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 『HUGっと!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第5話「宙を舞え!フレフレ!キュアエトワール!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 第1話から続いて繰り返されている「当初イメージしていた未来が思ったように実現できない」という話。今回は前回で「実現できない」が描かれた(ほまれさんはプリキュアになれなかった)後の、前後編での後編です。

 まず、輝木ほまれさんについて、二重の意味で「当初イメージしていた未来が思ったように実現できない」が描かれているのを確認しておきたいところです。


・フィギュアでイメージしていたように飛べず、現在当初イメージしていた未来とは違う自分を生きている。

・前話でイメージしていた通りにプリキュアに変身できず、今話はプリキュア(作中では理想の自分の比喩になってる)になれなかった自分はどうするかというお話。


 この二つは、簡易な言葉だと「挫折」ですね。

 一度「挫折」したらオシマイダーなのか?

 後編である今話では、オシマイにならないように、「やり直し」に向かっていけるようなセーフティネット的なものが描かれます。

 けっこう、前回の感想で予想していた通りの流れで描かれておりました。↓


参考:輝木ほまれさんが今話でまだ跳べなかった理由〜HUGっと!プリキュア第4話の感想(ネタバレ注意)


 セーフティネットの一つ目は、フィギュアスケーターとして挫折した方の輝木ほまれさんに対する受容です。こちらは、やはりお店ビューティーハリーのパートが大きかったと思います。インテリアの助言が適格な輝木ほまれさんの姿が描かれ、周囲もそれを受容します。また、キュアスタに投稿して思いがけず笑っていられたり普通の中学生的な輝木ほまれさんの姿も描かれます。別にフィギュアアスリートの輝木ほまれじゃなくてもよい、別の可能性もオッケーだよと言ってくれてるかのうような場面です。

 ほまれさんが再び跳ぶことにまた失敗しても、こういうセーフティネット的な「居場所」がある。これは、大きいことだと思います。

 セーフティネットの二つ目は、プリキュアに変身することができなかった方の輝木ほまれさんに対する受容です。こちらは、主に野乃はなさんの存在で描かれます。

 プリキュアになれなかったことを謝るほまれさんに対して、一言。


「(プリキュアかどうかとかは)関係ないよ」(野乃はな)


 プリキュアであることにすら、はなさんは前話の感想の言葉でいう「固定された一つの未来」をほまれさんに押しつけるということをしません。

 ほまれさんが再びプリキュアになることにまた失敗しても、こういうセーフティネット的に側にいてくれる人がいる。これは、二度目のプリキュア変身へのチャレンジにあたって、大きい要素として描かれていると思います。


「失敗した時は、分かってますね」(リストル)


 この、失敗してもセーフティネットがあるかどうか? が、今回の敵側のクライアス(=暗い、明日?)社、チャラリートさんと輝木ほまれさんの対比になっているのですね。

 セーフティネット的な応援者・野乃はなさんはフィギュアスケーターの有名人だからとか、プリキュアだからとかじゃなく、「美人で、カッコよくて、大人で」と、本人のありのままの要素を中心に言及して応援します。

 今話、はなさんは「固定された一つの未来」である「フィギュアスケーターとしてもう一度跳ぶ輝木ほまれ」については一度も直接言及しなかったのがちょっと感動的でした。ただ、この後の未来のあらゆる可能性も込みで「輝木ほまれ」という人を応援している(この姿勢が名前呼び演出に繋がります)。

 ここまでの流れで、一度挫折してもセーフティネットに頼って再起して、別の未来を選んでオッケーだよね……みたいに十分まとめられそうな話だったのですが(たとえば、ほまれさんがインテリアアドバイザーとして再起するという着地とか)、『HUGっと!プリキュア』という作品はさらなる物語の次元に突入していきます。まだ、五話なのに!


「あの頃の私に戻りたいなぁ」(輝木ほまれ)


 「固定された一つの未来」にこだわらなくてイイ。未来にはたくさんの可能性がある。イイ話です。しかし、その上で、輝木ほまれさん本人が、やはりもう一度「固定された一つの未来」でもある(あった)「跳ぶ」輝木ほまれでありたいと願うのだとしたら?

