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『トロピカル〜ジュ!プリキュア(公式サイト@東映/公式サイト@朝日放送)』最終話「トロピカれ!わたしたちの今!」の感想です。
ネタバレ注意です。
第17話でローラの夢として描かれた(ローラが「人魚」のまま参加できる)「合唱」と、最終回の今話の「劇」は対応関係にあります(舞台の上で行う文化的・虚構的営みという共通点があります。)。
第17話の「ちょっと幻想的な太陽の光が降り注ぐある日に、『トロピカる部』の面々とローラがありのままで語り合っている場面」は、ローラは「人魚」という己の「本質」のままでいられるような、さんごさんも「紫色のチューリップが好き」という己の「本質」のままでいられるような。そのような、「マイノリティ的な立場の存在でも、己の『本質』に制限を受けないまま、そしてアンデルセンの『人魚姫』のように代償として何かを差し出さなくても、受け入れてもらえる」理想的な「共同体」として描かれていました。
参考:『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第17話の感想〜ありのままの自分でいられる「居場所」をくれた愛する人を守るという2021年の『人魚姫』(ネタバレ注意)
そんな、第17話時点では「夢」の中の「合唱」として描かれていた「理想共同体」が、最終回では「劇(虚構)」の終わりに「現実」として出現します。
ローラが、人魚としての本当の名前、ローラ・アポロドーロス・ヒュギーヌス・ラ・メールを彼女が当初所属していた海の「共同体」とは異なる陸の「共同体」へ向けて、世界に向けて公開。
ここで、最初の出会いの時にまなつはローラの名前を聞かなかったために「離別」というバッドエンドになった(そのことをまなつはずっと後悔していた)前日譚とルート分岐します。今回は、名前も、「人魚」という己の「本質」も、全部オープンだ! 全部、伝えておくぞい!
かくして、「破壊」という己の「本質」にこだわり過ぎたためにアウネーテさんとの関係がバッドエンドになった魔女様の物語から時代を超えて前に進むように、「人魚」という己の「本質」にこだわらなかった(ローラは気軽に「人間」になったり「プリキュア」になったりする)ローラは、逆説的に己の「本質(=人魚)」を全部オープンにしたまま、まなつはもちろん友だちみんなといっしょにいられるような「理想共同体」を一時とはいえ「現実」に出現させるのです。
人魚! 人魚! に・ん・ぎょ!ア ソーレ!
人魚式のブレイクダンスか何かなのか、上下逆さまでぴちぴちするローラ。ノリとしては先週の「トロピカルパラダイス」と同じで、いちおう真面目な意味合いとしては「『本質』にこだわりすぎないような大らかさ/ゆるやかさと、どんな存在であれ(それこそ魔女様であれ)受容してくれそうな愉快なノリに包まれていて、物語のフィナーレ感がある」といった感じです。
しかし、そんな一時出現した「理想共同体」にも、終わりはくる。このままローラがグランオーシャンに帰ったら、それは誰も覚えていない、「夢」と同じ類の「共同体」になってしまいます。
ここで、物語の最後の課題として、「ローラの記憶問題」が立ちふさがってきます。
そもそも、人間と関わった人魚の記憶を消す掟、および装置は、「さびしさから記憶を消す道具をつくった」とのことで、根底には、人魚と人間の寿命差が問題としてある。つまり、異なる価値観・「本質」を備えた「共同体」と「共同体」が触れ合った場合、悲しいことしか起こらないのか? が問題の本質です。実際、まなつとローラの(象徴的な意味合いでの)前日譚的な位置づけのアウネーテさんと魔女様の関係は、前々回浄化はされたものの、基本的には悲しいバッドエンドのお話として捉える類のものでしょう。
バッドエンドにある根幹、ある意味、この「ローラの記憶問題」こそが本作のラスボスです。
異なる「共同体」を背景に持つ者同士が、己の「本質」をオープンにしながら、代償を払わないでもいっしょにいられるような、「理想共同体」は幻に過ぎないのか。
「ローラの記憶問題」を超える=「共同体」の差異は越えられないのか? 問題を超える……という試みが最後に描かれます。
前々回の感想で、アウネーテさんと魔女様の関係がバッドエンドに終わったのは、アウネーテさんが一人だったから、リソースが足りなかったから、ということを書きましたが。
結論として、問題解決の決定打となったのは、やはり「リソースの追加」だったのではないかと。
「この『今、一番大事なことをやる』という本作の物語全体が、(まなつとローラの)記憶のバックアップリソースを、追加していく過程だった」というすごい構成が最後に明らかになります。
ローラがグランオーシャンに帰ると、まなつさんとか真っ先に(ローラのことを)忘れてしまう、さんごさん、みのり先輩、あすか先輩といった仲間たちも忘れてしまう、街の人たちも忘れてしまう……と、これだけバックアップリソースがあっても、「さびしさから記憶を消す道具をつくった」という類の「共同体」と「共同体」が出会う悲しい側面を超えることはできないのか……というところで、
最後のリソース。チョンギーレさんやヌメリーさんやエルダが、グランオーシャン「共同体」でもなく陸の「共同体」でもなく、謎の第三者的な「共同体」である彼・彼女たちだからこそ、まなつとローラの関係について覚えてくれていた、という逆転が炸裂します。
みんな忘れてしまっていたが、チョンギーレさんやエルダが覚えてくれていた!
