゆきさんが、自分がメルヘンを体現したり贈ったりする側(最終回では自分で絵本を描きはじめてる)へと踏み出した一歩。あるいは、『ドキドキ!プリキュア』で、二階堂くんとかまこぴーの事務所の女の子とか、五星麗奈さんとか、色々いたけれど、それまで「幸せの王子」的な人に守られていた「街の人たち」が、自分で立ち上がって歩み出した一歩。そういう瞬間が、本映画でも描かれます。
そうして、一人がまず自分自身として立ち上がるのが最初。
なのだけど、立ち上がった後で、でも現実は厳しい。悪夢だ。一人では厳しいという段階が訪れる。そこで、いよいよ、一人でダメなら、二人だ、というステージが描かれる。「二人で手を繋ぐ」ステージ。
もうね、10周年作品だから原点をもう一度、ということだと思うのですよ。一人ではなく二人、「ふたりはプリキュア」から始まったシリーズですからね。なぎさとほのか、咲と舞、エンエンとグレル、めぐみとひめ、何かと「ふたり」がフォーカスされている映画でありました。
しかも、RubyGillisさんの舞台挨拶レポ記事で知ったのだけれど、『ラブリーとプリンセスが手を握り合う時の効果音は、ブラックとホワイトの手つなぎの時の音をそのまま使っている』のですって! なんというプリキュア・メモリ演出。なんという、過去と現在はリンクしてる演出。
久しぶりになぎさとほのかがプリキュア・マーブルスクリュー出すのも熱かったし(印象的に手を握り合う技だからね)、咲と舞がツインストリーム・スプラッシュ出すのも熱かったし、最後の一撃が、それらを継いだようなひめとめぐみの二人ビーム技というのも熱かった。
そういう意味で、ひめもめぐみも、ましてや一般視聴者を念頭に置いているかのような、普通の「街の人」も、「幸せの王子オブ幸せの王子」のごとく、最後にパルテノンモードで無双できる、相田マナさんみたいなスーパーヒーローにはいきなりはなれない。だから、一人ではなく二人で、何とかプレ幸せの王子くらいにはなってみる。『ドキドキ!プリキュア』の大事なテーマに、困難な現実にあたって、「リソースを追加する」というのがあるのだろうとずっと書いてきたけれど(参考:プリキュア雑記(2013年9月5日/テーマが光り始めるこの時期)、まず一人が立ち上がれば一人リソースが追加される。一人で心もとなければ、二人で手を繋げばまたリソースが追加される。そういうのを、描いていたと思いました。
その上で、最後のステージ、「徒党になる」ステージが描かれる。
現実の悪夢はそれはもう厳しい局面で、プリキュアが二人手を繋いでも、まだ乗り越えられないくらいヤバいのです。咲と舞のツインストリーム・スプラッシュとか、効きませんでしたし。
ここで、いよいよ『ハピネスチャージ』のテーマに踏み込んでいく段階だったのかな、と思ったのですが、今回の敵は「プリキュアだけでは倒せない」というのが描かれます。プリキュア能力自体を無効化する能力が相手なので、ミラクルライトでプリキュアに力を贈る(劇外からライトを振って応援)だけでも乗り越えられない、という、ある意味前代未聞の領域に踏み込みます。
そこで、必要とされるのが「バクの力」。劇中で悪夢を消し去る力とされて、視聴者代表的なユメタくんが持ってる力とされているわけなので、もう、そこの視聴者、街の人もリアルで力を貸せと。各々の領域で、悪夢に対抗する的な力で良いので。
ここで、閉じこもってる街の人一人だけではダメだった→街の人でも現実で立ち上がろう→立ち上がってみたけど厳しかった→一人でダメなら二人だ→まだ厳しい→街の人、もっと追加!
