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 相羽です。

 『トロピカル〜ジュ!プリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第44話「魔女の一番大事なこと」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 ローラが初めてプリキュアに変身する第17話の頃に、深く(テーマとして)物語に組み込まれていた部分でしたが。

 本作において、アンデルセンの『人魚姫』をバッドエンド的に解釈している箇所。


参考:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第17話の感想〜ありのままの自分でいられる「居場所」をくれた愛する人を守るという2021年の『人魚姫』(ネタバレ注意)


 姫は「歌声」を差し出し、「足」をはやさないと人間の「共同体」に受け入れて貰えなかったのか? 己の本質を放棄しないとこの世界に「居場所」はないのか? 問題が、『トロピカル〜ジュ!プリキュア』という作品の大きな縦軸の物語、あとまわしの魔女の物語にも深く関わってくるカタチとなっておりました。

 あとまわしの魔女が抱えていた問題は、


・ローラの「人魚」だから人間の「共同体」に受け入れて貰えないんじゃ?

・涼村さんごさんの「紫色のチューリップが好き」だからマジョリティ(「赤いチューリップが好き」)「共同体」に受け入れて貰えないんじゃ?



 といった、個別キャラクターのストーリーでそれぞれが抱えていた不安と同質のものでした。

 つまり、


・「破壊衝動」を本質として持っている自分は、人間「共同体」に受け入れて貰えないんじゃないか?(アウネーテと友だちになることはできないんじゃないか?)


 ストーリー全体を通じて、まさに『人魚姫』的な問題意識で、マイノリティ的な素性が本質である自分は、マジョリティ的な「世界」に「居場所」はないのではないか? ……問題が縦軸として一貫して描かれていた作品だといえそうです。

 この問題、この不安に対して、あとまわしの魔女はキュアオアシスと向き合うことを「あとまわし」にすることで回避しようとし続けていました。

 ローラが、まなつたち(「トロピカる部」)はなんであれ自分を受け入れてくれると信じて、わりと即・決断でプリキュアに変身したのとは対照的に。

 第17話で夢として描かれている「ちょっと幻想的な太陽の光が降り注ぐある日に、「トロピカる部」の面々とローラがありのままで語り合っている」風景が、一種の「居場所」としての「理想共同体」で、マイノリティ的な本質を持ったものでも、気軽に「い」られて「トロピカれる」場所・風景なんでしょうね。

 あの世界のようには、あとまわしの魔女は世界を、人間を、そしてキュアオアシスを信じられなかった。

 足がなくても一緒に合唱できるさ、ペディキュアが足のつめに塗れないなら手のつめに塗ればイイさ、という優しい世界を、あとまわしの魔女は信じられなかった。キュアオアシスも、信じさせてあげられるだけの(まなつが持っているような)「太陽性」が十分には至れなかった。そんな二人の、バッドエンド的な前日譚。

 バッドエンドをハッピーエンドに変えるためにどうするかですが、既にローラやさんごさんの物語で、この問題は解決しています。

 「太陽性」と表現しましたが、「居場所」になれるという夏海まなつさんという人間の特性も大きいのですが、もっと大事なこと、近年のプリキュアシリーズ的には、やはりリソースです。


参考:プリキュア雑記(2013年9月5日/テーマが光り始めるこの時期)


 キュアオアシスは、一人だった。一人であとまわしの魔女の「居場所」にはなり切れなかった。

 一方で、「トロピカる部」は複数です。しかも「トロピカる」は、「トロピカる肉体と精神」を通して周囲に伝播する性質を持っています。ここが、前日譚のアウネーテとあとまわしの魔女のバッドエンドと、まなつさんとローラのハッピーエンド(になる予定)を決定的に分けていると思われ。

 ある意味、キュアオアシスは自分の限界を悟り、時を超えて仲間を呼んだ、リソースを追加したともいえます。長い時間がかかったけど、まなつたちが来てくれた。あまりにもどうしようもない問題には、世代を超えてたくす……という感覚は、僕ももうイイ年齢なのでだいぶ分かります。

 「破壊衝動」という己の(ひとつの)本質を振り回すあとまわしの魔女の攻撃を、首だけ動かして全部よけて魔女を抱きしめるまなつさんがひたすらカッコいいです。アンデルセンの『人魚姫』からもう何年経ったと思っているのか、この「世界」に「居場所」は、もうある。

 ローラが、「人魚」性と「人間」性を両方備えた「両義」性を獲得して、どうやらそれが作中善となっていたように、もう一つは、いっけん自分の本質だと思えたことにも、こだわらない大らかさというのも大事なものとして描かれていた作品だったと思います。

 あとまわしの魔女は、「破壊衝動」こそが自分の本質だとこだわり過ぎていたフシがあります。さんごさんが新たな「カワイイ」を取り入れていったように、みのり先輩が文筆からいったん離れて太極拳とかはじめてみたように、あすか先輩が百合子先輩としばらく距離をとっていたら、なんだかタイミングで仲直りできたように、あまりに「原理主義」的であるよりは、(自分とはこうだ! みたいな)こだわりを手放して他者へ開かれている態度こそをイイんじゃない? と描いていた作品だと思います。

 そんな感じで、あとまわしの魔女様の本質は「破壊」なの! というある意味「原理主義」のバトラーがラスボス化して、最後の敵に。

 「原理主義(こだわり)」のバトラーVS「他者性に開かれている(人魚と人間両方やったってイイし、破壊の魔女とプリキュアが友だちになったってイイ、的な大らかさ)」のプリキュアたちの、最終対立項です。

 ちゃんと、1VS2(を起点とした多様的、曼荼羅的w概念)の対立になっていて、往年のプリキュアシリーズ的にも綺麗な最後の戦いという感じです。

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→前回:トロピカル〜ジュ!プリキュア/感想/第43話「潜り込め!深海の魔女やしき!」(ネタバレ注意)へ
→次回:トロピカル〜ジュ!プリキュア/感想/第45話「やる気大決戦!輝け!トロピカルパラダイス!」(ネタバレ注意)へ
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