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 『HUGっと!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第20話「キュアマシェリとキュアアムール!フレフレ!愛のプリキュア!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 前回の感想では、『HUGっと!プリキュア』には「過去」からの呪縛というような要素が(メタフィクションとしても)あるという話を書いておりました。↓


参考:HUGっと!プリキュア第19話がジェンダー論というよりメタフィクションである話(ネタバレ注意)


 その流れからいくと、えみるとルールーも、「過去」、つまり自分のルーツからの呪縛があって、本来の自分を(自分で)愛せないという課題がある二人でありました。

 今回は、そんな二人が補い合うことで、本来の自分を愛する、(両義的に)あなたも愛する……という境地に達してキュアマシェリとキュアアムール(「愛」のプリキュア)に初変身する話でありました。

 2in1、つまり、何重にも「一つの存在に二つの事項が両義的に存在している」……というけっこう哲学的wな初変身シーンなのですが、まずは前回の記事からの関係で、自分のルーツ関係の話。

 えみるの方は、自分のルーツを愛崎家、つまり祖父の代からの「過去」にもっている子です。その祖父代からの「過去」が兄・正人を経由して呪縛的にえみるにも制限をかけてくる構図だったというのは前回も書いた通りです。

 一方、ルールーの方は、出自が未来世界ですので、そのままルーツが「未来」にあるアンドロイドです。ですがこちらも、現在未来世界は停止し、ルールーも心なきアンドロイドとして生きていたのが描写されていますから、やはりルーツの方は何らかの停滞を抱えていたと捉えることができそうです。ルールーの方は「未来」世界がむしろルールーにアンドロイドたれと制約をかけてきてるので、呪縛になってる感じです。

 そんな二人が補い合って変身する流れなので、一つは「過去」と「未来」からくる制約・呪縛を解消して成された初変身と捉えられそうです。ここでは、えみるが「過去」要素、ルールーが「未来」要素と関係しています。

 また複雑なのですが、一方で、えみるは「未来」を悲観的に捉える描写が豊富という意味で、「未来」の要素も担っているキャラクターです。

 さらにルールーの方も、データという「過去」を重視する描写が豊富で、「過去」要素も担ってるキャラクターです。

 以上から、えみるの中にも「過去」の要素と「未来」の要素が両義的に存在し、ルールーの中にも「未来」と「過去」の要素が両義的に存在している。そんな二人がさらに二人で一人の両儀的な存在として「ふたりはプリキュア」になるという構図になっているようです。(2in1)×(2in1)ですね。

 続いて、「自己愛」と「他者愛」という要素も、今話のクライマックスで収斂して両義的になり、初変身へ……という流れになっています。

 えみるとルールーは、どちらも相手の方を褒め称え、自分に関しては自信がない子……として描かれていました。

 えみるはルールーの容姿などを褒め称えるも、やりたいギターもやれてないし、自分に関しては自信がない子、こんなわたしよりはルールーがプリキュアに……というような状態。

 ルールーの方もまた明確にイキイキとした「心」を持っているえみるこそが眩しく、自分の方は「心」がないアンドロイドだし……と自分に自信がない子、こんなわたしよりはえみるの方がプリキュアに……というような状態。

 この二人の課題の解消には、今話ではほまれさんとさあやさんがそれぞれ、ちょっと導くようなことを言う役回りで一役買っています。ほまれさんからえみるへのアドバイスも、さあやさんからルールーへのアドバイスも、ざっくりとは本来の自分(の気持ち)も大事にね……といったものです。

 これらのえみるとルールーがそれぞれ欠け気味だった自己愛(プリキュアになりたい気持ち含む)を再獲得するパートを踏まえた上で、クライマックスで二人の他者愛と自己愛が両義になり、「あなたを愛し、わたしを愛する」というキー台詞で初変身という流れになっておりました。今度は、「自己愛」と「他者愛」の(2in1)×(2in1)ですね。

 そしてさらに、「ニセモノ」と「ホンモノ」という要素も、クライマックスで両義になり初変身へ……という流れになっていたと思います。

 えみるに関しては第15話にて、きゅあえみ〜るという「ニセモノ」のプリキュアなりに子どもを助けようと「ホンモノ」的な行動をとる……というのが描かれていました。

 ルールーの方は第18話の野乃家への帰還のシーンなどに顕著で、「ニセモノ」の家族が、「ホンモノ」になれるかも? というのが描かれていました。

 総じて、えみるにもルールーにも、「ニセモノ」と「ホンモノ」という要素の物語が関わってきておりました。

 ここでまたこの話ですが、

 『HUGっと!プリキュア』の広報も兼ねてると思われる『プリキュア15周年記念PV 公開 〜ふたりの勇気はわたしの「夢」でした〜』を観てみると……↓

 今回の『HUGっと!プリキュア』は作品の裏ターゲットに「昔プリキュアを見ていたような現在20代くらいの女性」もあるようです。

 彼女たちは子供の頃に「イメージしていた未来」が実現できたのか? 子どもの頃眩しかった「プリキュア」的な大人になれたのか?

