- ブログネタ:
- ヒーリングっど♥プリキュア に参加中!
『ヒーリングっど♥プリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』第25話「勇気を出して!とらわれのペギタン」の感想です。
ネタバレ注意です。
一方向の愛は伝わらなかったり、すれ違ったりするが、きっと意味はある……みたいなお話だったと思うのですね。
「一方向」は、ちゆからペギタン、「ちゆ→ペギタン」での「かわいい」のシーンで、ペギタンとしては「カッコいい」と思ってもらいたいわけですから、このシーンは「すれ違って」います。
第3話「湧き上がる想い!変身!キュアフォンテーヌ」、でちゆがキュアフォンテーヌに初変身する時にペギタン言った、
「もし勇気が足りないなら、私のを分けてあげる」(沢泉ちゆ)
の言葉の回答(アンサー)へ向かっていく回が今回なのですね。
キーワードである「勇気」に関して、第3話時点では、「ちゆ→ペギタン」の方向で分けてあげるものでした。
これはこれでちゆの美しい姿勢ですが、一方で、なんかちゆとペギタンの関係は「非対称」で、ペギタンはちゆから貰ってばかりで二人の間に「同格」の関係がない感じもつきまとってしまいます。
その、ちゆの自分の方が上感というか、無自覚のうちにペギタンと自分の関係を「非対称」の前提にしてしまって、ペギタンに「かわいい」と声をかけてしまったことに、ちゆもすぐに自責の念にかられる描写が入ります。
微細な点に気づき、反省できる、イイ子ですね。
今回の話の課題は、ちゆとペギタンの関係が「非対称」である(ペギタンはちゆから「一方向」で「勇気」をもらっている)という点です。
この点の解決にあたって、ちゆ(プリキュア)が能動的に何とかするのではなく、ゲストキャラ、普通の人であるりりちゃんとペギタンの交流を通して、問題が解消に向かう……という描き方を今話ではしていたのが、『ヒーリングっど♥プリキュア』はイイシリーズだな……という感じでした。
ちゆとペギタンの関係が、りりちゃんとペギタンの関係で重ねて描かれます。
一方で、りりちゃんのお母さんとりりちゃんの関係も、ちゆとペギタンの関係に重ねて描かれている……という、象徴(シンボル)的な多層構造を今話は持っています。
かんたんに図にしてみるとこんな感じ。↓
(一見、「非対称」にみえる関係。左側から右側に「一方向」で与えているとなりがちな関係)
・ちゆ→ペギタン
・りりちゃん→ペギタン
・りりちゃんのお母さん→りりちゃん
技アリだと思ったのは、「りりちゃんのお母さん→りりちゃん」の関係を描いたシーンで、お母さんはちゃんとりりちゃんを愛しているんですね。しかし、りりちゃんは眠っていて、お母さんの気持ちは直接は伝わっていない。この「すれ違い」こそが、ちゆとペギタンの間に生じている「すれ違い」と同系のものであります。
このシーンがあるからこそ、あ、りりちゃんのお母さんがりりちゃんを本当は愛しているように、ちゆもペギタンのことをちゃんと大事に想ってるんだよな、だけど、今は「すれ違い」が生じているんだな、と視聴者も気づける組み立てになっています。
そういう重層構造にした上で、今回はちゆさん側、りりちゃんのお母さん側が何か能動的にするというよりも、これまでどちらかというと受け取る側でいたペギタンとりりちゃん側が、彼・彼女たちの本来性の力で立ち上がる……というのが描かれます。
お母さんやちゆさんがりりちゃんやペギタンとじっくり対話を行ったとか、「勇気」が持てるようにメンタルトレーニングや教育をほどこしたとか、そういう描き方をあえて避けてみた印象を受けます。
彼女(りりちゃん)の心(ハート)を、甘くみてはいけない、ということ。子育てにしろ介護にしろ、つい親や介助者側が、子や要介護者側の心(ハート)の可能性を低く見積もってしまうというのはやってしまいがちなところもあるので、身につまされる描き方です。
りりちゃんは、ほぼほぼ自分自身で「勇気」を振り絞るにいたります。
プリキュアシリーズ、特に『ドキドキ!プリキュア(感想)』〜『ハピネスチャージプリキュア!(感想)』『Go!プリンセスプリキュア(感想)』の「幸せの王子三部作」で顕著な「幸せの王子と立ち上がる街の人たち」文脈からすると、りりちゃんは「街の人」に相当するのですが。
『ドキドキ!』とややニュアンスの違いを感じるのは、りりちゃんは、「幸せの王子」的な存在、相田マナさん的な存在から、特に直接的に「宝石」を配ってもらったって感じでもないんですよね。
