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ネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
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今回の見所ベスト1。
第1位:歌とダンスの力
この映画に関しては『アナと雪の女王(感想:別ブログ)』を参考にして作るという事前広報があった通り、随所でわりと唐突に歌ったり踊り出したりとミュージカル風味の作品。なれど、これまでのシリーズからの継承要素があり、またこの映画がその年のTVシリーズ(今年なら『Go!プリンセスプリキュア』)のテーマの暗示とエッセンスにもなっているであろう点で、やっぱり今まで通りの『プリキュアオールスターズ』映画だ、という作品だったと思います。
内面のドラマは、物語冒頭では人前で歌うこと(歌のテストのくだり)をしぶっていたはるかが、ハルモニアでの物語、主には先輩プリキュアたちから歌とダンスの力への信頼を伝えられ獲得するという物語を通して、ラストシーンでは歌うことに前向きになると変化している、というもの。
『Go!プリンセスプリキュア』では、「プリキュア」は「夢の実現に必要な何か」というポジションでこれまで描かれております。第5話(感想)が顕著で、きららは元々有能なので100%の力を出せば、十分夢とか叶うんじゃ? という段階にいました。でも、それだけではボアンヌさんのオーディションに合格することはできなくて、そのステージを限界突破する要素として加わったのが、120パーセントを可能にする「プリキュア」という要素、という描かれ方でした。(もちろん、プリキュア=はるかという友達、という要素も兼ねている。)
で、この映画では、そんな「夢の実現」に必要な「プリキュア」(物理的には「プリキュア」に変身する変身アイテム)が、オドレンとウタエンの策略で箱に封じられ、鍵も壊されてしまうのですね。そんな、封じられた「プリキュア」を解放する要素として「歌とダンス」がこの映画では描かれます。
さて、この「歌とダンス」が何なのか? なのですが、これはよくRubyGillisさんが言ってる「お歌の力」的なことで、だいたい合っているのだと思いました。
『エデンの檻』の第96話で、絶望状態でも、あえて「Tomorrow」を歌うというシーンで描いていたこととか(Rubyさんの当時の感想)。
『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ』という作品で描いていたこととか(Rubyさんの人生のかなりの部分がつぎ込まれている228記事「ピッチ」カテゴリ)。
あるいは、『ドキドキ!プリキュア』で真琴が歌だけでレジーナのミラクルドラゴングレイブ(という武力)に対抗してみせる第40話(これは僕のブログの当時の感想)に感動した話だとか。
こういうので感じる気持ちで、だいたい合ってると思ったのでした。
「文化の力」、というか、大袈裟にいえば「ホモサピエンスの存在意義」みたいなものですか。数字、効率、論理とかだけを価値観としたり幸せだとするなら、明らかに「余剰」で「役に立たない」類のもの。なのだけど、絶対に人間という存在には大事で、次のステージへ進む鍵を握ってるもの。そういうものとして「歌とダンス」を描いていたと思います。
論理(ロジック)だけなら、オドレンとウタエンの勝ちだったのですよ。「プリキュア」(厳密には変身アイテム)は箱に封じた。鍵をかけた。鍵は壊した。もう積んだはず。
なのだけど、はるかが一歩踏み出して「歌う」ことでドレスアップキー、奇跡の「鍵」が降臨してくる。そういう、数字、効率、論理とかに全て還元されてしまうのを拒否する、謎の限界突破要素として、「歌とダンス」とそれらが導く「プリキュア」がある。
『Go!プリンセスプリキュア』のこれまでを見てみても、夢の実現にあたって、数字、効率、論理の方向で適切にステップアップしていくものの、最後の一歩は謎のファンタジー要素、奇跡要素、「プリキュア」要素という話が多いです。
第3話(感想)はそれこそ投票という、数字を稼いでいけば目標が達成できるはずの話ですが、最後の一票の如月さんの票には、「プリキュア」要素、パフの要素がなければ達成できなかった。
第5話(感想)のきららのエピソードも、数字上100パーセントで何とかなるはずだったのに、最後の一歩を超えて120パーセントを発揮するには、「プリキュア」要素が必要だった(この回のゼツボーグが「数学」を象徴するヤツなのもこの辺りを表現しているのかと。)。