という、「愛を伝導させて街の人達がどんどん幸せの王子として立ち上がって行けば、リソースが追加されていけば、困難な現実を切り開いていける」、ドキドキ! 理論が改めて炸裂。
ユメタくんが立ち上がってもまだ足りない、という所で、後光をまとって坂上あゆみさんがやってくる所で、これ凄い映画だな、と思いましたよ。
『映画プリキュアオールスターズNS1』の、プリキュアに憧れてるだけの、メルヘンに耽溺してるだけの一般人代表。『ドキドキ!』を経た今風に言うなら「街の人」代表です。だけど、一度だけプリキュアに変身したことがある、「普通のメルヘン愛好家的一般人でも、メルヘンを体現し得る」を、本当に体現してしまったことがある生き証人。
あの時、みゆきさんを始めプリキュアに守られるだけだったあゆみさんが、今度はプリキュアを助けるために参戦。伝承されるメルヘン。「幸せの王子」から宝石を受け取ったら、立ち上がってみせよう。何にしろ、ここ三年あまりの結実を見るかのような展開でありました。
でも、まだ「街の人」から立ち上がったばかりのプレ「幸せの王子」なので、やっぱり、一人よりは二人でいこう。ということで、エンエンとグレルを二人同時に妖精として契約するという展開も熱い。
このシーン、本当に色々詰まってるな。あゆみさんの夢とエンエンとグレルの夢が叶ったシーンであるという意味で、「夢を追うのは無意味」を反駁してるシーンでもあるし、一般人、プレ妖精だった三人が、ついに本当のプリキュアと妖精になったシーンでもある。あとやっぱり桃園さん、というか『フレッシュ』が大事だと思っていて、あゆみさんもエンエンもグレルも、一度過ちを犯した人なんですよ。だけど、やり直せる。終わらないやり直しの過程を生きる。立ち上がった街の人として、現実に参戦できる。リソースの追加どころか、マイナスだったのをプラスに変えてる勢いなので、このメッセージは心強い。
再臨したキュアエコーが使うのは"ハートフルエコー"。相変わらず戦闘要素がない伝達技です。『プリキュア5GoGo!』の館長とフローラ様に、『ドキドキ!』の「幸せの王子の愛は本当に街の人に届いているのか?」といい、意志の伝達を阻害する存在、ディスコミュニケーションが一つの課題として描かれ続けてるプリキュアシリーズ的に、「伝える技」という最強技を、一般人出で戦闘能力は持たないエコーが持ってるというのは熱いな。
そうして、プリキュアだけで打ち勝てないほどの困難なら、一般人の君も力を貸してください。ユメタくんが参戦、坂上あゆみさんもエンエンもグレルも参戦。なんか分からないけど、最後には謎のキュアハニーも勢いで参戦、と。どんどん追加してついに困難も乗り越えました。
「追加する」というより、プリキュアだからとかただの街の人だからとか、そういうのはもうイイから、みんな力貸してよと、そういう映画だと思いました。
思い出したのは、『ドキドキ!プリキュア』最終回(感想)のとても好きなまこぴーの台詞。
「一緒に何かをするって、素敵なことなのね」(剣崎真琴)
です。
トランプ王国で歌っていた時は聴衆(「街の人達」側)が一方的に聞き入っているだけだったのに、こっちの世界の聴衆は何か反応を返してくれることに関して疑問に思っていたことが、マナさんとの交流を通して紐解けた、という場面で出てくる台詞です。
『フレッシュプリキュア!』の最終回(感想)以降、ステージの上のヒーロー的な人を見上げてるだけじゃなくて、自分自身がステージに上がろうよ、というメッセージを一つは描き続けていたプリキュアシリーズ。
本映画のラストのダンスシーンでは、「ステージ」自体が実質なくて、街の中でプリキュアたちも街の人達も歌って踊ってな感じの風景。ついに、この段階まできたか感。
例年の流れだと、TVシリーズ『ハピネスチャージプリキュア!』本編の先駆け的になっているであろう本映画。例えばだけど、立ち上がってキーになる一般人(現時点ではプリキュア以外)ポジションのユメタくん相当が、『ハピネスチャージ』本編だと誰になったりするのか、引き続き、プリキュア達とか街の人達とか交差する世界観。楽しみに追っていきたいと思いました。
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