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キラキラ☆プリキュアアラモード に参加中!
 という訳で、公開初日に観てきた『映画プリキュアドリームスターズ!(公式サイト:音注意)』の感想です。


 ネタバレを含んでおりますので、まだ観てない方はご注意下さい。
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 今回の見所ベスト4。


第4位:母(親)と子

 シズクさん―サクラさん

 の関係と、

 いちかさんのお母さん―いちかさん

 の関係とが、

 「母(親)と子」、

 の関係で重ねられている映画でありました。

 前者は犬的な何か(シズクさん)と女の子(サクラさん)という関係ですが、シズクさんはサクラさんに目線を合わせているとか、もろもろの描写から「母(親)と子」の関係の比喩なんだろうなーと思われます。

 そして後者は、映画冒頭が幼いちかさんがいちかさんのお母さんから贈られた言葉……というシーンから始まりますし、たいてい物語全体のエッセンスが凝縮されているTVシリーズの第1話(感想)はいちかさんがいちかさんのお母さんに「想い」を届けようとするエピソードですし、『キラキラ☆プリキュアアラモード』という作品は何かしら「母(親)と子」が大事なモチーフの作品なのだろうというのが伝わってくる感じです。


第3位:『魔法つかいプリキュア!』と『Go!プリンセスプリキュア』

 上記の「母(親)と子」のモチーフに、『キラキラ☆プリキュアアラモード』以外で本映画に関わってくる二作品、『魔法つかいプリキュア!(感想)』と『Go!プリンセスプリキュア(感想)』のメインモチーフが重なるように描かれていた映画だったと思います。


・『魔法つかいプリキュア!』

 本映画の「母(親)と子」の要素ですが、これは『魔法つかいプリキュア!』だともろに「みらいさん&リコさんとはーちゃん」の関係で比喩的に描かれている関係でした。

 ここに、『魔法つかいプリキュア!』の中心的モチーフの一つである「別離→再会」のモチーフも本映画では関係してきます。


参考:『魔法つかいプリキュア!』第49話に組み込まれている二つの「過去との再会」という物語モチーフ


 離れ離れになってしまったシズクさん(家族的存在)に会いたいというサクラさんの「想い」が、はーちゃんとの別れやリコさんとの別れを経験してきたみらいさんには分かる、という構造になってるのですね。

 シズクさんにもう一度会いたいと涙するサクラさんの心情は、『魔法つかいプリキュア!』第22話(感想)でもう一度はーちゃんに会いたいと想うみらいさんの心情や、第49話(感想)でもう一度リコさんに会いたいと想うみらいさんの心情と重なります。そんなみらいさんがサクラさんを助っ人するという熱い展開の映画でありました。


・『Go!プリンセスプリキュア』

 本映画での「母(親)と子」の関係という要素は、そのまま『Go!プリンセスプリキュア』における「幸せの王子と街の人たち」の関係に重ねても捉えられるようになっていたと思います。

 『ドキドキ!プリキュア(感想)』から始まった、『ハピネスチャージプリキュア!(感想)』を経由して『Go!プリンセスプリキュア』で(まずは)完結する、柴田宏明プロデューサー時代の「幸せの王子」三部作のモチーフですね。

 自分の身を犠牲にして街の人達に宝石を配って最後は溶鉱炉行きになった「幸せの王子」と、王子から宝石を受け取った「街の人たち」の関係が、オスカー・ワイルドの童話『幸福の王子』をモチーフにして展開されていきます。

 『Go!プリンセスプリキュア』が一つは(テーマ的な)集大成なのですが、ここで描かれる「幸せの王子と街の人たち」の関係が、「母(親)と子」の関係と重ねて捉えられるのですね。ざっくりとは、「かつて愛を与えた者とかつて愛を受け取った者」の関係です。

 なので、シズクさん(親的な存在)に会いたいと願うサクラさん(子的な存在)の「想い」は、たとえば『Go!プリンセスプリキュア』でははるかさん(最初はただの「街の人」だった)がカナタ王子(「幸せの王子」ポジション)に会いたいと願う「想い」とも重なるという構造にもなってると思うのでした。

 シズクさんが映画の最初に自分の身を犠牲にしてサクラさんを逃がすのも、『Go!プリンセスプリキュア』第21話(感想)でカナタ王子が自分の身を犠牲にしてはるかさん達を逃がすのと重なる、「自分の身を犠牲にする幸せの王子」モチーフとして読み取れる感じだったのでした。


