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ネタバレ注意です。
結論からいうと「ジェンダー論」としては、今話は約15年前の初代『ふたりはプリキュア』からそんなに新しいことは言ってません。
一方で、今話が「メタフィクション」として厚みがある表現になっているのは、この15年プリキュアシリーズを積み重ねたゆえの現象なので、今話の特徴を捉えようと思った場合、より今話ならではの現象である「メタフィクション」としての部分に注目した方が色々見えてくると思います。
何やら、今回の第19話は話題になっているようです。
どんな感じで話題になってるかというと。↓
プリキュアの「数字」ブログと言いつつ、ご本人はちゃんと統計学を勉強した方ではないんじゃ? 疑惑が僕の中で日々高まってるw、kasumiさんのブログ記事です。第19話放映当日6月10日(日)のTwitterの元ツイートは6月13日(水)現在、2万7千RT超え。ブログ更新しました。
— kasumi (@kasumi1973) 2018年6月10日
プリキュアが「男の子だって、お姫さまになれる」に言及したのは、けっこう凄い事。プリキュアの数字ブログ https://t.co/UFGZTJdTGn
今回の記事じゃないですが、普段の記事、どういう統計処理したのかも付記してくれるとありがたいのですけどね。特に持論を統計で補強するかたちになってる場合、せめて統計処理上のsignificance(有意性)が出てる話なのかそうじゃないのかは書いてよ〜と常々思ってますw
「ジェンダー論」としてみようと思った場合、今話の「女の子でもヒーローになれる」は初代「ふたりはプリキュア」の企画書がなにしろ「女の子だって暴れたい」でしたので、基本的に15年前の初代『ふたりはプリキュア』で既に描いていたことだったりします。
一方で、今話の「これ、僕、お姫さまポジションになっちゃってない?」→「いいんだよ。男の子だってお姫様になれる!」の流れの部分が新しいという話も出てるようですが、実際は初代「ふたりはプリキュア」の時点で従来ならヒロインの王子様ポジションである藤P先輩(藤村先輩)を、むしろ助けられるヒロイン的(=お姫様的)に描くという手法で表現されておりました。プリキュアにおける男女の(従来のイメージからの)役割の交換可能性については、それこそ「ジェンダー論」っぽいのも含めて「初代」の頃からたくさん論じられていたと記憶しています。
なので、「ジェンダー論」として今話を見た場合、新しいことを言ったのではなく15年前から描いていたことを、改めて伝わりやすくして(台詞として言葉にするなど)描いてみた……くらいがちょうど良い捉え方になるかと思います。
一方で「メタフィクション」としては、プリキュアシリーズ15年を通しても前人未到の表現に入りそうだ……という予感が現れてきているのが今話なので、やはりこちらに注目した方が色々と面白いものが見えてくると思います。
「メタフィクション」とは、超ざっくりとは作品(フィクション)内部だけで終わらず、作品の外=現実世界の要素が作中にも貫入してくる(関係し合う)タイプの作品です。
作品の外、読者(視聴者)が(ミステリにおける)犯人だった! みたいな大ネタのものもあったりしますが、プリキュアシリーズはそこまでいかずとも、けっこう「メタ」っぽい要素が作品に関係してくるシリーズだったりします。
近年だと『魔法つかいプリキュア!(感想)』がかなりの程度「メタ」っぽくて、作中で「過去」の概念が重要な要素の一つになるのですが、その「過去」を現実世界の「過去」の作品である初代『ふたりはプリキュア』〜『MaxHeart』という作品とかけて、オマージュ的な表現をおこなう……みたいなことをやっておりました。
詳しくは、こちらの記事に書いてたりしますので、興味がある方は合わせて読んで頂けたらと思います。↓
参考:『魔法つかいプリキュア!』第49話に組み込まれている二つの「過去との再会」という物語モチーフ
