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ハピネスチャージプリキュア!第49話(最終回)「愛は永遠に輝く! みんな幸せハピネス!」の感想です。
今回の見所ベスト1。
第1位:大人になった時も忘れないでね。愛と勇気
「愛を思い出して」(愛乃めぐみ)
「愛」を思い出して、「愛」は消えないよ……と、「愛」の連呼の最終回ですが、「愛」だけだと抽象的過ぎるので、第30話(感想)以降表に出てきた本作のテーマと絡めて、「愛」=「子供の頃の純真な夢・理想」と解釈したい所。「愛」を筆頭に「勇気」や「優しさ」や「希望」といった子供の頃に信じた綺麗事的なものを、レッドさんがつきつけてくるような過酷な大人世界の現実の前でも信じたい・守りたいっていう話なので、そんなに間違ってないはず。
で、毎年TVシリーズ本編のエッセンスになってる秋の映画、『映画ハピネスチャージプリキュア!人形の国のバレリーナ』(感想)と重なる感じで、子供の頃の理想ともう一度再契約して歩み出すには、側で併走してくれる人が必要……、と。レッドさんにとってのそういう人にブルーが収まって、物語は収束。
劇場版の、めぐみさんの何もできないとしてもつむぎさんの側にいるよ発言とか。
『アローハプリキュア!』の回(感想)の姉妹が子供の頃の気持ちと再契約する話とか、それと重なる、いおなさん・まりあさん姉妹の子供の頃の時間からの途切れない紐帯の話とか。
終盤の、ミラージュ様が純真な気持ちを取り戻す時、ブルーが側にいるよという話とか。
第47話(感想)の、幼い頃の純真な気持ちと再契約する象徴として、幼馴染の誠司くんとめぐみさんが同格の二人になる話とか。
そういう、何重にも重ねて描いてきた、「過酷な大人の現実の前で夢破れて傷ついたとしても、側で併走してくれる人がいたならば、子供の頃の純真な気持ちと再契約してもう一度前に進んで行けるかもしれない。当初子供の頃に描いていた夢や理想とは少し形は変わるかもしれないけれど」という『ハピネスチャージプリキュア!』という作品で描いてきたエッセンスのラストの風景として、実は兄弟(子供の頃の純真な関係性)だったレッドさんとブルーさんが子供の頃の理想(愛)と再契約して、星の再生に取り組んでいく……というラスト。燃えるパッションの最終回っていう感じではなかったかもですが、ピースがカチっとハマった感じは凄いなぁ。
そして、そういう「愛」=「子供の頃の純真な理想」が消えない、それは永遠性を獲得し得るんだ……という条件に、二つくらい描いていた感じ。
一つは、第1話からさんざん『ドキドキ!プリキュア』(感想)からモチーフ的に繋がってるんだと言ってきた、「宝石を配って回った幸せの王子と、それを受け取って立ち上がる街の人達」という、オスカー・ワイルドの童話『幸福の王子』モチーフで。宝石(=愛=子供の頃の純真な気持ち)を配っていた「幸せの王子」がいなくなってしまっても(ブルーという神がいなくなるラストにかかってる)、その存在から宝石を受け取って立ち上がってくれた「街の人たち」が生き続けている限り、宝石(=愛)は消えない、という描き方。最終回で、第1話でひめが宝石を配ったエピソードに回帰する感じは綺麗ですね。この「幸せの王子」理論で連鎖し続けていく限り、「愛」は永遠性を持っていると。
もう一つは、「失われたとしても再生することはできる」という描き方で、これはもう、プリキュアシリーズ的には、『映画フレッシュプリキュア!おもちゃの国は秘密がいっぱい!?』(感想)のトイマジンさんが一旦死んでクマのぬいぐるみとして再生された次の生を歩んでいく話とか、『フレッシュプリキュア!』(感想)本編の一旦死んだイース様が、東せつなとして再生された生を生きていく話とかで描いていた部分で、一旦愛も子供の頃の純真な理想も失ってやらかしてしまっても、それらを再生していくことはできるはず……というのも描かれていたと思います。大きくは惑星レッドのこれから始まる再生の物語だし、小さくは、一度死んだ(比喩的にだけど、この「いずれ終わりが来る」要素は「死」まで意識されるように描いていると思う)三幹部たちが再生した生を歩み出す風景で描いていた感じ。『映画プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち』(感想)は、その年のTVシリーズのエッセンス映画として捉えると、「夢を追う」「逢いに来てくれる」要素の夢原さんだけじゃなくて、「やり直すことはできる」の桃園さん要素も大きかったのですね。
大人の過酷な現実の中での絶望、レッドさんの、
「最後には何もかも消え失せる。この世界に永遠などないのだ」(レッド)
は、そういう意味で乗り越え得る……という描き方。もう、三幹部さんの再生後の人生に重なるように、劇場版のつむぎさんが再生後の人生を歩んでる風景もちょっと入る演出とかね。素晴らしかったと思います。前回書いたように、レッドさんの「星が滅んでしまった」とつむぎさんの「足が動かなくなってしまった」は、スケールは違えど、子供の理想的な夢や愛だけでは解決できない、抜本的な解決方法がない「どうしようもないこと」として重ねて描かれていると思うので、そんな重ねて描かれてるつむぎさんが再生後の人生を歩んでる風景が、レッドさんの希望にもなっている。
最後は、配られた宝石(愛・子供の頃の純真な理想)について。これは、次回作に「プリンセス」要素として繋がるんじゃないかと予想してるんだけど、ひめは第1話と同じように、街の人に投げる(というか配る)と言い(これ、やっぱりお姫様と王子様が重なる連想で、TJさんが言ってる通り、プリンセス=幸せの王子なのかな。)、めぐみさんと誠司くんは、物語終盤に「世界がどうこうも大事だけど、その前にある個人的に大事な人について」という話を担っていたのに連動してか、とても「街の人」的に、お互いの大事な一人が現れた時に渡す、ということを語る。
ラストカットはそんな宝石の風景で、昔プリキュアを観ていたような児童が大人になる過程で現実にぶつかる頃に放映された十周年記念作品という側面があった、本『ハピネスチャージプリキュア!』という作品が、そんな、愛とか勇気とか、子供の頃の純真な理想をもう一度思い出させてくれるような、伝導していくような、(視聴者にとっての)宝石のような作品になれたなら、と、ちょっとメタな含意もある感じで終幕。構成美とか収束感が大きい作品でしたね。
最後の余談としては、絶望の後に再生の道を歩み始める時、側にいてくれる人が必要だ、という本作のテーマからすると、これ、この後ひめさんが投げた宝石はナマケルダさんにあたって、ひめがナマケルダさんの「併走者」(まあ友達くらいかもしれないけれど)に収まる、というのが一番しっくりくる気がするのですが、どうでしょう?
ナマケルダさん=現実に摩耗して疲れ気味で会社務めをしてるけどどこかで夢とか希望とか勇気とか忘れたくない我々大人視聴者……なのだから、その併走者として、ひめ(プリンセス=幸せの王子)=プリキュアシリーズという作品……もあるよっていうのは、子供視聴者の夢との再契約を主眼に置きながらも、ちょっと大人視聴者向けの要素も入れてくれた感じの素敵なことだと思ったのでした。
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●『映画ハピネスチャージプリキュア!人形の国のバレリーナ』の感想へ
→前回:ハピネスチャージプリキュア!第48話「憎しみをこえて!誕生!フォーエバーラブリー!」感想へ
→次回:Go!プリンセスプリキュア第1話「私がプリンセス?キュアフローラ誕生!!」の感想へ
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