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 相羽です。

 『トロピカル〜ジュ!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第17話「人魚の奇跡!変身!キュアラメール!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 その人が本来の自分でいれる、本当の「居場所」を守るということ。

 まず、前回の感想で書いた通り、本作『トロピカル〜ジュ!プリキュア』では、アンデルセンの『人魚姫』は、姫は(「足」を持つ、「美しい声」を失うという)条件づけで陸にあがり、多数派の人間の中に「居場所」を提供してもらった話とも読める……という見方を提示しています。

 今話冒頭、あとまわしの魔女は、まさに「条件づけでの『居場所』の提供」をローラに持ちかけます。

 魔女に協力すれば(やる気パワーを奪う邪魔をしなければ)ローラを人間にしてあげる。

 自分の本来性の一部を代償として払い、人間となり、人間の世界で「居場所」を提供してもらえばイイと。

 でも、こういう条件づけで獲得した「居場所」はいつわりの「居場所」です。

 どうも、視聴ターゲット的にも親子関係を念頭においた描写が多くみられると感じていますが、こちらはダメ親子パターン。

 親が子供に親の邪魔をしなければ家にいさせてやる……と言うようなもので、そういった条件づけで「居場所」を提供する、あなたがこうだったら(条件)「い」てイイ、こうだったら(条件)「い」てダメ……みたいなことをやっちゃうと、子供は自分の本来性がどうこうというより「居場所」が許可されるかどうかの条件を獲得するための殺伐とした世界(観)を生きるようになっていって、自由の心意気は失われ、それこそ「何がやりたいのか分からない」みたいな人間になっていっちゃったりします。

 では、そういうのではなくて本当の「居場所」とは?

 どんな自分であれ、その人本来の自分でいられる場所です。

 前回のまなつが足のつめに塗るネイル(ペディキュア)をローラの手のつめに塗るシーンは、足がないローラにローラがありのままでいられる「居場所」を提供しているシーンなんだ、というのは前回の感想に書いた通りです。

 今回では追加表現として、ちょっと幻想的な太陽の光が降り注ぐある日に、「トロピカる部」の面々とローラがありのままで語り合っている……という「居場所」のシーンが描かれます。

 いわく、合唱コンクールだったら、ローラも一緒に舞台に立てる。

 「トロピカる部」は、最初から最後までローラがいることに対して条件づけを求めなかった。(アンデルセンの『人魚姫』で「美しい声」を失うという代償を姫が払ったのに対して、ローラの「歌」という本来性をありのままに受容している。)

 別に、足があるとかないとか関係なく、ローラと一緒にいて楽しい。(ちなみに、第14話以来くらいから、ローラの足がない描写はリアルの方の「足が不自由な人」の比喩的な表現になっています。)

 足がないローラがいると活動に制限が出るから、ローラは足を生やしたら(条件)入部させてあげる、みたいなことは一度も言わなかった。

 目覚めたローラの前には、女王様が。

 ここからが、親子的な表現、トゥルーパターン。

 描かれるのは、自分という存在との再契約。

 自分(ローラ)の「居場所」との再契約。

 プリキュアを探すという自分の役割は果たしたローラが次はどうすればイイのかと女王様に問うと、人間の世界に戻らなくても構わないと前置きした上で、女王様いわく、


 「あなたは、どうしたいのです?」


 ローラの答えは、


 「わたしは、戻る」

 「もっとずっと、まなつたち皆と一緒に『い』たい。それが私の、今、一番したいこと」



 この時、女王様目線から、条件づけで陸にあがったというバッドエンドアンデルセン『人魚姫』の世界観(という解釈)は成仏しました。

 おそらく、まなつたちが何の条件も求めずにどんなローラにも「居場所」をくれる人間たちなんだと理解した女王様は、ローラにマーメイドアクアパクトを送ります。

 おそらく女王様はマーメイドアクアパクトでプリキュアに変身すると足が生えるのを知っていたと思われますが、夏海まなつは足があるとかないとか、一緒にいる人に条件を求めない人。

 それは、いつかの誰かのように?

 女王様がローラにマーメイドアクアパクトを渡す際、手の指のつめにマニキュア(ペディキュア?)を塗っている女王様から、同じく手の指のつめにペディキュアを塗っているローラに手渡すという表現になっています(繰り返しになりますが、手の指のつめに塗ったペディキュアは、まなつがありのままのローラを受け入れている……という象徴表現。このシーン、やけに手がアップ。)。

 序盤から、妙に人間に理解がある、というか信頼を置いてくれている女王様でした。女王様も、むかし人魚の姿のまま、ありのままの自分に「居場所」をくれた人間に出会ったことがあるのかもしれない。そんな、プレストーリーも予感させつつ……。

 本当の自分の「居場所」――まなつたちの元に向かうローラが、手を前に出して「手の指のつめに塗ったペディキュア」を追い求めるように泳いでいる表現になっているのが感動的です。

