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 という訳で、公開初日に観てきた『映画ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ』の感想です。

 ネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
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 今回の見所ベスト1。


第1位:プリキュアは虚構に過ぎない


 よくよく今になって思うと、以前の話数にもそういう要素が多かったなと気づくのですが、TVシリーズの最近の流れ、特に第30話「ファントムの秘策!もう一人のキュアラブリー!」(感想)辺りからが顕著なのですが、「子供の頃の夢や希望は、厳しい現実の前で打ちのめされる」ということが描かれてるのですね、『ハピネスチャージプリキュア!』という作品。

 この第30話だと、めぐみさんの「人助け」という児童時代の理想は、子供の頃の周囲のお手伝いレベルでは輝いていたのだけど、劇中で戦争までやってる過酷な大人の時代に口先だけでそんなことやっても無力だと、そういう厳しいことを描いていると思います。

 でも、だからといって、子供の頃の夢や理想、純真性、イノセンスは無力なのか? というのが、『ハピネスチャージプリキュア!』という作品のこれまでかと思います。

 で、そこまでを踏まえた上で、今回の『映画ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ』、二つの挫折が印象的に描かれます。

 一つはつむぎさんで、これはもうまんま「子供の頃の夢=踊ること」が、足が動かなくなってしまって、厳しい現実の前で砕かれてしまってるんですね。印象的に、「プリキュアたちの活躍をTVを通して観てるだけ」という登場シーンなんですが、「TVの向こう側のプリキュアたち=虚構」「TVのこちら側の苦しい自分=現実」という描写かと思います。


 「私は全然幸せじゃない」(つむぎ)


 おそらくは、劇外の文脈も込みで、TVの中のプリキュアという虚構と、それを観ている視聴者、という構図も重ねてると思われますが、中々に重いです。TVの中の虚構が「幸せハピネス」とか叫んでるけど、現実の自分はいかんともしがたい不幸で夢は砕かれ、友達も離れていき、暗い部屋に閉じこもっているだけ。

 この、理想としてのプリキュアと、それに比してちっぽけな現実の自分、という構図は、『ハピネスチャージ』で言えば初期のひめですし、『映画プリキュアオールスターズNS』シリーズでいえば、初期の坂上あゆみさんと重なる感じです。理想のようには、現実にはいかない、という挫折感とか空虚な気持ちが、厳然と存在してる所から始まっている。

 二つ目はめぐみさんで、上記感想リンクの第30話の展開と重なりますが、人助け、もといその行為を通じての「みんなを幸せハピネス」という理想が、しょせん子供の綺麗事で、現実では無力だということを思い知らされてしまうのですね。軽々しく「助ける」なんて口にしても、めぐみさんには現実的に、どうやってもつむぎさんの足を動くようにはできない。現実には、どうしてもできないこともある。

 この挫折パートで、ああ、TVシリーズ本編でも、たぶんめぐみさんのお母さんの病気は、めぐみさんが頑張っても治らないんだろうな、と思ったところ。病気とか怪我とか、もっと拡大していったら貧困とか戦争とか、現実の世界にはどうしようもないことも、事実として存在している。


 「みんなを幸せになんて、できないよ?」(つむぎ)


 映画冒頭の「人形劇」が、人形=子供の頃の虚構=プリキュア……の暗喩になってると思うのですが、この子供達の理想のはずのプリキュアとか、つむぎさんの人形たちとかが、厳しい現実を象徴する敵さんに容赦なく蹂躙されていく様が、大変に痛切です。

 ジーク王子の剣は届かず、走って特攻をかける他のぬいぐるみたちも無力なまま倒れていって……という。

 具体的につむぎさんの足を直す方法がない以上、抜本的なハッピーエンドがあり得ない本作。物語の進展は非常に漸進的で、でもやはり普通の人間、「幸せの王子と街の人」の比喩でいったら「街の人」にできるのはそれくらいで、めぐみさんは、そんな過酷な現実の元、繭状の糸に閉じ込められてしまったつむぎさんに会いにいくことに。

 「閉じた空間」は『ハピネスチャージプリキュア!』だけでも第4話(感想)の「保健室のベッドの布団」や「体育館倉庫」とか、最新話第35話(感想)の閉じた門の中とか色々出てきますし、プリキュアシリーズ全体としても、『映画スマイルプリキュア!(感想)』の魔王の檻とか、『映画ドキドキ!プリキュア(感想)』の虚構の過去空間とか、わりと定番のネタです。リアルには、引きこもり状態とか、リンク、他者との繋がりが途絶えた状態とか、そういう状態の比喩なのだと思います。

 そして、そういう状態に陥った人がいたとしても、「会いに行く」ということ。

 もう、プリキュア十周年作品ですし、十年間のプリキュアシリーズの意義を問うてる感じの映画なのですよ。プリキュアは虚構に過ぎず現実には無意味だったのなら敗北だし、そうじゃない何かがあり得るなら、それを見せたい。「それでも会いに行く」は、初代『ふたりはプリキュア』第42話(感想)のなぎさがほのかに会いに駆けた気持ちだし、『Yes!プリキュア5GoGo!(感想)』はそのこと自体がテーマだったし、『映画プリキュアオールスターズNS1(感想)』ではあゆみさんがフーちゃんの元に走ったし、というかほぼ全員誰かに会いに行くために走ってます。今作のめぐみさんの行動も、その文脈上にある感じで、めぐみさんにつむぎさんの足は治せないのだけど、とりあえず、来た。それは例えば、『ドキドキ!プリキュア』で相田マナさんが守ろうとした人と人とのリンク、最後に残ってるそういうものを頼りにしているというような趣で。

