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デウスマスト様の正体は、いうなれば宇宙開闢(始まり)前の「混沌」の残滓。
前回ラストのナシマホウ界と魔法界が「融合」してしまう展開で、この「融合」っていうのは同じく鷲尾天氏プロデューサーがてがけていたプリキュアシリーズ初期作の集大成の一つ、『映画プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ奇跡の大集合!(感想)』における敵キャラ「フュージョン」と同じなので、うんうん、各々が独立したまま手を繋ぎ合う「多様性」を是とするプリキュアさんからすると、「融合」はラスボス要素になるよね、と頷いていたのですが。
参考:鷲尾天氏のエッセンス〜均質化に向かう世界で「見え方が変わる」を守るということ―魔法つかいプリキュア!第15話「ハチャメチャ大混乱!はーちゃん七変化!」の感想(ネタバレ注意)
ここで、さらに宇宙開闢前の大本の存在だったという設定も明らかになることで、「融合」を象徴するだけじゃなく、一種の(間違った方向での)「親」的な存在でもあることが分かってきました。「親」から「子」が生まれるように、「混沌(デウスマスト様)」から「宇宙」が生まれた。そこから色々生まれていって「生命」が生まれてるので、みらいさん達を含めて「生命」は、「親」ポジションのデウスマスト様からすると「孫」とか「子孫」くらいのポジションでしょうか。
この、元は一つだった(「親」的な存在だった)ものから「分れた(「子」が生まれていった)」というモチーフが、本作では何重奏にもなって描かれていたのが見てとれます。
ざっとあげるだけでも。
・まず、大前提として、母「親」と「子」は当初はへその緒で繋がっているのからも示唆される通り、元は一つだった存在です。そこから分かれて、子という存在が生まれる……という、ある意味「生命」の普遍的・哲学的な話が一つあります。
・「親」と「子」の要素は劇中に何度も出てきていて、みらいさん、リコさん、それぞれの親御さんと子の関係もそうですが、やはり一番は、みらいさんとリコさん自体が「親」の比喩になっていて、そこからはーちゃんという「子」が生まれてくる……というのが、物語上はメインモチーフだった感じです。「親子」「家族」のモチーフですね。
・そうなると、「花の海」が存在した原初の世界(「親」ポジション)から、「魔法界」と「ナシマホウ界」という「子」ポジションの二つの世界に分かれていった、という「世界」に関する設定もこのモチーフに重なります。
・上記の「世界」にまつわる設定がリアルの方の南方熊楠の「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語」という論文を元ネタにしてるんじゃないかという話は僕が個人的に提唱していた話ですが(参考:過去と未来、現実と想像は「シンデレラ」で「和(=プリキュア)」に至る〜魔法つかいプリキュア!第40話「愛情いっぱいのおめでとう!リコの誕生日!」の感想(ネタバレ注意))、リアルおよび劇中の「シンデレラ」もその要素で、元は一つだった『原初シンデレラ物語』(「親」ポジション)から、リアル世界では欧州と中国の端に分岐した『シンデレラ(的な)物語』(「子」ポジション)があるという話。劇中では、「魔法界」と「ナシマホウ界」にそれぞれ変奏しながらも『シンデレラ(的な)物語』があるという話。「物語」に関しても、「親」のような「物語」があり、そこから「子」的な「物語」に分かれていく、というモチーフですね。
・かつて一緒にいたのだけど(「親」のもとにいられた児童時間的な比喩)、やがてバラバラになって、最終的には戦うことになってしまった、校長先生とクシィさんの物語のラインも、「元は一つだったけれど、分かれた」というこのモチーフのラインです。