 それが、ローラが求めるもの。次期女王の願いの先、国家ビジョンが垣間見え始めている……。

 ローラがたどり着いたところは、もちろん、夏海まなつのところなのですが。

 『人魚姫』文脈を辿り直してみるなら、夏海まなつこそが「愛する人」ポジションだったりもしますが。

 何ということか、海中でのチョンギーレとの戦いに劣勢で、まなつは変身が解除されてしまいます。

 前回ラストの、キュアコーラルの、


 「海の中でも息ができるよ」


 のセリフは、(紫色のチューリップを愛する自分でも)プリキュアであれば「海」という場所の圧力を無効化して「境界」を移動できる……という表現になっているという趣旨のことを書きましたが。

 つまり、本作というか、ここ最近のプリキュアシリーズの文脈的に、


世界に押し付けられる「条件づけ」を無効化して、本来の自分のまま(精神的にも物理的にも)自由に「境界」を移動できる存在=プリキュア


 と思われます。

 変身が解除されプリキュアでなくなってしまったまなつは、このままでは「海」という場所の圧力の前で死んでしまいます。

 「海」という自分の領域で優位になったチョンギーレの口から出た言葉は、


 「ほっときゃイイのに」


 「海」では、夏海まなつという人間の方が異質で。

 異質は排除されるかもしれない世界で。

 今、「海」という自分の本来性とは違う領域で消えゆこうとしている夏海まなつという人間は。


 紫色のチューリップを愛する自分の感性に自信が持てなかった涼村さんごさんを自然に受け入れていた人。

 第14話(感想)の虫好きという(多数から見れば)異質な感性の少年少女とナチュラルに遊んでいた人。

 そして、人間の世界では異質なローラに、どんなローラでも応援すると、本当の「居場所」をくれた人。


 そういった存在たちの「居場所」になれる……というまなつさんこそが異質で、「世界」から排除されてしまうのだとしたら?

 それは、おかしい。

 ここでは、「海」という自分の領域でマウントを取れた状態になったチョンギーレが、構造的な暴力をふるっている。

 右利きの人が、「右利き王国」(笑)という領域で、左利きの人に対して「ほっときゃイイ」と言ってしまうとしたらどうなのか。

 チョンギーレさん、悪人というほどではない印象でしたが(やる気が出ない時は、誰にでもあるものなので)、確かに、あんまりにもやる気がないと無意識に構造的な暴力に加担しがちというのはあるかもしれません。

 構造的な暴力で夏海まなつのような人間が消えてしまうことだけは、絶対に納得がいかないとばかりに、ローラから、


 「絶対、ゆるさない」


 の言葉が出ます。

 これは、もう『トロピカル〜ジュ!プリキュア』というか17年のプリキュアシリーズを通しての決め台詞ですから、ここで! ついに出たか! という感じです。

 確かに、いかに寛容な人でも、構造的な暴力を愛する人にふるおうという存在に対しては、怒ってイイ。

 夏海まなつという人間。

 ローラの本当の「居場所」にして、おそらく第1話で女王様が言及していた「心の中にきらめく太陽を持った人間」。

 これは、どんな異質にも条件なしであたたかく光を注いでいる感じは「太陽」のイメージと合致しますし、前述した今話の「ちょっと幻想的な太陽の光が降り注ぐある日」のシーン(まさに、「ローラの居場所」のシーン)がドンピシャで太陽の光の描写から始まっていますから、


夏海まなつという主人公=太陽のように誰にでも「居場所」をつくれる人


 ……という解釈はけっこう有力そうです。

 そんな夏海まなつを守るために、ローラ、プリキュアに変身。

 プリキュアシリーズ的なイメージとしては、『ハピネスチャージプリキュア!』第22話(感想)の、氷川いおな、キュアフォーチュンに再変身……が近いです。

 自分自身が希望(プリキュア)になると再変身したいおなさんのような方向で、夏海まなつという「居場所」が失われそうなのだとしたら、自分自身が夏海まなつの「居場所」(=「境界」領域者)にならんとばかりに、プリキュアに変身。

 「海」という人間・夏海まなつという存在には素では厳しい環境を、まなつを守りながらぐんぐん泳いで、キュアラメールは海と空の「境界」を一気に突破。

 客船の上という、まなつが生存可能な領域まで連れ出して、目覚めたまなつにたいへんに優しい表情を向けるローラのところが感動的です。ろ、ローラ、ふだん我が強い感じなのに!

 「人魚でプリキュア」という、謎の地球を救う概念(え)の活躍で窮地を脱し、みんなで陸に帰ってみると、ローラに足が。

 でもここはもう、陸にあがるのに条件づけを求められたアンデルセンの『人魚姫』の世界ではなく、ナチュラルに誰にでも「居場所」を照らしている夏海まなつがいる2021年の世界。

 人魚で足がないなら合唱をしようか。

 なんか足が生えたのなら、それはそれで(次回以降)。

 別に、どんなローラでもイイと、前回既にまなつさんが言っていた。

 まずは、まなつさんの周囲からだけかもしれないけれど。

 紫色のチューリップが好きな人も。

 虫が好きな少年少女も。

 足がないローラも。

 足があるローラも。

 その人が、とくに何の条件も求められずに、本来の「ありのまま」でいられる「居場所」がある世界が、始まっていこうとしているのでした。

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→前回:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第16話「魔女の罠!囚われたローラ!」の感想へ(ネタバレ注意)
→次回:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第18話「歩くよ!泳ぐよ!ローラの初登校!」の感想へ(ネタバレ注意)
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