 ここで、繋がりとかリンクの大事さ、十年分の大事さを描いた上で、この映画はもう一山。最後の反撃として、そういったリンクの象徴、他者からの応援、ミラクルライトが例によって発動します。なのだけど、それが今回はそれだけでは届かない。強力な不幸によって覆われた繭=「閉ざされた場所」には、他者の応援すら届かない。

 ここで、つむぎさんが(主に精神的に)立ち上がるという段階が入ります。『映画プリキュアオールスターズNS3(感想)』では、プリキュアさんに励まされながらも、最後の一歩はユメタ君も自身で立ち上がっていた。『ハピネスチャージプリキュア!』TVシリーズでも、当初閉じこもりめいていたひめも、めぐみさんやゆう子の助力は受けながらも、最後の一歩は自分の勇気で立ち上がっていた。

 厳しい現実の前に打ち倒された子供の頃の虚構にして純真性の象徴、人形のジーク王子の最後の言葉、


 「つむぎ。がんばって」(ジーク王子)


 そして、厳しい現実をどうこうするあてはなかったけれど、それでも会いに来てくれた、一緒にその厳しい現実を併走するよ、と言ってくれためぐみさん(プリキュア)。

 愛や幸せは伝導し、無力だった街の人は立ち上がる、というか、そう「君を信じる」、という『ドキドキ!ハピネスチャージ』理論。現実を覆せない虚構だとしても、その厳しい世界でも立ち上がってみせるきっかけを与えることができたなら、虚構に過ぎないプリキュア(という作品)でも本望のごとく。

 つむぎさんの不幸が作り出していた糸の檻が、つむぎさんが精神的に立ち上がったのを機にその性質を変える。TVシリーズ序盤に、ひたすら不幸に思えることも、捉え方次第で幸せに変わるということを言っていためぐみさん。世界から不幸はなくならないけど、その性質を変える何かはあり得るかもしれない。つむぎさんの不幸が性質を変えたわずかな隙に、ミラクルライトが、他者からの応援が届く。

 上記の第30話の、「子供の頃の理想」に手を伸ばすめぐみさんと、重なる演出での、空に向かって手を伸ばすめぐみさんのカット。第30話ではその手の先には仲間の姿が……という描き方でしたが、今度はその手の先にはミラクルライトの光が。分断を超えて届いてきた他者とのリンクが。そこで劇場版挿入歌「勇気が生まれる場所」スタート。歌っているのは声優さん。世には、子供の頃の理想を現実で体現した人も、いるんだよ。

 スーパーハピネスラブリー登場。「人助け」、「みんなを幸せハピネス」、それは子供の頃の綺麗事かもしれないが、今一度、やってやるよ。プリンセス、ハニー、フォーチュンとラブリーに手を重ねていくのが印象的。しかもみんな、やっぱり現実は厳しいわーとか、苦しいわ―とかみたいなこと言いながら重ねていくんですよ。プリキュアなのに。だがそれは、苦しいのはあなただけじゃない、ということ。厳しく、苦しい中を、併走してくれる存在がいるということ。覆らないかもしれない現実を前に、それでも夢とか希望とか捨てたくないと頑張りながら。前期エンディング、『プリキュア・メモリ』の歌詞的には、「大人になった時も忘れないでね。愛と勇気」。

 ラスト、一度は足が動かなくなって厳しい現実の前に諦めた夢、「バレリーナになりたい」をつむぎさんが語ります。ラストシーンの舞台で本当に彼女が踊ることができたのかは、描かれないまま、最後の一言。


 「がんばる」(つむぎ)


 で終劇してエンディングへ。視聴者も現実へと帰還です。

 エンディング映像は、TVシリーズの後期エンディングは、まだ閉じた場所(=虚構の中)で踊っていたことが判明。実は飛行船の中だったというギミックが明らかになる中、外の世界(=虚構の外に広がってる広い現実ということかと思われる)へとプリキュアたちが飛び出して行って、ダンス。踊る。

 虚構の外でも、踊ってみせる。児童時間の人形劇的なバレエ、あるいはプリキュアのダンス。大人になる頃、厳しい現実の前では劣勢になるかもしれないけれど。がんばろう。

 他者との繋がりとか、愛や幸せの伝導とか、十年かけて描いてきたことの意義がかかってる感じの作品なのですが、無条件に十年分の積み重ねは意味があったとはいかない辺りが情趣がある作品。積み重ねてきたことを礼賛もしないのだけど、むしろ、本当に厳しい現実を変えたりはできないのかもしれないけれど、せめてその厳しい現実世界を共有して、併走はするよ、という、良い意味で弱さ、限界を受け入れながらも一歩進んでいくような作品。

 良い映画でした。

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→前回:ハピネスチャージプリキュア!第35話「みんなでおいしく!ゆうこのハピネスデリバリー!」感想へ
→次回:ハピネスチャージプリキュア!第36話「愛がいっぱい!めぐみのイノセントバースデー!」の感想へ
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