「宝石(的なもの)」かどうかは分かりませんが、彼女なりの「本来性」のようなものは彼女自身にあって、ちょっと勇気を出してそれを輝かせてみた、くらいのニュアンスに感じます。
第1話ののどかと重なるように描かれていると思うのですよね。
第1話でのどかがラテ様を助けにいくために出した「勇気」と、今話でりりちゃんがジョセフィーヌ(ペギタン)を助けるために出した「勇気」は、同質のものです。
主人公ののどかだけじゃない。ゲストキャラのりりちゃんも、時に「モブ」とか一笑にフされがちな普通の人だって、「誰かを守りたい」という心性は、持っている。
だから、できることをやる。
りりちゃんが、自分自身で「勇気」を出してくれたおかげで。
その結果、ペギタンは本来のパートナーであるちゆのもとへ飛んでいくことができます。
ヒーロー(幸せの王子的な人、プリキュア的な人)が、誰か一人のために走っていってイイのか?
参考:ヒーリングっど♥プリキュア/感想/第1話〜輪廻と地球と人体の循環を遠景に再び「犠牲を出さない世界」に挑む(ネタバレ注意)
という記事を書きましたが、やはり『ドキドキ!プリキュア』から受け継がれている的な命題が本作にはあると感じます。
『ドキドキ!』では、幸せの王子、相田マナさんから宝石を配られていた「街の人たち」が立ち上がってくれて、その間、マナさんは一人(レジーナ)の元に走っていける……という展開だったのですが。
参考:ドキドキ!プリキュア感想/第47話「キュアハートの決意!まもりたい約束!」
りりちゃんは自分で「勇気」を出します。
源流を探せば、親が宿したものなのか、はたまた地域や環境が彼女に培わせていたものなのか、などなど、遡った源は分かりませんが、とにかく、りりちゃんには「勇気」はもうあったのです。もとからあったそれを、発火させた感じ。
このあたり、リアルの方の感染症対策も意識されるような作劇に最近はなっていたりもするであろう『ヒーリングっど♥プリキュア』だったりもしますから、現実の感染症対策も、一人のヒーローが何とかしてくれるというよりは、一人一人が意識を高めて、やれることをやる……ちゃんとやるという「勇気」を持つ……が対策であるというあたりも踏まえていたりするのかなと。
今話だけの作劇的にはりりちゃんは擬似ちゆになってると収まりがよいのですが、どうもストーリー全体として、りりちゃんは擬似のどかになってる気がするんですよね。
ビジュアル的にも、のどかの擬似になってる気がするんですよね。
最善には生きられなかった普通の人なりに。次善なりに、できることをやっていこう、という作品のテーマの体現だったりするんじゃないのかなと。
のどかは、病気で最善には生きられなかった。
りりちゃんは、転校(や、お仕事で忙しいお母さん)で最善には生きられなかった。
しかし、それでも「勇気」を出した。
のどかは、病気の(だった)身でもラテを助けに走った(第1話)。
りりちゃんは、転校生で内気な身でも、ジョセフィーヌ(ペギタン)を助けるために男子に意見した。
現実の我々も最善的には生きられないこと多々だけど、それはそれとして、次善なりに自分のできる範囲で「勇気」を出して行動していけたなら。
この流れで、りりちゃんが「勇気」を出せたので、ポジション的にりりちゃんと重ねて描かれているペギタンも「勇気」を出せる! というクライマックスへと流れこんでいきます。
ペギタンは、りりちゃんが「勇気」を出したということを。そういうことがあり得る世界だということを、証明しなくてはなりません。次善的、弱者的だとしても、出せる「勇気」があるということを。
ペギタン、飛翔。
この場合、ペギタンが空(上)を飛ぶ……という描写には、特別な意味がかかってきます。
以前、
参考:漫画『ヒーリングっどプリキュア』第1巻の感想(ネタバレ注意)
の記事で書いた通り、ちゆにとって「空(上)」を目指す……ということはキャラクター個別の物語的に重要な意味を持っていますので。
ハイジャンプで「空」を目指すちゆと、ペギタンがついに重なった! という表現であるととらえられそうだということです。ペギタンが飛ぶところで泣いたよ。
ちゆさんのもとへと合流するペギタン。
戻ってきたペギタンを見つけるちゆさんの表情・身振り、依田菜津(よりた・なつ)さんの演技の芝居で、ちゆさんなりの自責、心配、そして帰ってきてくれたことで彼女が救われたことが表現されています。
今回、私(ちゆ)、能動的にはほとんど何もしてないけれど、りりちゃんが、ペギタンが自分で「勇気」を出してくれた。その「勇気」に、プリキュアである私は救われた。自覚してないうちに、誰かのちょっとした頑張りに助けられているということは、きっとけっこう、あるある!