 その、やはり願ってしまう「固定された一つの未来」、もう一度「跳ぶ」輝木ほまれはもう未来において訪れないんだとチャラリートさんに突きつけられ、隙をつかれオシマイダーを生み出してしまうほまれさん。

 ここから彼女がそれでも立ち上がるところが感動的なのですが、きっかけとして描かれているのは、主に二つです。

 一つは、ほまれさんの心にリフレインする、はなさんの、


「ほまれちゃんは、どんな自分になりたいの?」(野乃はな)


 の言葉。こちらは文字通り、ここからの未来、どんな自分を目指すのか選択の時がきた、という演出になってます。

 二つ目は、はぐたん(赤ちゃん=未来の可能性の象徴)がほまれさんの目の前に現れること。

 第1話のはなさんのリフレインになっています。

 第1話、一度はぐたんに「居場所」を提供してあげることができず、ハグすることができなかったはなさん。二度目で、はぐたん(赤ちゃん=未来の可能性の象徴)を前にして、「わたしがなりたい野乃はな」という未来を選択し直してプリキュアに変身したはなさん。

 今話、一度フィギュアスケーターとして挫折し、一度プリキュアにもなれなかったほまれさん。今、はぐたん(赤ちゃん=未来の可能性の象徴)を前にして選ぶのは。


 跳ぶのが怖い。
 応援されることも。
 けど、もう自分から逃げない。
 私は、私の心に勝つ。(輝木ほまれ)



 あれだけ、セーフティネット的に「別の可能性もオッケーだよ」と受容してもらえた上で、いやだからこそ、もう一度「固定された一つの未来」である(あった)ところの(おそらくはフィギュアスケーターとしてももう一度)「跳ぶ」を、自分自身の決断として選び直すのですね。

 なるほどな〜、「なんでもなれる」がテーマだから、そう言わると(この時点で)もう一度一度失った同じ未来を目指すキャラクターも一人必要だよな〜と思った次第。

 はなさんとほまれさんで、少し担当するテーマが違ってる感じなのですね。

 「髪を切る」という比喩が共通していた二人なのですが。

 はなさんは、「未来は一つじゃなくて可能性は沢山ある」が担当だからプリキュア(=作中で理想の自分の比喩)に変身後も、前髪は「当初のイメージ通りには切れなかった」まま(=未来の可能性は未確定で残したまま)。

 ほまれさんはおそらく「未来の可能性は沢山あると応援して貰った上で一度挫折した一つの未来をもう一度選び直す」が担当だから、プリキュアに変身後は、かつての自分と同じポニーテール。

 というか、背(身体)が伸びたのと同期して跳べなくなってたほまれさんが、キュアエトワールの変身シーンでは足(身体)が強調されていますから、過去の自分と今の自分の両義、一度失敗した今の自分なりに、もう一度過去に目指した未来を目指す……みたいな感じなのかな。

 ほまれさん。挫折して、こんだけ別の可能性もあるよって言って貰った中、それでももう一度、一度失敗した未来を自分で選び直せるって、強い子です。

 一方、一度挫折した人が次の未来を選び直す時には「応援」が必要だ……もこれまでの話数から本作のテーマだと思われるので。


「この怪物は、わたしが倒す」(キュアエトワール)


 相変わらず、つい自分の暗部、シャドウとの対峙を一人で背負い込んでしまいそうになるほまれさん(キュアエトワール)に対して、


「私たち、仲間でしょ?」

「これからはいっしょに、力を合わせて」



 仲間から応援の申し出が。「やり直し」の後は、一人ではない。ゆえにもっと高く飛べるかもしれない。視覚的にも、一人競技の印象が強いフィギュアスケートと違って、合体技で跳ぶのが熱かったですよ。

 戦闘後も、


「けど、嬉しい。一緒にいてくれて、ありがとう」(輝木ほまれ)


