ブログネタ
魔法つかいプリキュア! に参加中!
 『魔法つかいプリキュア!(公式サイト@朝日放送公式サイト@東映)』第49話「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!」の感想です。
 ◇

 これは、僕じゃなきゃ書けないというか、僕のような立場の人じゃないと書きづらいというか、そういう要素かもしれないので、やっぱり書き記しておこうと思うのですけど。

 劇中で明言されてないのですが、Bパートの大学生みらいさんは、大学一年生の可能性もあるけど、この時点で海外に仕入れに行ったりな経験もあるという情報なども加味すると、既にある程度時間が経ってる感もあり、大学二年生の終わりの三月、あるいは大学三年の始まりの四月、なのではないかという気がしました。

 何故なら、そうなるとみらいさんがリコさんと別れた中学二年生の終わりの春からちょうど六年になり、それは震災からちょうど六年というリアルの経過時間と符合するから。

 Bパート、もう魔法界にはつながらないパス、カタツムリニアではない電車……という「現実」の描写から始まります。

 世界はそれなりに回ってる。「日常」も戻ってきている。けれど、みらいさんの一番大事な人とはもう会えない世界……という出だしです。

 震災を機会に、大事な人と会えなくなった人々というのが実はこの国にはたくさんいて。死別はもちろんそうなのですけど、避難とかもろもろで、六年前にいっしょにいた大事な友達、家族、そういう人と未だ離れて暮らしている人々というのがけっこうな数いて……。

 抱えているものがあります。「日常」は戻って来ていて、自分も笑っているし、世界の方ももう被災した人たちのこととかそんなに気にしてないし。

 けれど、当人はずっと、今では会えなくなってしまった大事な人のことを想っています。

 そして、そういう気持ちは言葉にして伝えにくいです。自分がまだ大丈夫じゃないんだ、ということを言ってしまうと、もう「日常」は戻ったことにしましょうという方向で動いてる世界に対して、申し訳ない気がして。

 このBパート序盤の、「日常」も戻ってきている、だけどちょっとした表情から、みらいさんは「欠けた」まま取り残されている……という表現が、ちゃんとそちら側の人にカメラを寄せるんだな……と。プリキュアシリーズはガチで商業作品でなんと言っても玩具を映像、エトセトラをバンバン売っているのですが、やっぱりそれだけじゃないんだなと感心したところです。

 あるいは、ドンピシャの視聴者もいたのかもしれません。

 リアルの中学二年生の頃、まだ「魔法」的なもの、メルヘン的なものとか信じたい感性のまま思春期になっていて、プリキュアとか観てる中学生だった、という子。女でも男でもいいと思うのですけど。

 けれど、その年の三月の震災を機会に、大事な人と別れざるを得なくなった人。

 そしてそのまま、大事な人とは会えないままで、アニメなんかも観てられるような状況じゃないまま時間が経って、六年経って大学二年生になって、昨日、この第49話をたまたま観た、みたいな人。

 それは、視聴者母数からしたら絶対に多数派ではないのですけど、第49話Bパート序盤っていうのは、そういう立場の、少数でもいるかもしれない人にカメラが寄っている。

 みらいさん、戻っている「日常」の中で笑ってたんだけど、「会いたいな」のところでようやっと涙を流すんですね。全然、本当は大丈夫じゃなかったんだと。どんなに、街が、インフラが、「日常」が戻っても、リコがいないんでは意味がないんだと。

 そういう立場の人に、その言葉は言ってオーケーなんだよって言ってる作品のようで。まだ泣いても、全然オーケーなんだよって言ってる作品のようで。

 六年前の三月に、『映画プリキュアオールスターズDX3未来にとどけ!世界をつなぐ☆虹色の花(感想)』が別れと再会の物語になったのは、震災が起きたタイミングとは関係ない偶然(制作期間から考えたらその通り)とはインタビューで仰ってるのですけど、その映画も鷲尾天プロデューサーと大塚隆史監督のタッグで、六年後のこの第49話も別れと再会の物語で、同鷲尾天プロデューサーと大塚隆史監督(とあえてまだ呼びますが)が関わっていて、もちろん偶然かもしれないのですけど、察するところはある表現でした。