一つ「同格」に近づいた、二つの「流れ」が交わって、ある意味リ・スタート的なキュアフォンテーヌへの変身です。
第3話と同じ変身バンク、変身口上ですが、今回は「交わる二つの『流れ』」の一つの流れと一つの流れが、第3話の時よりもより「同格」に近づいている。
「すれ違い」がある世界のまま、一人一人の「勇気」でこの「少しステップアップしたキュアフォンテーヌへの変身」地点までたどり着いているのが熱い。
今話でちゆさん本体の心情のドラマは中心的には描かれないのですが、ペギタンとりりちゃんのドラマを通して、「すれ違い」、かけ違いで伝わらなかったり、伝え方に失敗したりすることはあるけれど、ちゆさんの愛は本物だというのが、伝わってくる。それはもちろん、りりちゃんのお母さんが、当たり前のようにりりちゃんを愛しているのと同じように。「一方向」的な失敗はあったかもしれないけれど、愛そのものはホンモノだったと伝わってくる1話だったと思うのです。
何故なら、人間は他者(ペギタン、りりちゃん)の体験を通して、別な人間(ちゆさん)の気持ちにも想いを馳せることができるという能力を、おそらくは持っているので。
他者、物語、あるいはそれこそ自然への擬似的な共感を通して、それまで気づいていないだけで、本来的には世界に、あるいは身近にあった何か大事なものに気づき直せるということはあると思うのです。
気づいてないだけで、本当は私たちの周囲に存在している愛というのも、いっぱいあると思うのです。
……それにしても、
今話はペギタンが飛ぶ(空、上へ向かう)がクライマックスだったので、おそらくちゆさんが持っている、空(上へ向かう)と海(下も大事に)を和合させていく、両義(同時に成立させる)にしていく……という個人キャラクター物語のテーマ上、物語の後半で、今度は「海」「下」側のお話、つまり、ちゆさんが「泳ぐ」話が必要になる気が。
作劇上(テーマ上)、今後どこかでちゆさんが「泳ぐ」描写は入りそうって話なので、これ、真冬の水着回くるで(え)
しかし、だから、ペギタンはペンギンだったのか。
確かに、「飛ぶ(空、上)」と「泳ぐ(海、下)」をテーマ的に両方体現している動物としては、ペンギンは最適であります。
相変わらず、シンボル(象徴)を駆使して深いことも表現しつつ、エンターテイメントとしての軽やかな楽しさを維持するということをやっている作品だと思うのでした。
→プリキュアスタイル
→Blu-ray
・Twitterもやっておりますので、フォローしてやって頂けたら喜びます〜。↓
『ヒーリングっど?プリキュア』第1話。気持ちがいいという感想。一流の料理人が丁寧にダシを引いたり、素材に下味をつけたり、面倒な工程を当たり前にこなすように、プリキュアの第1話のために必要な高次元の工程をしっかりとやる一流の人達による創造で、こういう仕事は触れるだけで気持ちがいい。
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) February 2, 2020
→前回:『ヒーリングっど♥プリキュア』第24話「いま行きます!お手当てを風に乗せて」の感想(ネタバレ注意)へ
→次回:『ヒーリングっど♥プリキュア』第25話「びっくり!アスミのラテ日記」の感想(ネタバレ注意)へ
→『ヒーリングっど♥プリキュア』感想の目次へ