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 『魔法つかいプリキュア!(公式サイト@朝日放送公式サイト@東映)』第24話「ワクワクリフォーム!はーちゃんのお部屋づくり!」の感想です。
 ◇

 大まかには、


・屋根裏部屋のリフォームをきっかけになんでも魔法でやっちゃおうとするはーちゃんに関して。

・自分は役立たずではないかと落ち込むモフルンに関して。


 この二つのパートで進む一話でありました。最後にこの二パートのお話が、まさかのビーズメイカーで交差するという、販促も兼ねた綺麗な構成に収まっておりました。

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●魔法だけではダメパート

 エメラルドの力なのか、難しいとされる重いものを移動させる魔法や無から有を生む究極的な魔法でなんでもやろうとしちゃうはーちゃん。そんなはーちゃんに、魔法を使わないで身体を使って労働(え)とかもすると牛乳も美味しくなるよということを教えるリコさん。

 物語当初、(主にリズ姉さんとの関係をこじらせていたゆえに)魔法の力を高めることに拘っていたリコさんが、今度は魔法だけじゃないよということを娘(ポジションのはーちゃん)に教える、という構図。

 しかしこの話、『一休さん』で観た記憶があるな。将軍様が一休さんに「美味しいもの食べさせろ」って言って、一休さんがお寺でめっちゃ将軍様に肉体労働させる話。そしたら、労働後の水一杯が最高に美味しかった、みたいなお話でありました。

 この手の話は、未だに自分の中でも迷います。

 雑事を処理する速度を上げるために、仕事を補佐する簡易プログラム(ある意味魔法的なもの)を作る。これは、良いことな気がする。

 一方で、富士山の山頂にどこでもドア(まあ魔法的なもの)で一気に到着。こっちは、いや、ちゃんと足使って山登れよ。それでこそ達成感があるんでしょ、と言いたくなってしまう。

 「ショートカットしてる」というのは同じなのですが、前者と後者の感覚の違いを分けるのは、何なのかな? というようなお話。

 雑事的なものはショートカットOKだけど、趣味的なものはショートカットしない方が良いみたいな感覚なのだろうか。

 わりと、これからAI時代に入って、本当様々なショートカットがここ数年〜十年で進むので(ロボット・AIでショートカットできる人間の仕事はなくなってゆく)、時代性もあるエピソード。

 極端な話、もうAIが小説とか書きはじめてるわけです。そうなると、AIが作った娯楽を、人間はVR技術で楽しむだけの生活とか、あり得るようになってくる(既に予想する言説があるように、ロボットにより労働からは人類が解放されてる前提)。レコメンド機能も超高度化してるから、AIにお勧めされる娯楽も当人にとっては本当に面白いし、AIが健康もチェックしてくれるから、そうそう体にも悪くない。

 だが、そんな生活は本当に「人間」的なのか? という感覚は、やはりある。もうちょっと不確定性とか、ある意味無駄のようなもの・ことの方に、むしろ人間性の本質はあるんじゃないか、と。

 そう思うと、人間の本質に根差した「幸せ」っていうのは、今話のように「家族で日曜大工する」的なものにある気も、やっぱりしてきたりするのですよね……。

 よくSFにあるように、ショートカット、効率化のみ万歳という方向に振り切るなら、子育ても面倒だから全部ロボットにやって貰えばよいし、介護もコストだから老人は殺せばよいということになってしまう。

 しかし、もちろんめんどうなことも多々でも子育てから感じる魂の奥の方からフツフツと湧いてくる喜びのようなものはあるし、縄文時代でさえ障害がある者を介護していた形跡があるというような話を聴くと(エビデンスの話はちょっと横においておく)、動物とは違う人間としての真実性のようなものを感じたり、我々はする。「人間」性、は中々単純でもないのです。

 うーむ。相変わらずその時その時に刺さってくる題材を扱ってくる番組ですのう。


●モフルンの自分は役立たずなんじゃないかパート

 落ち込むモフルンに対して、一緒にいてくれるだけで良かったんだと語るみらいさん。

 こ、これ、この部分が実は「暗い夜に星空の美しさを見つける」的な話(参考:第12話「満天の星空とみらいの思い出」の感想)で、みらいさんにも孤独な時期とかあったりしたのだろうか。そんな暗闇の中の星空が、モフルンだった的な。

 うーむ。電撃発表された『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!(公式サイト)』が待たれます。この、「観なきゃ死ぬ」クラスの企画力に嫉妬。

 「いっしょにいる」は、前回はーちゃんが魔法をかけていたように、本作で繰り返される重要な要素。第9話「さよなら魔法界!?みらいとリコの最終テスト!」(感想)とかも「いっしょにいる」がキーワードですね。

 あなたと私どちらが優れているのかとか、あなたと私は背景にある世界が違うとか、そういうあらゆる表層を剥ぎ取っても、いっしょにいたいと思える関係。そういうのがクローズアップされている作品です。みらいさんにとっては、モフルンもそんな一人だという。

 また、


・モフルンとみらいさん
・ドクロクシー様とヤモーさん


 が対照として描かれてる気がする。

 「過去」の「いっしょにいた」関係から、現在の「私」が「言葉」が受け取れるかどうか? という対照。

 はーちゃんの名前がことは(言葉)に決まってからの「言葉」要素推しはけっこう色んなところに絡めている印象で、みらいさんはモフルンから「言葉」を受け取ることができるんだけど、ヤモーさんはもうドクロクシー様から「言葉」を受け取ることができないんだよな。

 第一話からして、モフルンが「言葉」を喋るのが奇跡で魔法として描かれるところから始まる作品でした。

 そして、この「過去」の「いっしょにいた」関係から、「言葉」が受け取れるかどうか? は、例年TVシリーズのエッセンスになってる春のオールスター映画の今年、『映画プリキュアオールスターズみんなで歌う♪奇跡の魔法!(感想)』の魔法使いさんとソルシエールさんの関係にも重なってくるという。

 ソルシエールさんは「過去」の魔法使いさんの「言葉」を受け取り直すことができたけど、ヤモーさんはドクロクシー様(というかクシィさん)の「言葉」を受け取り直すこと、できるのですかのう。

 ◇◇◇

 この二つのパートが、「モフルンといっしょにいたという繋がりの象徴」&「魔法で何でもすればいいってもんじゃない」の両方の要素が合体して、ビーズメイカーで作ったビーズアクセサリで部屋をかざりつけるオチ。

 ビーズのチェーンが「つながり」(みらいさんとモフルンが一緒にいるという類の)の比喩にもなるし、魔法を使わないでえっさえっさとビーズメイカーで作る過程に意義が宿るという要素もクリアしてるしで、な、なんかストーリーと玩具をちゃんと組み合わせた、技ありの販促エピソードという感じです。

 もうね。ビーズメイカーに関しては夏木さんが販促やってた頃から観てるからね。販促文法にも進化を感じてしみじみとしてしまいましたね。

→香川久氏の東映アニメーションプリキュアワークスがそろそろ



→『映画プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!(感想)』のBlu-ray特装版



Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)

→前回:魔法つかいプリキュア!第23話「これからもよろしく!おかえり、はーちゃん!」の感想へ
→次回:魔法つかいプリキュア!第25話「夏だ!海だ!大はしゃぎ!かき氷が食べた〜いっ!」の感想へ
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