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 相羽です。

 『トロピカル〜ジュ!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第16話「魔女の罠!囚われたローラ!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 本当の「居場所」とは、本来の自分でいれる場所であるということ。

 条件づけで提供される場所は、本当の「居場所」ではないということ。

 まずアンデルセンの『人魚姫』を、姫は(「足」を持つ、「美しい声」を失う)という条件づけで陸にあがり、多数派の人間の中に「居場所」を提供してもらった話とも読める……という見方を提示します。

 みのり先輩が語ります。


 「何か望みを叶えようと思ったら、別の何か大事なものを失わなくちゃならないのかもね」(一之瀬みのり)


 ローラが疑念を向けます。


 「人間の世界って、そういうものなの?」(ローラ)


 『人魚姫』はアンデルセンの失恋がきっかけで書かれたという説もあるので、『人魚姫』が「条件づけの愛の話」であるという読み方は、わりとスタンダードな読み方だったりします。

 だが、それはおかしいんじゃないの? と。

 「美しい声」というその人の本来性(アイデンティティ)を代償にしないと「いられない」場所ばかりの世界って、なんか変なんじゃないの? というところに切り込んでいく視点を本作『トロピカル〜ジュ!プリキュア』は提示してます。

 だから、序盤の第3話が「さんごさんが幼少期に本来的には紫色のチューリップが好きだったのに、多数派の色に合わせなかったことを後悔している話。およびその上でさんごさんが紫色が好きな自分本来の『カワイイ』でいくと覚悟を決めてプリキュアに変身する話」だったのか。

 第3話では、ローラが自分の「カワイイ」を信じろってさんごさんを鼓舞するのですが。

 この第16話にきて、ローラ自身が「涼村さんご問題」に直面しているのですね。

 人間のことが、好きになってしまった。

 でも、人間界では足がない自分は多数派に受け入れられないのではないか、と。

 もし、受け入れてもらおうと思うなら、みのり先輩が語った「何かを願えば何かを失う」世界のルールのもとで、何かを代償に払わなければならないのではないか、と。

 そんなローラに対して、まなつさんが、どんなローラでもありのままのローラといっしょにいる、という姿勢を行動で表現します。

 足に塗るネイル、ペディキュアは足がないローラには塗ることができない(ちなみに第14話以来くらいから、ローラの足がない描写はリアルの方の「足が不自由な人」の比喩的な表現になっています。)。

 そんなローラに対して、まなつさんはローラ本来の人魚の体を捨てて、代償を払い人間界の多数派である人間のように足を生やせとは言わない。左利きの人にその人の本来性を捨てさせて多数派の右利きに矯正させるようなことは言わない。ローラはローラ本来の姿のままで、ペディキュアは指に塗ってみようか、ということを言います。


 「でも私は、足は……」(ローラ)
 「じゃあ、手の指に塗ろうよ」(夏海まなつ)



 のところは感動的です。


 「色違いのお揃い」(夏海まなつ)


 で泣きます。(ここで、涼村さんごの紫色の志向性も否定しなかった夏海まなつ……も回収している。)

 まなつの隣は、ローラが本来の自分でいれる本当の「居場所」です。

 リアルの方の「人間関係」全般において、「条件づけで『居場所』を提供する」は本当悲劇に繋がりがちです。パートナー同士でも、友人同士でも、親子でも。

 みのり先輩があげている「テスト勉強をすれば、好きなこと(たいてい、その人の本来性と密接に関わってる活動です)をする時間を失う」という例から思いをはせるに、作品の視聴ターゲット的には、子供と親の関係を特に念頭に置いてメッセージを描いている感じがします。

 「テストで●●点以上とったなら、家(居場所)にいさせてやる」……みたいな、「条件づけで『居場所』を提供する」を親が子供にやると、本当子供は歪んでいきますんで。

 あからさまに言葉にしなくても、親の態度で、子供にはなんか伝わっちゃうものなんで。

 それどころか、「親は●●という条件づけで私を愛してくれるんだ」くらいまで子供は曲解しちゃうものなんで。

 そうなると、子供は「親といっしょにいられる『条件』」を満たすために「頑張らなければならない」人生を歩み始めることになり、だんだん自分自身の本来性から離れて行っちゃったりします。