さて。前提として、今話は遅れた性差別的な固定観念を持っていたえみるの兄・正人が、ジェンダー論的に先進的な価値観を持ってる若宮アンリやプリキュアたちに啓蒙されて改心する話……ではありません。(ただ、表面上そうとも取れそうになってるのは、作り手としても意図的なのかなぁという気はします。)
正人の物語上の役割は、一言だけ出てきた「お祖父様からも言われてるだろ(だからえみるもそうするべき)」の台詞がとても重要で、いわば「過去(祖父の代)の呪縛を受け継いで、未来の可能性(えみるがプリキュアになる)に制約をかけている人」です、こちらの方が重要で、性差・ジェンダーうんぬんっぽく取れそうな要素は、こちらの本質にかぶさってる表層です。(ただし、その表層は「女の子だって暴れたい」という初代のコンセプトから来てるので、「メタ」に本質とも関係はしている)
そこをピンポイントにとらえると、『HUGっと!プリキュア』には、この「過去の呪縛を受け継いで、未来の可能性に制約をかけている」という要素が、作中の課題としてこれまでも何度も描かれてきていたのを思い出します。
輝木ほまれさんは、フィギュアスケートでジャンプに失敗して負傷し挫折したという「過去」の呪縛から、現在とこれからの「未来」をどうするのか? という物語が第4話&第5話で描かれていました。↓
参考:挫折を可能性と捉えなおすということ〜HUGっと!プリキュア第5話の感想(ネタバレ注意)
薬師寺さあやさんも、「過去」――つまり母親の代、母・大女優薬師寺れいらを受け継いで女優を目指すことがさあやさんの望む「未来」なのか? という物語が第7話で描かれていました。↓
参考:一条蘭世さんが大事なキャラクターである理由〜HUGっと!プリキュア第7話の感想(ネタバレ注意)
また、敵役であるクライアス社の面々は、チャラリートさんはパラパラ、パップルさんはジュリアナ的バブル期……と、モチーフが「過去」に遡っていく感じで、何らかの「過去」の呪縛、「囚われている」ということが表現されている敵サイドです。
正人というキャラクターは、これらの物語上の要素の延長上にいるだけです。決して、急に出てきた性差別的な固定観念を持ってる人……の方が本質ってわけではないのです。
その上で、この「過去の呪縛を受け継いで、未来の可能性に制約をかけている」という今話までで描かれている課題が、単純な打破すべきもの、乗り越えるべきものとして否定的に作中で描かれているかというと、それも違うと思います。
過去の呪縛を断ち切って、無限の可能性の未来を始めよう! だけがメッセージだったら、ほまれさんなどはフィギュアスケート(過去)への未練を断ち切って、別なジャンルで活躍する未来を目指すよ、「なんでもなれる」! ……と物語が進みそうなものなのですが、第5話ではそうはならず、ほまれさんはフィギュアスケート(過去)ともう一度再契約することを選んでいます。
さあやさんにも同系統の物語が進行中で、正人はお祖父さんの呪縛でしたが、さあやさんの物語はある意味母・薬師寺れいらの呪縛ですね。こちらも、さあやさんは過去の(ある意味)呪縛と再契約して母と同じ女優の道という未来を選ぶのか、はたまた別な未来を選ぶのか? という物語が進行中です。
余談ですが、このテーマ、結末をさあやさんとほまれさんとで分けてきそうかな、とは予想してたりします。どちらかは、「過去」と同じ道を選び、どちらかは「過去」と違う道を選ぶ……的な。
この「過去」からの呪縛要素、「過去の呪縛を受け継いで、未来の可能性に制約をかけている」は、例年その年のTVシリーズのテーマの圧縮にもなってる春映画の中にも見てとれて、これは「過去の呪縛で、クローバーくんの未来の可能性に制約をかけていた鬼火」という構図ですね。↓
参考:
▼『映画プリキュアスーパースターズ!』の感想
●第1回〜ワンオペ母に手を差し伸べる朝日奈みらいの物語
●第2回〜悲しい過去も何とかなる物語
●第3回〜「幸福の王子」宇佐美いちかの物語
●第4回〜アニミズムとしてのプリキュアシリーズの物語
●第5回(最終回)〜過去の思い込みから解放される物語
「過去の呪縛で、えみるの未来の可能性に制約をかけていた正人」、「過去の呪縛で、正人の未来の可能性に制約をかけていた愛崎祖父」、みな同じ構図ですね。