第2位:共闘

 上記までが物語上の「タメ」の部分で、なので『魔法つかいプリキュア!』と『Go!プリンセスプリキュア』を丁寧に視聴していた人だと、その「タメ」がどう昇華されるかはだいたい分かるし、自然な流れとして受け取れる感じだと思うのですね。

 「別離」のタメは「再会」で昇華されます。(『魔法つかいプリキュア!』)

 ゆえに、サクラさんとシズクさんも「再会」する展開に。

 「幸せの王子と街の人たちのディスコミュニケーション」という「タメ」は、「幸せの王子」と「街の人たち」との「共闘」という形で昇華されます。(『Go!プリンセスプリキュア』)

 なので、最初はシズクさん(親的・幸せの王子的な存在)に守られているだけだったサクラさん(子的・街の人たち的存在)も立ち上がり、最後はラスボスを前に二人で共闘する展開になります。

 サクラさんがシズクさんと「再会」する展開に、『魔法つかいプリキュア!』の第22話や第49話の「再会」の展開が思い起こされ。

 サクラさんが立ち上がりシズクさんと共闘する展開に、『Go!プリンセスプリキュア』のはるかさんがカナタ王子たちと「共闘」する展開が思い起こされ、重層的に心に響いてくる映画でありました。ちゃんと、共演となる二作品のテーマも丁寧に映画本編に織り込んでいるのは、喜びに満ちた気分になれる部分だったのでした。


第1位:宇佐美いちか

 されど、僕が一番心を揺さぶられたのは、この映画でいよいよ宇佐美いちかさんという『キラキラ☆プリキュアアラモード』の主人公のヒーロー像が明らかになってきたという部分でした。

 誤解を恐れずに強めに言うなら、これはたぶん『ドキドキ!プリキュア』の相田マナさん再び……という主人公像なのです。プリキュアシリーズに関してはだいたい三年でメイン視聴者層の児童は入れ替わるから、三年経ったら以前のシリーズの要素もまた入れることもある(概意)という趣旨の制作陣の方のインタビューがあったりしますが、『ドキドキ!プリキュア』からもう四年経ちましたからね。ここで、もう一度マナさん的な主人公の物語を描くというのはあり得ると思うのです。

 映画序盤。落下するモフルンを助けるために、命綱なしで迷わずダイブするという行為に出るいちかさん……というシーンはは、『ドキドキ!プリキュア』第2話(感想)で真琴を助けるために命綱なしで迷わずダイブするマナさん……というシーンとまったく同じなのです。カッコいい「人助け」のヒーロー像でありながら、どこかで自分のことを省みない自棄の危うさも見てとれる……というシーンです。

 そう考えて思い出してみると、いちかさんはTVシリーズ第2話〜第6話と他人の「想い」を守る……という役回りをしているのですが、第1話では(ペコリンの助力はありつつも)最終的に自分の「想い」を自分で守ってるんですね。

 この、じゃあいちかさんの「想い」は誰が守ってくれるのか? 的な構造に、じゃあ自分の身をすり減らしてみんなを守った「幸せの王子」相田マナさん自身のことは、誰が守ってくれるのか? というマナさんの物語的なものを予感してしまうのでした。

 加えて、いちかさんは「遠くへ行ってしまった母」という、初代『ふたりはプリキュア(感想)』〜『ふたりはプリキュアMaxHeart(感想)』の雪城ほのかさんの物語から続く、親御さんにまつわる「孤独」の要素も受け継いでいます。後の『Yes!プリキュア5(感想)』のかれんさんの物語とか、『スイートプリキュア!(感想)』の響さんの物語にも続いて行く要素ですね。

 第1話。遠くへ行っているお母さんに「想い」が届かなかった……というのは初代『ふたりはプリキュア』『ふたりはプリキュアMaxHeart』でほのかが抱えていた、『Yes!プリキュア5』でかれんさんが抱えていた、『スイートプリキュア!』序盤で響さんが抱えていた、寂しい、孤独だという「想い」です。

 つまり、宇佐美いちかさんという主人公像は、相田マナさん的主人公像であると同時に、雪城ほのかさん的ヒロイン像でもあるということです。これ、けっこうハードな状況に感じられます。マナさんには六花さんがいて、ほのかさんにはなぎさがいて、それが一つは救いになってるという描き方だったのですが、いちかさんの六花(「燕」)は? いちかさんのなぎさは? という物語です。

