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Go!プリンセスプリキュア に参加中!
 という訳で、公開初日に観てきた『映画Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!(公式サイト:音注意)』の感想です。

 ネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
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 テーマ的に三本とも連続していたと感じたので、中心的長編の『パンプキン王国のたからもの』を中心に、まとめ感想で。

 連続していたと感じた部分は、現在TVシリーズの方でも扱われてる辺りですが、本物だとか偽物だとか、そういう表層的な部分とは別に、「ホンモノ性」はある、みたいな部分です。TVシリーズだと、中盤の本物のプリンセスのトワイライト様と偽物のプリンセスのはるかの物語、最近だと、本物の「幸せの王子」的だったカナタ王子と、現在の記憶を失ってしまった偽物の「幸せの王子」的なカナタ王子だとしても、そういう部分を超えた本質的な部分ってあるでしょ。はるかはそれを見てるでしょ、みたいな辺りです。

 『キュアフローラといたずらかがみ!』は、本物のキュアフローラが、謎生物たちに偽物のキュアフローラを真似されるという構造です。その中で、どちらかというと本物のプリンセス性の象徴である本物キュアフローラの髪飾りが壊れてしまうのですね。本編でいう、いわば「正統性」が壊れてしまった状態です。なのだけど、偽物だった謎生物たちがハロウィン的な「偽物の」かぶりものを作ってくれる。そんなものは偽物に過ぎないんだけど、謎生物たちのフローラをいたわる心がこもっているし、いざ身に着けてみたらフローラさんも愉快な気分に。その幸せになった気持ちの方に「ホンモノ性」が宿っているのであって、表層的に本物だとか偽物だとかは、あんまり関係ないよね。という感じでした。

 『パンプキン王国のたからもの』は、TVシリーズの本物のプリンセスのトワイライト様と偽物のプリンセスのはるかの物語に重なるように、本物のプリンセスであるパンプルル姫と偽物のプリンセスであるはるか達……という構図だと感じました。後述する『プリキュアとレフィのワンダーナイト!』とセットなんですが、偽物なりにホンモノ性をかかげて戦っていたはるか達プリキュアたちが、敵の強大さに絶望しかけた時、希望を振りまいて戦局を打開するのは、本物のプリンセスであるパンプルル姫なのですね。

 偽物のプリンセスと本物のプリンセスが共闘し、こっちは、本物のプリンセスがマジ「ホンモノ性」を発揮してみんなを立ち上がらせる展開。TVシリーズ本編のトワ様=パンプルル姫だと思うので、これはTV本編でも、トワ様がホンモノのプリンセス性を発揮して、ホープキングダムの国民に再び希望の火を灯す展開きそう。

 『プリキュアとレフィのワンダーナイト!』の方は逆に、本物のプリンセスであるレフィが絶望しかけた時に、偽物のプリンセスであるはるかに励まされて、レフィの方が復活する構図。こちらも、終盤のフローラとレフィの共闘は、TVシリーズの感想でも終盤見たいなぁと書いていた「偽物と本物の共闘」をガチで描いてくれていて感動。レフィさんが咬みつき攻撃で頑張ってる辺りは胸熱でありました。プリキュア頼みのみで何とかなる世界からは、もう次の段階に入っているのだった……。

 総じて、三本とも本物と偽物が協力し合う次元に到達する話だと思ったのですが、そういう本物とか偽物とかを超えた上で大事なホンモノ的なものは何なのかという点がやっぱりあって、それはやっぱりプリキュアシリーズ的に大事なもので、「愛」、特に今回は「家族愛」が強調されていたように感じました。

 『パンプキン王国のたからもの』と『プリキュアとレフィのワンダーナイト!』も、壊れてしまった家族の繋がり、愛情の縫合の物語ですし、『キュアフローラといたずらかがみ!』も、謎生物さんたちのフローラへの思いやりは、ちょっと家族愛っぽい。

 『パンプキン王国のたからもの』の大事な局面で、あるいはプリキュアさんの物理的なパンチとかよりも強いものとして、「家族の味」という概念が出てきます。「幸せの味」と「絶望の味」がシーソーゲームして、影響を波及しあってどんどん希望と絶望が塗り替わっていく終盤はエキサイティングでしたが、そういうめまぐるしい中で途切れない大事なもの。映画のタイトル的には「たからもの」。それが、「家族の味」。