・そして、マザーラパーパ様という「母(親)」ポジションの存在が、同じ「親」ポジションのデウスマスト様とは違って、自分の後に生まれていった「子」的な「生命」「世界」を祝福している、守ろうとしている、「愛」を向けているのもこのモチーフのラインです。同じ「親」ポジションでも、自分から生まれていった「子」ポジションの「生命」を妬んで再び自分(「混沌」)に取り込んで(融合)してしまおうとするデウスマスト様と、自分から生まれていった「子」ポジションの「生命」の独立性を尊重しようというマザーラパーパ様の、「子」に対するスタンスの対立の最終決戦でもあるわけですね。TJさんが書いてますが(こちら)、同じ「12」という数字でも、デウスマスト様の眷属の方は最終的にデウスマスト様と「融合」して、リンクルストーンの方は「自我」を持っている(バラバラなまま)というのもこの対比かと思います。
そんな流れで、デウスマスト様は、「融合(フュージョン)」の象徴にして、(間違った方の)「親」の象徴。鷲尾天氏繋がりで、本作が『映画プリキュアオールスターズDX1〜3』の系譜だとは分かっていたものの(ラスボスは「融合」的な存在)、同時に『映画プリキュアオールスターズNS1〜3』の系譜でもあったのか(ラスボスは(間違った方向での)「親」的な存在)。まさに新旧を両方成立させながらのプリキュアシリーズの集大成の作品のごとし。
僕くらいの年齢になると、デウスマスト様の気持ちも何となく分かります。自分という存在から生まれていった存在(地球とか「生命」)が、自分のことなど省みずに栄えてる様子を見てしまったら、ちくしょー、何もかも俺に飲みこんでやる、みたいな暴走に行きつくこともままあるやもしれません。
そういう意味で、「親」と「子」の関係というモチーフは、同時に本作がこれまで何度も扱ってきた「過去」と「未来」のモチーフと連動しているとも言えます。あまりにも「過去」=「親」的な存在をないがしろにしたまま、「子」が自分たちだけは前後から分断された存在として刹那的に「楽しい」と栄えていたら、それを見た「過去」=「親」は、全てを飲みこもうと襲ってきたりするかもよ、と。
リアル世相の方なら、かつての「親」的な存在が「子」を搾取にかかるいわゆる「老害」的な諸問題のことかもしれないですし、フィクションだったらあれだ、忘れ去られてしまったという「過去」の(「親」ポジションの)怨念が襲ってくるという、TJさんの同人誌の話みたいな。そういう意味で、デウスマスト様は「メタに」『白蛇伝』でもあるかもしれない。
『PRECURE 10TH ANTHOLOGY ディケイド&オールプリキュア ANTHOLOGY大戦(特設サイト)』と『漫画版 仮面ライダーゴースト 60の眼魂と3人のアイドル(こちら)』とは良い同人誌だから、みんな買っておくと良いよ。『ディケプリアンソロ』の方には僕も小説で参加してるよ。
そんな、「過去」=「親」ポジションの暴走=デウスマスト様……に立ち向かえる最終局面を描くために、本『魔法つかいプリキュア!』という作品は、入念に「過去」を「受け取り直す」という物語を何重奏にも描いていたのですね。
一番は、第1クールにそのエッセンスがつまっていたとして、リコさんが「過去」である「リズ姉さんとの関係性」を「受け取り直す」物語が丁寧に描かれていたというのは、昨年僕が(PV数的にも)書いた一番のヒット記事のこちらでも書いていた通りです。↓
参考:リコ(=Record)が過去を赦して未来に目を向け始める〜『魔法つかいプリキュア!』第1クールのエッセンス
あと、この「過去」を「受け取り直す」物語というのが、『魔法つかいプリキュア!』という作品単独だけじゃなく、2016年のアニメーション作品全体のトレンドでもあった、というのは、ちょっと長いですがメインブログの方に本格的な記事を書いてアップしておいたので、物語をじっくりと味わいたい方は時間とって読んでおいて頂けたらとても喜びます。↓
参考:2016年「アニメ作品」ベスト10〜過去の悲しい出来事を受け取り直し始める震災から五年後の想像力(ネタバレ注意)/ランゲージダイアリー
デウスマスト様は「過去」の「親」の暴走の象徴。一方で、プリキュアさん側は、「過去」を丁寧に受け取り直した上で「未来」も願うよ、というスタンスですので、「過去」と「未来」の両方の象徴。