 というか、子供の頃にこの「●●だったなら、家にいさせてやる。愛してやる」を親から(実際にというより、観念として)受け取ってしまったために、大人になった今でも色々とこじらせてしまっているそれなりの年齢の人が、リアル世界にはけっこういたりします(笑)

 私事で恐縮ですが、僕は長年親の介護をやっていますが、「●●してくれるかぎりは(条件づけ)、面倒をみてやる」とか、僕が言いだしたら全てが終わりですよ。もう、世界の終わり感があります(笑) 「居場所」とは、そういうものじゃない。

 そうではなくて、「条件」とか関係なく、その人のままでいれる場所が本当の「居場所」。

 では、ローラの「居場所」はどこなのか。ローラがいたい場所はどこなのか。

 ここまで仕込んだ上で、ラスト、


 「海の中でも息ができるよ」


 のセリフを口にするのは、涼村さんご、キュアコーラルです。

 ローラが人間界に惹かれるなら、人間界に行こうとするなら「足が必要」という「条件づけ」を課されるのか? という問題意識だったところにおいて。

 今、人間であるさんごさんが、海に行こうとしているのに、「サカナになれ」みたいな「条件づけ」は問題になっていない。

 この違いは何なのか?

 キュアコーラルは、ローラが守ってくれた自分本来の(時に多数派とバッティングするかもしれない)「カワイイ」のままで海という自分の場所とは違う領域に移動することができる。

 何故なら?

 そう、プリキュアだから!


世界に押し付けられる「条件づけ」を無効化して、本来の自分のまま(精神的にも物理的にも)自由に「境界」を移動できる存在=プリキュア


 確かに、第3話でさんごさんが「多数派の色に合わせないといけない」という「条件づけ」を無効化して(異質だとしても)紫色の花を愛すると覚悟を決めて(精神的に)「境界」を移動したところでプリキュアに変身していますので、本作の「プリキュア」の概念のテーマにも合ってます。

 毎年「プリキュア」の概念が進化していってる気がしますが、たとえば『スター☆トゥインクルプリキュア(感想)』では、「プリキュア」という概念は「宇宙でも行動できる」が主題的にも重要な意味を持っていましたから、「プリキュア」=「(物理的にも)『境界』の移動ができる」は、近年のプリキュアシリーズのテーマの流れとも符号しています。

 今、夏海まなつという人間が好きになり、涼村さんごのような存在を守りたい(「居場所」をつくりたい)と思っているが、「条件づけ」を押し付けてくる「世界のルール」の前に苦しんでいるローラの元に、「『境界』の移動ができる=自由」という「プリキュア」という光が届けられる……というところで今回は引き。

 世界が要求してくる「条件づけ」に屈して、自分の本来性(『人魚姫』の姫なら「美しい声」や「尾」、リアル児童とかなら「好きなことをする時間」というか作品的には「トロピカる活動」)を代償として支払い、いつわりの「居場所」を確保しなきゃとビクビクしたりする、不安や不幸はここまで。

 世界のルールは、ブレイク。プリキュアさんは、だいたい過激派だから。ゆえに、いつもほのかに炎上気味だったりするから(え)

 これは、熱い。

 正直、ローラ、まなつ、さんごの三人がカッコ良すぎて興奮しています。

 次回、ローラがプリキュアに変身する土台は整いました。

 あとは、「人魚でプリキュア」という世界を救う概念(え)の一週間後の登場を正座して待つのみなのでした。

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→前回:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第15話「みのりがローラで、ローラがみのり!?」の感想へ(ネタバレ注意)
→次回:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第17話の感想〜ありのままの自分でいられる「居場所」をくれた愛する人を守るという2021年の『人魚姫』(ネタバレ注意)へ
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