で、『HUGっと!プリキュア』という作品のすごいところは、これら、正人、愛崎祖父、鬼火などなどを作中悪として打倒して終わりじゃなくて、これらの「過去の呪縛」的な存在にも、何か意味はあったんじゃ? という領域に踏み込んでいく予感を感じさせているところです。
実際、春映画では鬼火はただ否定されるだけじゃなくてはなさんによって救われていますし、今話でも正人はただ否定されるだけじゃなく(主には)アンリによって救われています。
物語の当初は、悪、否定されるべきと見えていた要素が、物語後半から終盤にかけてプリキュア側の要素と「同時に成立」していって最終的には「両義(ざっくりとは、両方に意味がある、というような意味)」のように描かれるというのは、わりとプリキュアシリーズでは定番の描き方で、分かりやすい例だと『ドキドキ!プリキュア(感想)』は、物語序盤は、主人公の相田マナさんらプリキュアサイド=他者愛、敵サイド=自己中(ジコチュー)という対立構図だったのが、物語終盤ではこれらが「両義」になるという物語を描いておりました。(相田マナさんの中にも「自己中」はあった……という終盤)
ここでようやく「メタフィクション」としての話ができるのですが、本作の「過去」という要素には「メタ」に、「過去のプリキュアシリーズ」という比喩が見て取れるという点です。(先にあげた『魔法使いプリキュア!』の例のように、「初代」を「メタ」に本歌取りするような視点が本作にもあるのですね。)
そう見た場合、「過去」中の「過去」は初代『ふたりはプリキュア』という作品ですので、「過去」の呪縛を断ち切るぞ! 新しい未来の可能性(極端には『HUGっと!プリキュア』の次の来年以降の作品ですね)こそが最高! という方向だけになってしまうと、初代『ふたりはプリキュア』という作品も全否定! 文化大革命! みたいな方向にいってしまいます。
ですが、『HUGっと!プリキュア』が「過去」である初代『ふたりはプリキュア』を否定していないのは、今話のラストはえみるとルールーの「ふたりはプリキュア」というオマージュでしめられていることや、発表されてる秋の映画が『HUGっと!プリキュア』と初代『ふたりはプリキュア』の共演映画である点からも明らかです。
正人、愛崎祖父、クライアス社(的なもの)、鬼火、「過去」の作品としての初代『ふたりはプリキュア』……これらは捉えようによって「過去からの呪縛」になるという意味で同系列のものですが、盲目的に従っても「未来の可能性」に制限を設けることになってしまうし、全否定するのも違う。じゃあどうするのか? このアンビバレント(相克)が、『HUGっと!プリキュア』という物語の動力かと思います。
どう落としどころにもっていくのかには、現時点である程度僕なりの仮説(予想)があって、現在や未来と「融合」しようと迫ってくる類の「過去」は「呪縛」として断ち切って、バラバラなまま補い合えるような「過去」とは仲間として共闘していくのかな? という気がしています。
いくら最終的には味方の要素と敵の要素が「両義」になっていくことが多いプリキュアシリーズでも、どうしても認めることができない作中悪のようなものもあって、「融合」がプリキュアシリーズ的には打破すべき悪として描かれるというのは、初代のプロデューサーの鷲尾天氏の『映画プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ奇跡の大集合!(感想)』(監督は大塚隆史さん)の敵役だったフュージョンはグローバリズムの負の側面の比喩だった話とか、それらを元ネタにして、『魔法つかいプリキュア!』ではやはり「融合」を作中悪として扱っていたという話などはこちらに書いていたので、興味ある方は読んでみて頂けたらと思います。↓
参考:フュージョン(融合)ではなくバラバラの二人が手を繋ぐのがプリキュアだと思い出した僕らは「鍋」オフ会の夢を見るか〜『魔法つかいプリキュア!』第47話の感想(ネタバレ注意)
なので、正人が祖父(過去)から引き継いでしまっているえみるとの「融合」願望のようなものから切り離されて、「過去」は「過去」を引き継いでいるキャラクターなんだけど、同時にバラバラの存在としてえみる(「未来」)と共闘したりできる展開になったら熱いな〜と思ったりしてるのでした。