(暴走した)「過去」「親」=デウスマスト様VS「過去」と「未来」、「親(的な存在)」と「子(的な存在)」の手繋ぎのプリキュアさん。
最終局面の物語。
デウスマスト様に、「混沌」に、「過去」に、「親」に、「融合」させられてしまったら、世界に「明日」が、「未来」が来ませんから、みらいさんはそれを守らないと、取り戻さないといけません。
しかし、そのためにはたとえデウスマスト様をしりぞけても反動で「ナシマホウ界」と「魔法界」が再び遠く分かれてしまうということを受け入れなくてはなりません。
最後の選択。
みらいさんは、特に第27話(感想)以来、「悲しいお別れは、もうしたくないんです」と「ずっといっしょにいる」を掲げていましたが、ここまで物語が進むと、その理想はどこかで「親」的な存在との同化願望的な幼さと表裏一体だったのも見えてきます(もちろん、それは同時に上述のように「過去」を尊重する態度でもあるので、悪いことでもありません。ここでも「見え方」の違いテーマ)。一方でみらいさんは、第1話時点で「親」を置いてリコさんとの新しい出会いをきっかけに「魔法界」に行っちゃったり、絶えず「ワクワクもん」の「未来」を志向する存在でもあると描かれてきました。テーマ上は、みらいさんというキャラクターの中で、この二つが相克してるドラマもあったりな作品だったのですね。
今話にて、みらいさんは「未来」を選択。たとえ離れ離れになったとしても、もう一度出合えるさ、という願い。それが「魔法」にして「奇跡」。ここまでの話数で丁寧に積み上げてきたものが、全てが繋がっていって、ラスト3感あります。
上記の「過去」を「受け取り直す」要素は、メタには『プリキュアシリーズ』そのものにもかかってると、特にオールドファンは解釈したいところです。
本作が、初期鷲尾天氏プロデューサー時代の『ふたりはプリキュア(感想)』〜『MaxHeart(感想)』、『Splash☆Star(感想)』辺りの初期シリーズを本歌にしてる表現が多数見られる作品なのは確実かと思いますが、そう思うと、鷲尾P時代の総決算の『映画プリキュアオールスターズDX3未来にとどけ!世界をつなぐ☆虹色の花』(感想)のラストも、「離れ離れになるとしても未来を守るか」どうかがクライマックスだったのですね。監督は大塚隆史監督です。
そして、次回。
とのこと。次回、『魔法つかいプリキュア!』第49話(通算634回)「さよなら…魔法つかい! 奇跡の魔法よ、もう一度!」(2017.1.22 OA) 絵コンテ…三塚雅人、大塚隆史(1年3ヶ月/62話ぶり34回目)/演出…三塚雅人 #precure pic.twitter.com/5ZsjO3eTid
— 祥太(C91 2日目 金曜 東Q30a) (@shota_) 2017年1月14日
ぎゃー。前回の感想で、これでラスト3のどこかで大塚隆史監督演出回とか来たら、僕泣いて飛び上がるぞって書いたのですが、ラスト2に絵コンテで参加。
元ソースが僕の方では確認できてませんが、祥太さんは元情報なしの情報をむやみに流すような方でもないので、確実でしょう。(アニメ誌とかで前もって発表されてるのかも。)
「離れ離れになるとしても未来を守るか」、同じテーマで、この2017年に再び大塚隆史監督(あえてまだ監督と呼んでおりますが)もラスト2に参加。
ちなみに、「DX」の後の『スマイルプリキュア!』最終回(感想)も、「離れ離れになるとしても未来を守るか」という同じテーマだったので、大塚監督の作家性というか人間性というか、そういうものともリンクしてるテーマなのだろうと思います。もう、本当大塚監督しかないだろうというタイミングできましたね……。
『スマイルプリキュア!』最終回、離れ離れになるとしても守らないといけないような「大切なもの」、みゆきさんは「分かってる」と言うのですが、その内容が具体的に何なのかは言明されませんでした。
僕は、東日本大震災の後の2012年の作品ということもあり、それは「日常」だと当時解釈していました。本作『魔法つかいプリキュア!』にも、みらいさん・リコさん・はーちゃんの「日常」の大切さ要素はある作品です。