 どちらかというと超絶バトルの絵コンテこそ大塚監督ってイメージなのに、Bパートの方を大塚監督が絵コンテ担当というのは、感じる部分がある分担なのですよね……。

 お祖母ちゃんの、


 「素直な言葉は力になる。想いが繋がっていれば、それは奇跡を起こすのよ」


 の台詞がキーになることで、はーちゃんの名前が「ことは」になった辺りからそこはかとなく絡められていた作中の「言葉」要素も回収された気がして、そのまんまの意味でももちろんそうだけど、上記のように「会いたい」「一緒にいたい」って「言葉」、ちょっと六年経って最近では口にしづらくなってるかもしれないけど、言いなよって言ってくれてるみたいで。

 みらいさんが魔法の枝をいったん手放してしまって、やっぱりもう「現実」なんだ、「魔法」的な時間、メルヘン的な時間は終わったんだ、もうこの言葉は飲みこもう……となりかけた所から、お祖母ちゃんの言葉を思い出してみらいさんが振り返って走ってゆく所が感動的で。何度も、会いたい、一緒にいたい、ということを言葉にして涙を流しながら繰り返す。言葉を放つ唇も震えていて、本当は、それくらい言いたかったのに、っていう。

 第一話(たいてい物語全体のエッセンスが凝縮されている)が、絶体絶命の状況でも「キュアップ・ラパパ!」(言葉)を絶叫して奇跡を起こす(変身する)話で、『映画魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!(感想)』もモフルンと一旦会えなくなってから、絶望的な状況でも願いを言葉にして発し続けて奇跡を起こす(モフルンさん復活)話で、そういう積み重ねがあり、また繋がってきてもいたので、最後に奇跡が起こる流れがとても自然に感じられました。

 初期鷲尾天氏プロデューサー時代の『ふたりはプリキュア(感想)』〜『MaxHeart(感想)』、『Splash☆Star(感想)』辺りの初期シリーズの本歌取り的な表現、オマージュ的な表現が豊富な本作でしたが、この部分に、一番「MaxHeart」最終回の雪城さんの「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」の精神を見ました。心の中の宇宙の自由のもと、どんな状況でも大事な人ともう一度会えることを願って、良い。

 最後のカタツムリニア登場のシーンがすごい良い。物語としても、絵コンテ、原画、動画レベルでも、なんかすごい良い。「魔法」的、メルヘン的なもの、あるいは六年前に離れてしまっていた「ワクワク」との再会。思いがけない、ワクワクもんの未来。

 辿り着きたかった最高の未来の絵が、なんかもの凄い進歩を目指すとか、世界を救うヒーローになるとか、そういうことではなく、大事な友達と、家族ともう一度会えることだった、いっしょにいられることだった、というのがこの作品らしい。

 堪能した作品でした。

 あまりに美しい一話で第49話に「鍋」要素を入れる隙がなかったのだけが心残りなので(え)、最終回はみんなで「鍋」を囲む話とかお願いします!

→Blu-ray

魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.1
高橋李依
ポニーキャニオン
2016-09-21


魔法つかいプリキュア! Blu-ray vol.2
高橋李依
ポニーキャニオン
2017-01-18


Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)

→前回:『魔法つかいプリキュア!』第48話「終わりなき混沌!デウスマストの世界!!」の感想へ
→次回:『魔法つかいプリキュア!』第49話に組み込まれている二つの「過去との再会」という物語モチーフへ
→次回:『魔法つかいプリキュア!』第50話(最終回)「キュアップ・ラパパ!未来もいい日になあれ!!」の感想へ
魔法つかいプリキュア!感想の目次へ