こういう、数字的、論理的、状況的には積んでるし越えられないのだけれど、そこを突破してみせる、という精神が、それこそ『ふたりはプリキュアMaxHeart』最終回(感想)の、どんな絶望的な状況でも心の中は自由という雪城さんの台詞だったり(「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」……「心の中の自由」が本映画では「歌」って感じですよね)、『ふたりはプリキュアSplashStar』第48話(感想)の、「咲、まだ土が残ってるラピ」だったりすると。
そういう歴代シリーズからの伝承要素がうまく「歌とダンス」のキーワードで取り込まれていて、あと『フレッシュプリキュア!』も熱かったですね。
『フレッシュプリキュア!』(感想)こそが、「ダンス」要素作品だったのは、それこそメビウス様の数字的、効率的な管理社会に抵抗する要素として「ダンス」を扱っていたのだけど、当時の技術・リソースでは大人数のダンスシーンは作れなかったのか、最終戦では「ダンス」要素よりも、「ドーナツ」要素、「食」要素が、そういう管理を乗り越える象徴として扱われていました。
なので、本映画では、桃園さんの台詞から(久々に沖さんの桃園さんボイス聴けた!)最終回アフターの時間軸なのが分かり(せつなさんは普段はラビリンスにいるなど)、まさに、数字とか効率に管理されてる限界を「ダンス」で突破するという、『フレッシュ』終盤でともすればやりたかったことを、今回実現できたのかなと感動でありました。「You make me happy!」のパッションさん付き2015年バージョンとか、その映像が生み出されたこと自体がテーマに沿っています。というか、今作の監督が『フレッシュプリキュア!』のシリーズディレクターの志水淳児さんなのですね。どうりで!
あとは『スマイルプリキュア!』(感想)組もですか。トラップを目の前にして、いかにこのトラップを効率よく、スコアを稼ぐ的に攻略するか? とは考えずに、横の壁ぶちぬくんですよ。これも、100パーセントを目指すというか、120パーセント、200パーセンントへと限界突破する的、心の中の自由的な描写。わざわざ「熱血」とか第1話の「気合だ気合だ」の台詞にスポットあてていましたからね。積んだ状況でも気合でぶち壊す、それがスマイルチーム。あんまり思い出したくない頃で、できれば気合以外で何とかしていきたいのが今でも本音ですが、数字でも効率でももうどうにもならないような状況で、「気合だ!」と言って立ち上がってくれたみゆきさんと大塚監督のメッセージを僕は忘れていない。
歴代の歌が沢山流れるので、リアルの方でもそれぞれ思い出があれど、僕は工藤真由さんとか思い出していましたよ。2011年の頃、身をすり減らして全国各地を回って歌っておられた。限界的な状況でも、「歌」は力になり得るというのを、身をもって体現されておられました。今回の映画でもくどまゆさんの歌が流れて感動。プリキュアシリーズの歌は全部良いのですが、個人的には昔の頃からの視聴者なので、五條真由美さん、うちやえゆかさん、工藤真由さん、池田彩さん辺りの(今から振り返ると)前半の頃の歌には思い出もひとしおです。「歌」の力というのを、本当にリアルで届けてくれておりました。
そんな感じで、数字的に定まった100パーセント、そこを目指して効率的に進んでいるだけでは限界が来てしまう。それを突破し得るものとは? それが「歌とダンス」で導かれる「プリキュア」だ! みたいになった所で、「歌とダンス」で降臨した新たなドレスアップキーを使って、今までの100パーセントでは見えていなかったその先、キュアフローラのモードエレガントの新フォーム発動で、それが決め技になるというまとまりも良い映画でした。
「歌とダンス」は、プリキュアシリーズもといアニメーション作品のような、文化的余剰物でもある「創作作品全般」にも置き換えられそう。現実を見れば、現時点での数字的にはバッドエンド確定な社会的な要素もちらほら見られます。だけど、それでも「歌とダンス」的なもの、余剰かもしれないけれど同時に100パーセントの先を切り開くかもしれない心の自由とか想像力を宿しているかもしれないものも捨てずに、数字的な限界の先のハッピーエンドを目指したい。そういう意味で、ちょうど2015年の現在に世に出されることにも意味があった映画だと思いました。
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●『ドキドキ!プリキュア』のマナ×六花二次創作SS
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