 実現できなかった人の方が多いと思います。

 第1話の感想から書いておりますが、「当初イメージしていた未来(=これが、ここまで話数が進んで分かるのは、「過去」から引き継いでる固定観念としての「カッコいいイケてるお姉さん」像ってことだったのだと思うのですが)が思ったように実現できない」野乃はなさんは、そんな彼女らに重なるのかもしれません。

 そうなると連鎖的に、はなさんこそがイメージする未来の理想のプリキュア像であるけれど、そんな「ホンモノ」にはなれずに「ニセモノ」でしかないえみるとルールーも(ルールーはちょっと違いますが、はなさんに何らかの憧憬を抱いている描写は入ってます)、「カッコいい」大人にはなれなかった世代(はな世代=現在のおばさん・おじさん視聴者世代?)の次の世代(その子ども世代?)的な「ニセモノ」にしか過ぎなかったのか。

 しかし……というのが、今話であるようです。

 はなさんが風邪を引いている、ほまれさんとさあやさんはそれぞれの夢を追っていていない……は、わりと現実の親世代の苦境の比喩という気がしますが。

 世界には問題山積みなのに、リソースはまだ足りず、親世代にも立ち上がれない時がある。そんな時に目の前に困っている人がいたとして、どうするのか?

 「ニセモノ」なりに手を差し伸べよう、守ろうとする精神性こそが「ホンモノ」だと描いていたのだと思います。

 やっぱり感覚としては、「ニセモノ」から「ホンモノ」になった。よりも、「ニセモノ」だけど「ホンモノ」だ(両義)の方が近いです。

 深読みが過ぎるかもしれませんが、今回の初変身の舞台が「ステージ」という「劇場」で、歌いながら戦うというのも、何となく「しょせん虚構(劇)にすぎない」、「ニセモノ」に過ぎないのかもしれない……というニュアンスを感じたりします。

 別に、えみるもルールーも急にスペックが上がったとかで急に「ヒーロー」めいた存在になったわけでもない。だけど、そんなの関係ない。昔の憧れ(はなさん)も風邪引いてリソース不足で、それでも困ってる人はいる。問題だらけの「ニセモノ」のわたし達だとしても、そんなこと関係ない、虚構的、コスプレ的だとしても変身だ、人助けだぞい……みたいなノリを感じます。「ニセモノ」と「ホンモノ」の(2in1)×(2in1)ですね。

 とかく、えみるとルールーが想い描いている『信じた「プリキュア」像』が熱いです。

 「人助け」という言い方をしていましたが、「競争」原理だけじゃない……というニュアンスも感じます。

 「競争」を否定しているわけではありません。現に、ほまれさんもさあやさんもオーディションというかたちで「競争」に参加して、一つの椅子を勝ち取る的に夢を追う姿勢も、それはそれで是として描いています。

 だけど、それだけでイイのか?

 このオーディション的な「競争」原理が、比喩的に「あと一つしかないプリハートをえみるとルールーで奪い合わなければならないような構図」に重なっているのですが、そこで描かれる眩しい奇跡。椅子(プリハート)が二つになる。「競争」で一つの椅子を奪い合うだけ以外の世界観があってもイイ。それこそが、昔信じた「プリキュア」像、一人ではなく二人の、「ふたりはプリキュア」という形。

 プリハートが二つになったのは、おそらく理由づけはあります(わりと、後半の話数で明らかにされそう?)。出来事が時間停止状態で起こってるので、何らかの未来からの干渉があったと考えられたりするのですが(劇中で時間停止現象が起こるのは、おそらく何らかの未来からの干渉があった時)、あの「初代」の光のクイーンを連想させる女性が、自分の分のプリハートをくれたとか、あるいは本作はかなり並行世界SF的な世界観になってきてるので、今話のあの瞬間が(いわゆる)特異点で、今話はルート分岐した瞬間で、プリハートが4つの未来へのルートから5つの未来へのルートへ分岐したとか、色々考えられそうです。

 一方で、単純に「奇跡」扱いでもイイ話かもな〜という感覚もあります。

 それくらい、昔信じた理想像とかは崩れ、いつの間にやら競争原理に巻き込まれてアップアップで他者を助ける余裕すらなくなってた現在の私たちだとしても、いや、一つを争い合うとかだけじゃないでしょ、昔、二人で補い合うみたいな理想も夢見てたでしょ、何制約かけてんだよ、それをまたやれよ、余裕、作っちゃえばいいでしょ……みたいな感じでプリハートが二つになって、二人で同時変身→プリキュアリソースが追加……というのは熱かったですよ。(またそれでいて「初代」は意識させつつも、ちゃんと色々新しい違う「ふたりはプリキュア」なのもイイ。)

参考:プリキュア雑記(2013年9月5日/テーマが光り始めるこの時期)

 ◇◇◇

 Rubyさんがお子さんと鑑賞しているTwitterは面白いです。

 立場上、「応援するよ」としか言えなかろう案件ですよねw

→キュアマシェリ



→キュアアムール



→『ふたりはプリキュア』



 ライブドアブログのトラックバック機能がなくなっちゃったので、長年の友人のプリキュア民(笑)たちの感想にもリンク張っておくよ〜↓

HUGっと!プリキュア #20「キュアマシェリとキュアアムール!フレフレ!愛のプリキュア!」/『真・南海大決戦』
HUGっと!プリキュア 第20話 キュアマシェリとキュアアムール!フレフレ!愛のプリキュア!/四十路男の失敗日記
HUGっと!プリキュア第20話感想&考察/あおいろ部屋

 あと、何となく今年から実験的にしばらくコメント欄を開けておいてみるので、何かプリキュアの話とかありましたら〜。

Amazon・ビデオでプリキュアシリーズを観る(初代〜ドキドキ!へのリンクまとめ)

→前回:HUGっと!プリキュア第19話がジェンダー論というよりメタフィクションである話(ネタバレ注意)
→次回:『HUGっと!プリキュア』第22話「ふたりの愛の歌!届け!ツインラブギター!」の感想へ
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