ここが、予感として今回「メタフィクション」として15年目作品なりに新しいな〜と思ってる部分でした。『魔法つかいプリキュア!』では「過去」を象徴するキャラクター(校長先生とかクシィさんとか)が出てきて、広義で最終的に共闘するところまではいったのですが、あからさまにプリキュアに変身していっしょに戦うところまではいかなかったのですね。
だけど今回は「ふたりはプリキュア」(過去の作品名)を名乗るえみるとルールーが明確にキュアマシェリとキュアアムールに変身して「プリキュア」としていっしょに戦いますし、秋映画は初代『ふたりはプリキュア』のなぎさ(キュアブラック)とほのか(キュアホワイト)と現役世代との共闘です。
繰り返しになりますが、
『HUGっと!プリキュア』の広報も兼ねてると思われる『プリキュア15周年記念PV 公開 〜ふたりの勇気はわたしの「夢」でした〜』を観てみると……↓
今回の『HUGっと!プリキュア』は作品の裏ターゲットに「昔プリキュアを見ていたような現在20代くらいの女性」もあるようです。【#プリキュア15周年 新情報】
— プリキュア15周年公式 (@precure_15th) 2018年2月1日
プリキュア15周年記念PV 公開 〜ふたりの勇気はわたしの「夢」でした〜
オリジナルPVが完成しました!
詳しくは15周年サイトまで!https://t.co/JrAztHtNKJ #precure #プリキュア pic.twitter.com/iGgr15XEux
彼女たちは子供の頃に「イメージしていた未来」が実現できたのか?
実現できなかった人の方が多いと思います。
第1話の感想から書いておりますが、「当初イメージしていた未来(=これが、ここまで話数が進んで分かるのは、「過去」から引き継いでる固定観念としての「カッコいいイケてるお姉さん」像ってことだったのだと思うのですが)が思ったように実現できない」野乃はなさんは、そんな彼女らに重なるのかもしれません。
だが、そんな彼女たちだとしても。
現実に「メタ」に当てはめるなら、現役世代の女子と、おばさん(今話的にはおじさんでもオーケー)世代の女子が、再びガチで変身して、この厳しい現実の中で共に戦っていこうぜ! みたいなノリの話なわけで。
あんまり現実(メタ)と当てはめ過ぎるのもどうかとも思いますが、美墨なぎさ(キュアブラック)役の本名陽子さん(Twitter)なんかは「育児」も題材になってる『HUGっと!プリキュア』的にはわりとタイムリーで、現在はご結婚・出産なされてお仕事を続けながら育児をされていたりします。
本当に初代キュアブラックだったという本名さんほどじゃなくとも、当時の視聴者が今では仕事や育児に追われてる……とかは普通にあるわけで、じゃあ、そんな彼・彼女らはもう過去の人たちで、「過去の呪縛」的に今の現役世代の「未来」の可能性を制限するような存在でしかないのか? といったら……みたいな話も今話及び『HUGっと!プリキュア』という作品の遠景にはあるわけで。
「過去」(「ふたりはプリキュア」)を名乗る「未来」志向プリキュア、キュアマシェリ&キュアアムール登場、本当に初代キュアブラックとキュアホワイトがやってくる秋映画と、ここからの『HUGっと!プリキュア』はかなり楽しみなのでした。
◇◇◇
個人的には、今話は見ごたえがありました。
若宮アンリくん、自分が絡まれた時は最初は「話しても分からない人たちを説得するのは時間の無駄」って言ってたのに、はなさんが絡まれるやいなやドレス着て正人のところに出ていくとか、ええ!? この人、ほまれほまれ言ってたけど、まさかのアンリ×はななの!? とか。
アンリくん自身が初登場の第8話では、ほまれさんに対して「固定された未来のイメージ(いっしょにモスクワ行って競争で上を目指す)」を押しつけて、ほまれさんの未来を制限してる役回りだったのですが、第8話を通してそこからちょっと解放された。
そんなアンリくんが、第8話のアンリくんと同じように、えみるさんに対して「固定された未来のイメージ(女の子はヒーローになれない)」を押しつけて、えみるさんの未来を制限してる正人を解放する。