 だから、この映画でサクラさん(子的・街の人的存在)がシズクさん(母的・幸せの王子的存在)に「想い」を届けようとするのをいちかさんは助っ人するのですが、これは、その孤独を知ってるから、あなたのソレは守るよ、みたいなポジションなのですね。

 いちかさん自身はお母さんに「想い」を届けられなかったのに、サクラさんがシズクさん(お母さん)に「想い」を届けるのは、守る。サクラさんとシズクさんのディスコミュニケーションの一番の要因として描かれるサミダレの仮面を破壊するのもいちかさんで、技は回転かかと落としです。これは古くは『ふたりはプリキュアSplash☆Star(感想)』で美翔さんが印象的に使っていた技ですが、『ドキドキ!プリキュア』最終回(感想)でマナさんがプロトジコチュー様を倒した技でもあります(岡田さんのビッグバン発言wのところ)。やはりなにかと、いちかさん=マナさんを個人的には連想してしまう。

 果たして、いちかさんを助けてくれる存在は現れるのか。「街の人たち」が立ち上がってくれる『ドキドキ!プリキュア』第32話(感想)相当は、どのように描かれるのか。

 一つ、本映画で示唆されてるのは、「時間差で届けられる母の想い」ということなのかな、とも感じます。

 TVシリーズ第1話は、いちかさん→いちかさんのお母さん……の方向で「想い」が届かなかったというエピソードですが、本映画は、いちかさんのお母さん→いちかさん……の方向で「想い」(幼少時に貰った母からの言葉の意味)が長い時間を経て届く……という物語でした。

 リアルの方を鑑みても、親から昔貰った言葉とか、いちかさんは十四歳で感得できたのはまだたいしたもので、下手したら何十年とか経ってから、あの時親が言ってたのはこういうことだったのか! と感得される類のものです。逆に親御さん視聴者向けには、今伝わらなくても、いつか届くから、子に「想い」とか愛情を伝え続けておこうよというようなメッセージでもあるかと思います。

 なので、そんなある意味孤独ないちかさんを「助っ人」するのが、みらいさんであり、はるかさんである……というのが本当熱い映画なのですね。

 『魔法つかいプリキュア!』でも、主にはみらいさん&リコさん→はーちゃんで描かれていた「母から子への想い」要素はありましたし、『Go!プリンセスプリキュア』にいたっては、はるかさんが「幸せの王子」カナタ王子という拠り所すら失った後、最後に残っていたのはお母さんから貰っていた花の髪飾りだった(第39話:感想)……だから「絶望」からも立ち上がれるという物語があった人でした。親の「想い」は必ず子を守る。そんな物語を、背景に背負ってる。

 そんなはるかさんが、いちかさんを「助っ人」するんですよ。もっと行って「共闘」するんですよ。

 ここではメタに、『Go!プリンセスプリキュア』という作品、『魔法つかいプリキュア!』という作品自体が、「母(親)」的、「幸せの王子」的ポジション(の作品)として機能しているとも見てとれます。

 無縁社会が指摘されて既にだいぶ経ったリアルの方の最近。自棄の覚悟で人助けし続けるのには限界があります。子と親の「共闘」、親と子の「共闘」の体制で何とかやっていくくらいで良いのです。「頼る」のは悪ではない。「自業自得」とか「自己責任」という言葉に逃げてはいけないのです。

 モフルンを助けるために自棄のごとく飛び出したいちかさんには、手を取ってくれる人が現れました。みらいさんです。「手を繋ぐ」ということを言い続けた人です。

 いちかさん一人で出来ることには限界があるから、この映画でいちかさんはサクラさんに言いました。「手伝って」と。元祖「幸せの王子」相田マナさんが第2話で六花さんに言った言葉です。

 そんな、本映画における、いちかさんの手助けとなるみらいさん・はるかさん的存在(親的・幸せの王子的存在)、共に戦えるサクラさん的存在(子的・街の人たち的存在)が、TVシリーズのいちかさんにも現れてくれる……そんな物語なのだったら熱いなーと。

 自棄の人助けではなくて、「手伝って」と言える観念(「自己責任」とかそういうのね)に囚われない柔軟さと、そして余裕が生まれたら落下してるような人に手を指し伸ばせる勇気とについては、今後も書いていこうかなーなどと思わせられた映画だったのでした。

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→前回:キラキラ☆プリキュアアラモード第6話「これってラブ!?華麗なるキュアショコラ!」の感想へ
→次回:キラキラ☆プリキュアアラモード第7話「ペコリン、ドーナツ作るペコ〜!」の感想へ
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