 の言葉がほまれさんから。

 はなさんが、ほまれさんにこういうものを提供できたっていうのは、第3話でいうところの、はなさんのお母さんの、


「一人で大変でしょう。困ったことがあったらいつでもきて」(野乃はなさんのお母さん)


 的なものを提供できたってことです。

 第1話も、今話も、「私、なりたい野乃はながあるの」と語るところは、はぐたんを抱っこした母性的な表現で描かれているので、第1話の感想で書いた「はなさんのアスパワワが豊かな理由は、はなさんのお母さんから貰ってる」説も鑑みると、


参考:野乃はなさんのアスパワワが豊かな理由〜HUGっと!プリキュア第1話の感想(ネタバレ注意)


 今はばくぜんと描かれていますが、はなさんが目指す未来、「なりたい野乃はな」っていうのは、かなりの程度はなさんのお母さん的なものなのでしょうね。

 そして、はなさんのお母さんというのは、「一人で大変でしょう。困ったことがあったらいつでもきて」な、一度挫折した人に一時の「居場所」を提供できる人、セーフティネット的な人です。

 これ、物語縦軸で、はぐたんは未来世界で何らかの破綻を経験して、プリキュアでもなくなりこの世界で赤ちゃんになってる……とすると、

 はぐたん自体が「固定された一つの未来」を目指して実現できなくて挫折した人で、今話の輝木ほまれさんとかと重なる立場の人なのですね。

 そういう立場の人に、「やり直し」、次の未来を選び直していけるまでの「居場所=セーフティネット」を提供する……というヒーロー像。それが、野乃はなさん。

 そう捉えなおすと、第1話も、一度目で、でも家には置けない(=挫折した立場であるはぐたんに「居場所」を提供できない)と失敗してしまったはなさんが、


・さあやさんからの「失敗した自己紹介」の肯定

・ほまれさんからの「失敗して切りすぎてしまった前髪」の肯定


 を受け取って、失敗に対するそういうセーフティネット的なものを受け取り直した……そういうパートを挟んで、二度目、おそらく「失敗」して赤ちゃんに戻ってるはぐたんに対して、「なりたい野乃はな(=はなさんのお母さん的なもの)」として、今度は「居場所」を提供できた、抱きしめることができた、だから「応援」するプリキュアとして変身……という流れだったと再解釈できます。

 失敗して赤ちゃんに戻ってると思われるはぐたん、今話のフィギュアスケーターとしてもプリキュアとしても失敗してしまっていたほまれさん、一度挫折したそういう存在を「可能性の束」として捉えなおすっていうのはカッコいいですね。

 確かに、「挫折」はつらいですが、見方を変えれば、それまで目指していた「固定された一つの未来」にもう別にこだわらなくてよくて、ここからは「なんでもなれる」的にあらゆる可能性の未来を選び直して良いとも捉えられるわけで……。だから敵さん側が失職(&再起?)モチーフだったりするのかな。

 「挫折を可能性と捉えなおす」ということ。

 リアルでも、かつて目指した理想の自分を現在生きているという人はほとんどいないかもしれませんが、その「挫折」は、捉えようによっては現在からあらゆる可能性を選び直して良いということです。

 別の未来を選び直してよし、やっぱり今話のほまれさんのように、かつて目指した未来をもう一度目指すのを選び直してもよし。

 ただ、そういう時に「応援」は必要だから、今話のほまれさんの言葉的には「一緒にいてくれてありがとう」。

 「やり直し」のための「応援」というヒーロー像と、一時の「居場所」がある世界であれたなら。そういう柔和な志向性が、『HUGっと!プリキュア』の魅力だと思うのでした。

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 あと、何となく今年から実験的にしばらくコメント欄を開けておいてみるので、何かプリキュアの話とかありましたら〜。

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→前回:輝木ほまれさんが今話でまだ跳べなかった理由〜HUGっと!プリキュア第4話の感想へ
→次回:『HUGっと!プリキュア』第6話「笑顔、満開!はじめてのおしごと!」の感想へ
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