 昔助けてくれた「幸せの王子」と助けて貰ってたけど今度はそろそろ立ち上がらないといけない「街の人」モチーフ(『ドキドキ!プリキュア(感想)』から続いている童話『幸せの王子』モチーフ)と重なるように、昔助けてくれた親と、そろそろ立ち上がって恩返ししようという子、というモチーフを『Go!プリンセスプリキュア』には感じると最近のTVシリーズ感想では書いてましたが、そういう、親が子を想う気持ち、子が親を想う気持ち、それは大事なものだ、「たからもの」だと、そして強いものだと三作品通して描いていたと思います。

 TVシリーズ劇中でカナタ王子が記憶を失っているように。『パンプキン王国のたからもの』でパンプルル姫のお父さんとお母さんが娘のことを忘れて資本の拡大にのみ躍起になっていたように。ともすれば、昔助けてくれた「親」ポジションは頼りなくなり、その庇護下にいるだけではいられない昨今。

 「閉じた空間から出る」のがクライマックスなのも、『スマイルプリキュア!』の映画以来、秋の映画は全部共通ですね。『映画スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!(感想)』では魔王の檻からニコちゃんが出てくる所。『映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス!(感想)』では、閉じた思い出世界からマナさんが戻ってくる所。『映画ハピネスチャージプリキュア!人形の国のバレリーナ(感想)』では閉じた繭状のものからつむぎさんが出てくる所。そして本作は閉じた搭からパンプルル姫が出てくるところ。

 「幸せの王子」ポジション、「親」ポジションからすれば、子供の存在なんて忘れて閉じた所に閉じ込めておいて、利潤の拡大とか進歩だけ追っていた方が楽です。

 「街の人」ポジション、「子」ポジションからすれば、ずっと「親」ポジションの庇護下で閉じた場所にいれば安心です。

 だけど、それだけでは世界は切り開けないから。その、ちょっとズレてしまった「親」と「子」のリンクを、もう一度新しい関係性なりに縫合しなくてはならない。それを助っ人するのがプリキュアさん。『ドキドキ!プリキュア』の第三話(感想)は、改めてここ数年のプリキュアシリーズのエッセンスだよなぁと思ったり。親と子の繋がりの象徴である「手紙」を、マナさんが守る。一方で、一般人、「子」であった六花は、プリキュアに覚醒。そのままでは孤独に溶鉱炉行きかもしれなかったバッドエンド「幸せの王子」気味だったマナさんを、助けるツバメになった。

 『ドキドキ!』のキーの一つは「リソースの追加」ですが、プリキュアさんのおかげで、記憶喪失(てか、認知症とかの比喩な気もする)の親がちゃんとしてくれたり、閉じこもっていた子がそこから出てきてくれたりすると、この現在困難な世界において、何とかしていくリソースが追加されるのであった。今作だと、「子」ポジション、パンプルル姫が、わりと地力で出てきてくれて、プリキュアさんたちの助けまでしてくれたのが印象的。プリキュアさん任せの世界観も昔のものとなり、立ち上がった人たち。本物とか偽物とか関係ないから、逆にプリキュアさんを助けるくらいに参戦。希望が伝播して、普通の人っていうか、一国民に過ぎない謎のカボチャ生物たちがゼツボーグの檻をぶっ壊していく所は熱かったです。閉じた檻をぶっ壊して、リソースを追加しよう。

 『スマイルプリキュア!』第19話(感想)辺りから、ここ数年ずっと追っていたものが収斂していた印象も受けます。途切れてしまったかもしれないと思われた、「親と子」、「幸せの王子と街の人」とのリンク。そこにあった「たからもの」をもう一度見つけて縫合できた時、その繋がりが、波及する愛とか幸せとか夢とかの、起点になるのだった。

『映画プリキュアオールスターズ春のカーニバル♪』の感想へ

『ドキドキ!プリキュア』のマナ×六花二次創作SS

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→前回:Go!プリンセスプリキュア第38話「怪しいワナ・・・!ひとりぼっちのプリンセス!」感想へ
→次回:Go!プリンセスプリキュア第39話「夢の花ひらく時!舞え、復活のプリンセス!」の感想へ
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