で、「日常」の意味ももちろんあったのだろうけれど、でも、今改めて思うと(これも「過去」の「受け取り直し」ですね)、あの最終回でみゆきさんが守ろうと思ったものは、「未来」でもあったんだろうな、と。
「過去」に全てが飲みこまれる、たとえば『ふたりはプリキュア』とか『Yes!プリキュア5』とかが12期とかまで続けば良かったのか? やはり、それは違かったのではという感覚があります。当時で言えば『フレッシュプリキュア!』(感想)、「未来」に進んだからこそ今の多様で彩(いろどり)溢れるプリキュアシリーズがあるのであります。そう思うと、やはりメタにこの『魔法つかいプリキュア!』という作品とお別れになるとしても、「未来」は、新番組『キラキラ プリキュアアラモード(公式サイト@朝日放送/公式サイト@東映)』という作品は守らないといけない。
たとえ離れ離れになったとしても、もう一度出合えるさ、という願い。それが「魔法」にして「奇跡」。
この要素も、その後のオールスターズ展開や、この『魔法つかいプリキュア!』という作品にも『初代』〜『MaxHeart』『S☆S』『Yes!プリキュア5』のスピリット、要素が本歌として生きているのを目撃すると、真実性を感じます。「過去」と「未来」が手を繋ぐということ。
堀江「来週がアニメ史に残る神回だよね」
— 祥太(C91 2日目 金曜 東Q30a) (@shota_) 2017年1月15日
早見「神回というか、神!」
高橋「わたしたち神だったのか!」 #ミラクルマジカルトークショー
やばい。来週は万難を排して正座して観るしかない。既に、12年以上このシリーズを観続けてきて良かったな感を感じてますよ。高橋「TVシリーズも春映画も秋映画も含めて、49話のために走ってきた。」#ミラクルマジカルトークショー
— 祥太(C91 2日目 金曜 東Q30a) (@shota_) 2017年1月15日
みらいさんが最後にそれでも守ろうとする「未来」の象徴は今話では「夕日」になってるのですが、「明日」がくると信じられるからこそ「夕日」は綺麗ということで、だから「明日」の象徴、みらいという名前だけじゃなくて、苗字が「朝日」奈だったのか……。ちなみに「奈」は「実り」をもたらすみたいな意味ね。
表面的には「夕日」が象徴になっているのですが、同時に前話の「鍋」も引き続き象徴になってるのが熱いところですw。 「鍋」、また共に囲もう(再びいっしょになれる)と信じた、約束した「未来」(デウスマスト様襲来によって未だ叶えられない)の象徴。
「MaxHeart」最終回(感想)でなぎさが唐突に「あさりの味噌汁」の話を始めるのが泣けるのですが、そんな感じで、次回みらいさんが唐突に「鍋」の話し始めてくれたら、マジ泣きするぞ……。絶体絶命の状況でも、雪城さんが「MaxHeart」最終回で言っていたこと。「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」。どんな状況でも、「未来」を「鍋」のことを(え)を考えることのできる心の自由は死なないのだった。いやー、ここまで48話、もっといってシリーズ12年観続けてきて良かった……。
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→Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)
→前回:フュージョン(融合)ではなくバラバラの二人が手を繋ぐのがプリキュアだと思い出した僕らは「鍋」オフ会の夢を見るか〜『魔法つかいプリキュア!』第47話「それぞれの願い!明日はどっちだー?」の感想へ
→次回:魔法つかいプリキュア!第49話「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!」の感想へ
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