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 『魔法つかいプリキュア!(公式サイト@朝日放送公式サイト@東映)』第41話「ジュエリーな毎日!魔法学校へ放課後留学!」の感想です。
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 『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』は公開初日に観てきて感想もアップ済み(こちら)ですが、当初の告知通り、二週ほど経ったのでもう記事中で普通に映画についても言及していくのでご注意ください〜。

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 「こんなに楽しい毎日がずっとずーっと続くといいな」

 「きっとこんな毎日がいつか、キラキラの宝物になる」

 「キラキラ」、だから宝石、特にダイヤモンドモチーフだったのか〜。

 もう一歩いって、プリキュアのエネルギー源が何か謎だという伏線がずっと張ってあるのですが(特にオルーバさんが言及してる)、昔世界が一つだった頃の、そんな人々の「キラキラ」した宝石のような「日常」が、結晶化(エネルギー源化)してダイヤモンドになっていたのかもしれない。それが、同型でありながら分割されて、みらいとリコに伝承されていたと。「過去」〜「未来」を繋いで一瞬の中の永遠に至る……というこれまで描いてきたテーマとも合致します。

 今話で描かれた、おそらく最後に主人公たちの「守りたいもの」になる「キラキラ」した毎日が成立するにはいくつかの要素がありますが、特には「分断されていた二つが交流している」という条件があります。

 それは、ナシマホウ界と魔法界、みらいとリコ、前話の絵本だと二つの星さんにかかっていくのですが、今話ではそれが校長先生とクシィさんまで重なるように描かれ始めます。

 さらに、劇場版『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』まで視座に入れるなら、モフルンとクマタもこの関係に入るかと思います。

 今話ではリコが当初クラスメイト達から浮いていたことに言及されており、劇場版のクマタさんのクマさん共同体から浮いていた話も重なることも鑑みると、総じて右側が、何らかの「排斥されていた」側なのかなと思います。

 校長先生とクシィさんはそれぞれみらいさんとリコさんの先行バッドエンドバージョンですから、一人で抱え込んでしまった校長先生に対して、闇の魔法に惹かれてしまったクシィさん(第22話「芽生える新たな伝説!キュアフェリーチェ誕生!」(感想)で、リコが解決方法として偉大な魔法使いになろうとするくだりがある。これは、そっちの方向で突き進んでしまうとクシィさんになる)という感じでしょうか。

 そんな「二つ」が手を繋いで補い合う世界観こそが作中の到達点なのですが、最後に乗り越える必要がある対象としてのデウスマストさんに対しては、オルーバさんからむしろ二つの世界が近くなってるのはデウスマストさんの影響という趣旨の語りが入ります。

 ずっと書いてるようにデウスマストさんは二つの星を分断する暴風の類のもの、リアルの方のグローバル資本主義の暴走的な存在かなと思っているのですが、確かに、グローバル化は遠く離れていた世界を「近く」もしたのですよね。一方で、これまで描かれてきたように、同時に世界に均質化をうながし、地域伝統や共同体を破壊してもいる、という。

 最後の課題であるデウスマストさんにまで、繰り返されてきた「見え方」の違いネタが仕込まれていると感じます。

 前回の感想で書いた通り、分断されていたけれど、元は一つの世界だったネタは、リアルの方の南方熊楠の『西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語』という論文が元ネタかと思っております。

 欧州と中国の隅と、分断されていた場所は、確かにグローバル化で近くなった。そこには、良い点も良くない点も「見え方」で浮かび上がってくる。だけど、実は根底では変奏を重ねながらも元は一つの物語だった『シンデレラ』を共有していたりする。その二つに『モフデレラ』的なもので橋をかけよう、みたいな世界が最後の風景として出現するのかな。

 そのまんま、手を取りあうみらいとリコが、間にモフルンを介在してプリキュア(理想)に変身するという第一話の変身バンクが象徴になってる風景なので、まさに一即多・多即一、一瞬の中の永遠を演出でも地でいってる作品だよな〜と思ったりなのでした。

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→前回:過去と未来、現実と想像は「シンデレラ」で「和(=プリキュア)」に至る〜魔法つかいプリキュア!第40話「愛情いっぱいのおめでとう!リコの誕生日!」の感想へ
→次回:魔法つかいプリキュア!第42話「チクルンにとどけ!想いをのせた魔法のプリン!」の感想へ
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