解放された人が、次の人を解放する……ということで、幸せの王子(ヒーロー的な人)の愛が街の人をヒーローにして、ヒーローになった街の人がまた次の人に愛を伝えてヒーローにして……という「伝播」を描いていた、『ドキドキ!』〜『ハピネスチャージ!(感想)』〜『Go!プリンセス(感想)』で中心的に描かれた「幸せの王子と街の人たちモチーフ」っぽくあったりもします。
ここでいう「解放」とはざっくりとは「心の自由」のことで、これがまた初代『ふたりはプリキュア(感想)』〜『MaxHeart(感想)』で、最終回で雪城ほのかが口にする「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」のことを指していたり(プリキュアシリーズのファンの間では有名な台詞だったりします)と、その辺りがまたよく作られている一話だったと思います。
そこを押さえると、あ、「ジェンダー論」っていうか自分の心の制限を外して、「初代」最終回でほのかが言っていた「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」をもう一度確認する話というのが核心で、男だから女だからどうこう的な要素は、あるっぽく見えても表層か〜と気づく感じです。
そうした「解放」・「わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ」的なものの連鎖を描きつつも。
それでいて、正人的なものは悪なのか? と、今後クライアス社側にも揺さぶりがかかってくる予感を感じさせるように、敵サイドにも新キャラジェロスさん登場……と行き届いてます。
クライアス社的なもの(ざっくりとは過去の呪縛)は悪なのか? ルールーさんがジェロスさんのことは知らなかったりと、クライアス社側も一枚岩じゃなくなっていったりするのかな。少なくとも、パップルさん辺りはRubyさんも書いてる通りルールーさんをポイントポイントで人間扱いしてたりと、今話時点でも生粋の悪人ではない感じなんだよな〜。
僕らのことかw今日の話は15周年記念で初代「ふたりはプリキュア」をメタ的に表した良作なんだけど、それを「今回の話はジェンダー論的に云々」言われると「いや初代見てないの!?」って思うし、「シンゴジしゅごい」って言う人には「は? 平成ガメラ見てないの!?」って思うから、ホント古参って面倒くさい。
— TJ-type1 (@tjtype1) 2018年6月10日
2016年の年末は、大泉でTJさんのゴジラの話聞いたりしてましたねw(僕はゴジラはそんなに詳しくない)
→『ふたりはプリキュア』
→キュアマシェリとキュアアムール
ライブドアブログのトラックバック機能がなくなっちゃったので、長年の友人のプリキュア民(笑)たちの感想にもリンク張っておくよ〜↓
●HUGっと!プリキュア #19「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!」/『真・南海大決戦』
●HUGっと!プリキュア 第19話 ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?/四十路男の失敗日記
● HUGっとプリキュア! 第19話「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?」 で感じたモヤっと感/穴にハマったアリスたち
●HUGっと!プリキュア第19話感想&考察/あおいろ部屋
あと、何となく今年から実験的にしばらくコメント欄を開けておいてみるので、何かプリキュアの話とかありましたら〜。
→Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)
→前回:『HUGっと!プリキュア』第8話「ほまれ脱退!?スケート王子が急接近!」の感想へ
→次回:『HUGっと!プリキュア』第20話「キュアマシェリとキュアアムール!フレフレ!愛のプリキュア!」の感想へ
→『HUGっと!プリキュア』感想の目次へ