……展開には、
『ドキドキ!プリキュア(感想)』で「幸せの王子」理論がついに一般人である早乙女純くんに届いて立ち上がってくれた時、『Go!プリンセスプリキュア(感想)』で一般人の七瀬ゆいさんが「絶望の檻」を破った時、などとの同種の感動がありました。
しかも、この展開には、「トロピカる」活動は、やってるその時は意味とか意義とか分からない、という本作の特徴も見事に反映されています。「今、一番大事なことをやる」と、チョンギーレさんとかとやる気パワーを取り戻すために戦っていたけど、それがまさか最後の切り札になるとは、トロピカってる当時(戦ってる当時)は全然予期しなかったぜ……というお話です。
そして、魔女様は「破壊」だけじゃなかった……という側面もこの展開からは読み取れます。魔女様がいなかったら、チョンギーレさんたちとローラたちが知り合うこともなかった訳ですから、最後の逆転は決まらなかった。「破壊」は魔女様の「本質」ではあったのかもしれないけれど、「破壊」の「本質」がもたらすのはやはり「破壊」だけなの! という凝り固まった話(前々回の感想では「原理主義」的と書いたりしました)ではやはりなかった。
神話方面的にも物語論的にも「破壊」は「再生」の前段階という側面があります。「破壊」の衝動に翻弄された魔女様の「あとまわし」が、最後の「今、一番大事なこと」を(記憶を)「再生」するための切り札になる、という、両義的というか、ちょっと仏教的(え!?)な展開です。
かくして、「波打ち際」という「境界」領域を舞台にしつつ、ローラとまなつの記憶は戻りました。
アンデルセンの『人魚姫』ラストの「泡」は、それこそ「泡となって消える」的な「消滅」の記号だと思うのですが、本作ラストの「泡(シャボンピクチャー)は「消えないものもある」という記号表現になっているのが、『人魚姫』文脈の作品としても見事だな〜と思ったのでした。
表面的にはアクアポットが記憶を守ってくれていたのかな的にとれますが、まあ、その時その時の全力の「トロピカる」今を、「世界」が覚えてくれていたんだろうな。
「トロピカる」な今は、その当時は何の意味があるのか分からなくても、積み重なって必ず力になる。「今、一番大事なことをやる」の積み重ねが、実は一番超えなくてはならない課題を超えるために必要だった「リソースを追加」する営みだったんだ! というがごときシリーズ構成です。
「共同体」と「共同体」(と結びついている、それぞれの「本質」と「本質」)の「境界」を超えることなんてできないんじゃないか、という偏見やこだわり、原理主義的な思い込み、などなどの象徴であったであろう、真のラスボス的な位置づけの記憶消去装置も爆散です。
これにて、
上述のように、
「ローラの記憶問題」=「共同体」の差異は越えられないという思い込み、こだわり、原理主義的な外に開かれていない態度、非「他者性」
……といった最後の課題だったわけですから。
課題は、突破しました。
「共同体」と「共同体」の、「境界」も突破です。
第16話の感想時点で書いていた、
参考:トロピカル〜ジュ!プリキュア/感想/第16話「魔女の罠!囚われたローラ!」(ネタバレ注意)
世界に押し付けられる「条件づけ」を無効化して、本来の自分のまま(精神的にも物理的にも)自由に「境界」を移動できる存在=プリキュア
という本作におけるプリキュアの定義は、けっこう当たっていたと振り返ってみて思います。
ローラとまなつの再会後、「トロピカる部」的な、「共同体」と「共同体」の間でも己の「本質」を保持したまま、代償を払ったりしないでありのままでいられる「居場所」が世界に広がってゆくのかもしれない。魔女様の頃(アンデルセンの『人魚姫』の頃と仮定すると、200年前くらい?)には無理だったのだけど、今なら、これからなら、そういう「居場所」は広がっていくのかもしれない。
そんな、希望と余韻を残して……。
そして、近年は最終回恒例のメタ演出ですが、「境界」を超える……のは作品と作品の「境界」をも超える……ということで、次作『デリシャスパーティ プリキュア』の怪奇・ごはん娘(え)こと、和実ゆいさんが登場。
登場するなり、「大っきなおむすび」にかじりつこうとします。
その大っきなおむすびの正体は、まなつさんでした! という展開も素朴に受け入れるタイプの子です。エネルギー源がお米ですからね。その程度の出来事では動じません。
そのまま和実ゆいさんは駆け出すと、新・プリキュア、キュアプレシャスに変身。
「境界」は繋がって、「次」へ。
「プリキュア」という「境界渡航者」は、「作品」の「境界」を彼女の「本質」を保ったまま、とくに代償を払ったりもせず超えて、「次」の「作品」へ。
来週から始まる『デリシャスパーティ プリキュア』は「ごはん」がテーマということで。
個人的に介護の活動の延長で、ここしばらく美味かつ心身に調和をもたらす料理を目指して研究しております。
今年はこのブログで書いてるプリキュア感想記事の中で、料理に関するサイエンスと哲学、時にレシピそのままなども書いていったりしようかな〜と思っているので、興味がある方はよろしくです〜。
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『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第1話〜第7話の感想〜がっかり三人衆(さんご、みのり、あすか)をローラとまなつが元気にしていく序盤(ネタバレ注意) - プリキュアの感想ブログ―The Girlls Fiction Fan Blog(GFFB) https://t.co/PPdc9pf8u6 …ブログ更新です。 #precure #トロプリ
— 寂しいシロクマ(相羽裕司)/仙台市太白区 (@sabishirokuma) April 17, 2021
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→前回:トロピカル〜ジュ!プリキュア/感想/第45話「やる気大決戦!輝け!トロピカルパラダイス!」(ネタバレ注意)へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)
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