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『HUGっと!プリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第47話「最終決戦!みんなの明日を取り戻す!」の感想です。
ネタバレ注意です。
前回の感想で、ジョージ・クライさんが提示する「プリキュアは無意味だ」というテーゼに対して、(確かに無意味かもしれないけれど)無意味だと一度絶望しても「やり直せる」という余白を守っていくことは大事だということを押していく物語終盤になるのではないだろーかという話を書きました。↓
参考:HUGっと!プリキュア第46話の感想〜ハピネスチャージ以来もう一度「プリキュアは無意味だ」に向き合う(ネタバレ注意)
で、やっぱり今話は「やり直せる」を押していくカタチになっておりましたね。
分かってはいても、チャラリートさん、パップルさん、ダイカンさん、トラウムさんとクライアス社の「やり直し」組が助っ人として登場してくるところは涙ぐんでしまいましたよ。
本人自身が(イジメからの)「やり直し」を生きているはなさんがチャラリートさんを救ってチャラリートさんが「やり直し」て……とはじまった「やり直し」物語。
一人が「やり直し」てもそこまで影響はないかもしれませんが、「やり直し」た人が次の絶望に落ちた人の「やり直し」を手助けすると、「やり直し」は連鎖するのですね。
この「善なる何か」が連鎖的に波及していく感じは、『ドキドキ!プリキュア』第47話を思い出します。
参考:ドキドキ!プリキュア感想/第47話「キュアハートの決意!まもりたい約束!」
一人の「幸福の王子」相田マナさんが配った宝石が、「街の人」を立ち上がらせて「次の幸福の王子」に変えた。「次の幸福の王子」がまた宝石を配って、その次の「街の人」をも立ち上がらせて……。「愛」の「街アカリ」は、連鎖的・波及的に広がっていく。
似てます。
まず、最初の避難所、(はなさんの)「やり直し」に必要な場所としてはなさんのお母さんがいた。「やり直し」たはなさんがチャラリートさんの避難所になった。そして、チャラリートさんのチャンネルの少数のチャンネル登録者というのは、おそらくチャラリートさんを避難所としているのです。「やり直し」も、広がっていく……。
劇中では、「やり直し」の連鎖はついにハリーさんにも届きます。ハリーさんもまた、「当初イメージしていた未来が思ったように実現できなかった」一人。でも、それはそれで受け入れて「やり直し」していこう。この異形の姿も、ある意味はなさんの「切りすぎた前髪」と同じなのだから、受け取り方次第で、当初のイメージとは違ったなりに共に生きていけるはず。
さらにハリーさんから、リストルさん、最後の最後にはビシンさんにまで「やり直し」の波及が届きます。「当初イメージしていた未来」は実現できなくて、だいぶ違うところに来ちゃったね。でも、いっしょにいるから、また「やり直し」ていこう……。
こういった「やり直し」に必要なものが何なのかは、トラウムさんとビシンさんが激突した時の会話に詰まっておりました。
ビシン「ふざけるな! なんでアンタが今更明日を見る!」
トラウム「愛に気づいたからだ」
ビシン「そんなもの幻想だ!」
トラウム「そうだ。だからこそ、信じなければ愛は見えない」
虚構的(幻想的)でも、それがあるから明日を見れる。
この部分のビシンとトラウムさんの会話が「愛」=「プリキュアシリーズ(虚構・幻想)」というメタ会話になってるのですね。
10周年作品の『ハピネスチャージプリキュア!(感想)』からテーマとして続いてる「プリキュアは無意味だ」への15周年作品の本作での解答。
しょせん、アニメ(虚構・幻想)です。
でも、現実で絶望し、「やり直し」を生きるような人が、一時そこに退避して、また明日を向けるようになっていったりするのなら、きっと意味はある。
愛(がある場所)=虚構・幻想(としてのプリキュアシリーズ)=(当初思い描いた未来が実現できない時の)避難所=母(的な存在)=「やり直し」の時に必要な場所
本作の最終章ではなさん達が「守りたいもの」が全て繋がっていきます。絶望的な世界だとしても、ソレはきっと守るに値する。
ちょっと、『ドキドキ!プリキュア』の最終回(感想)を思い出しました。
最終局面のパルテノンハートさんVSプロトジコチューさんのところで、
プロトジコチューさん:「まやかしだ!」
↓
プロトジコチューさんの攻撃に背後のビルディングとかは壊されるのだけど、パルテノンハートは微動だにしない。
というシーンがありまして。このシーンだけ百回くらい(え)観てるのですが。
愛はまやかしじゃないんだということ。
そもそもパルテノン(処女宮)ですし、えらくプラトニックなという感じですが、物質的なものは壊されても、ともすればまやかしめいた愛という存在だけは、壊されない……本当にあるんだ、というシーン。
愛は幻想かもしれないけれど、信じる限り本当に存在するという、本作『HUGっと!プリキュア』今話の話にも通じるものがあります(そもそも『プリキュアシリーズ』は作品をまたいでテーマが繋がってる部分は繋がってますからね)。
現在はなさんがイジメられてしまったこと、未来はなさんが(たぶん)民衆の欲望を止められなかったこと。
この辺りを「愛」で乗り越えていこうというのはけっこう分かります。
切断された現在だけを生きていると、現在は「競争原理」が支配的ですから、すぐに「弱い人間は切り捨てて競争を勝ち抜こう」という欲望が優位になってしまいます。切り捨てられる弱者に選ばれてしまったのがイジメられていたはなさんです。そこでは、人助けとか弱者の「やり直し」を支援するとかは、ただの効率の悪い事として捉えられがちになってしまいます。
一方で、「愛」は本作、というかプリキュアシリーズ的に、過去、現在、未来を両義(多義)にする「永遠」のものですから、「愛」こそが重要だということになれば、切断された「現在」だけの「競争原理」は優位でもなくなります。
少し宗教的にもなりますが(まあプリキュアシリーズは宗教っぽいところありますからね(え))、未来の(あるいは過去の)自分や世界のためにも、一見効率の悪い人助けや弱い人のサポートとかもしておいて、愛を積んでおくか、という発想も自然になってきます。
『ドキドキ!プリキュア』最終回で、エースが肉体が死滅しても愛は(精神として)不滅だ……みたいな台詞を言うのですが(それこそ若干宗教的な、相田マナさんの一旦の「死」というイニシエーションを経過するところです)、そういった世界観にまで至れるのなら、これはもう、来世への徳を積むような形で「愛」を積んでおくか的な発想の方が「競争原理」よりも大事になってきます。競争で勝つことよりも、お金とかよりも、もう「愛」が大事という世界観。イジメとか、やらないです。一番大事な愛が減衰してしまうので。
ともすれば、みんな。過去と未来から切断された、脆い現在の中だけで。
社会の仕組みから要請されたりメディアに煽られたりして「競争」の一握りの勝者を賞賛する背後で、その実、賞賛している本人たちは「競争原理」の前に摩耗して反動としてイジメ的な構造に巻き込まれたり時には参加してしまったりする現実の中、ざっくりとは心の奥でそういった負のイジメ構造的世界観に傷つき切ってる最近なので、そろそろもう「競争」的・イジメ的な世界観とか手放して、愛とやり直しと祈りの世界観で、未来の自分や世界も大事に生きていこうゼ〜。
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→ボーカルベスト
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●HUGっと!プリキュア #47「最終決戦!みんなの明日を取り戻す!」/『真・南海大決戦』
●HUGっと!プリキュア 第47話 最終決戦!みんなの明日を取り戻す!/四十路男の失敗日記
●HUGっと!プリキュア第47話感想&考察/あおいろ部屋
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