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ゆいさんを象徴に普通の人達が立ち上がり、プリキュアといっしょに戦うっていう前回ですでにテーマはまとめきっていた印象でありましたが。
今回は、さらにプリキュアから受け取っていたキー(宝石に相当)が、普通の人達の夢の力でパワーアップ、さらにプリキュアに返還されて、プリキュアたち、グランプリンセスに変身、という流れ。
「幸せの王子」ポジションの人から、宝石が「街の人」達に配られる。宝石を受け取った「街の人」達が立ち上がってネクスト「幸せの王子」になる。あるいは、「街の人」達は「街の人」達のままで戦う。そうして、「街の人」達の愛・幸せ・夢などが上乗せされた宝石がまた「幸せの王子」に返還され、「幸せの王子」もステージアップする。「幸せの王子」はまた宝石を「街の人」達に配る……以下、エンドレス。
『ドキドキ!』〜『ハピネスチャージ』〜『Go!プリンセス』と続いていた「宝石を配って回った『幸せの王子』と、宝石を受け取って立ち上がる『街の人達』」モチーフは、この愛(『ドキドキ!』)と幸せ(『ハピネスチャージ』)と夢(『Go!プリンセス』)の永久機関を完成させるための物語だったんじゃ……。
三作分の完結感があります。今話序盤で、「街の人」達を守ろうとして一旦プリキュアたちがボロボロになるのも良い。「幸せの王子」一人で自己犠牲で「街の人」達を助け続ける限界。『ドキドキ!』の頃から「バッドエンドマナさん」として物語遠景に仕込まれていたそういうバッドエンドをチラつかせた上で、上記のみんなが立ち上がる展開になるのが良い。『ドキドキ!』第32話「マナ倒れる!嵐の文化祭」(感想)で最初に二階堂くんが立ち上がってくれたのを思い出します。あれから、ついにここまで来た。
グランプリンセスになり、夢の「守り手」から、「導き手」という表現に変更。上記の永久機関を回しながら、みんなで良い感じの未来に向かって進んでいく、その標のような存在と解釈。「幸せの王子オブ幸せの王子」のマナさんと違って、最終変身モードが四人全員なのも、ちゃんと意味がある感じ。
最終戦はだいたい今回で終わって、ラスト最終回があと一話あるので、作中の『花のプリンセス』的には、鳥(クローズさん)を許すというパートが描かれると予想。やっぱりそれが最後の一ピースという感じ。
近年のプリキュアイズムの源泉に『映画プリキュアオールスターズNS』(感想)の時、志水淳児監督(『フレッシュ』のシリーズディレクター&今作の春の映画の監督でもあられたりです。)のインタビューで、より強大になったフュージョンを、プリキュアたちがさらに強大な力で打倒しては終わりがない、そうなるともう「愛」しかない、というようなことを語っておられたのがあります。
上記の永久機関は素晴らしいですが、その回転力でパワーゲームに持ち込んで「絶望」を完全に駆逐すれば良いかというと、それはちょっとプリキュアイズムとは違う。『スイート(感想)』でノイズ様もいて良い世界を選ぶみたいな話で、「赦し」や「許容」みたいな事項がラストピースとして描かれるのかなぁと。
●『ドキドキ!プリキュア』のマナ×六花二次創作SS
→小説版『フレッシュプリキュア!』はなんと本編から一年後の後日譚!
→Amazonビデオ
→『フレッシュプリキュア!』のBlu-rayBOXがついに登場(TVシリーズ放映当時の当ブログのタイムリー感想)
アニメイトTVさんのこちらのキャストさんインタビュー記事がグっとくるものでした。↓
●『フレッシュプリキュア!』6年ぶりだから話せるカミングアウト!?/アニメイトTV
六年経っても再会できるという辺りに感動。作品という共有体験が、断絶するような出来事(2011年)があっても人を繋ぎ続けるという、その後のプリキュアシリーズや平成仮面ライダーシリーズのテーマの一つを地でいっておられる。
→前回:Go!プリンセスプリキュア第48話「迫る絶望・・・!絶体絶命のプリンセス!」感想へ
→次回:Go!プリンセスプリキュア第50話(最終回)「はるかなる夢へ!Go!プリンセスプリキュア!」の感想へ
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