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 「幸せなんて、世界を知らない人間の儚い夢に過ぎないのよ」(クイーンミラージュ様)

 ハピネスチャージプリキュア!第43話「ぶつけあう想い!ラブリーとミラージュ!」の感想です。
 ◇

 今回の見所ベスト1。


第1位:幸せは一瞬でも


 最近、子供の頃の「みんなハピネス」というイノセントな気持ちを厳しい大人世界でも貫くとして、でもミラージュ様が幸せになったら(ブルーと結ばれたら)めぐみさんはハピネスじゃなくなる(失恋する)んだけど、という構図があってどうなるのかな、ということを書いていたのですが。

 めぐみさんの現時点での結論、「それでもイイ」が描かれた回でもありました。自分が報われなくても、一時ブルーのことが好きになって世界がキラキラしていたのは本当だから、失恋した後も、その時の気持ちは意味があるはずだって言うのですね。

 劇場版のつむぎさんに、踊ることが出来なくなっても、舞っていた頃のキラキラした気持ちには意味があるから、形を変えた幸せ探そうよ、とはさすがに言えなかったわけですが(だからただ一緒にいる、併走する、という所まで)、今回はめぐみさんが不幸を背負う立場の当事者なので、こういうことを言えると。この辺りは、「みんなが幸せハピネス」は確かに子供の綺麗事な感じなのだけど、それが届かない人もいる(劇場版のつむぎさんとかミラージュ様とか)。そういう人に無理やりハピネスを押しつけようとすると、お前が言うな、になってしまうのですが、当の自分がハピネスになれなくても貫く、というのなら、これはひとまずあっぱれな感じです。

 でも次回予告とか見ると、やっぱりめぐみさん傷ついてるのですね。理想は叫んでみたものの、感情はそうはいかないというか。

 また、このままだと構図的に、みんなの幸せのために(ミラージュ様一人と幸せになるという)自分の幸せを抑圧していたブルーと、次話以降のめぐみさんが同じポジションです。みんなの幸せのために、自分は不幸を背負う。これ、『ハピネスチャージ』の恋愛話は、『ドキドキ!』で世界は幸せになったけれど、自分は伴侶(恋愛のパートナーであるアン王女)を失ったジョー岡田さん、(ババ抜きの)ジョーカーを引いてしまった岡田さんを救済する意味合いがあるんじゃ、なんて言ってたのですが、その連想からすると、今話まではブルー=ジョー岡田だったけど、ここから先はめぐみさん=ジョー岡田です。めぐみさん=ジョー岡田。新しい!

 その自分は不幸でもみんなが幸せなら、っていう一見素晴らしいけれど、いおなさんが掲げた(第22話の感想)、そしてめぐみさんも共鳴している「どこにも不幸を残さない」という世界の理想からすると、それはどこか歪なわけで。残りの話数は、当の主人公本人がジョーカーを引いた後の、このジョーカーをどうするか問題が描かれるのかな。そして、それはいよいよめぐみさんと誠司くんの話になっていきそうだと。

 めぐみさんのミラージュ様の説得方法、ミラージュ様の「幸せは一瞬」を乗り越えてる感じで、そこは良かったですね。「幸せは一瞬」を否定はしてない辺りが。

 確かに幸せな時っていうのは一瞬、とまでは言わなくても期間限定で、やがて苦しいことが訪れるのが人生なのですが、幸せは一瞬だった、ということが、これから先もずっと不幸でいることの理由にはならない。むしろ、その一瞬のキラキラとした幸せだった時間を、未来に繋がる意味があるものに解釈を変えようと。たぶんには、それが劇場版なんかで描かれていた、「(子供の頃の当初の理想からは)形が変わったなりの幸せ」の鍵なんじゃないかと。

 この辺りは、永遠に続く幸せとかっていうのはやっぱり難しくって、一時の幸せから不幸を経験するっていうのは、生き物の宿命みたいなもので、実はそこは人としてみなが共有できるって感じで好き。「併走する」のテーマとも繋がる部分だけど、つむぎさんの、ミラージュ様の経験した幸せを失うということを、めぐみさんも大人になる過程で経験する。その幸せの喪失と、それでも生きていかなきゃならない感は、みんなが背負ってるものだから、一緒に行こう、というのは優しいメッセージだ。

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