相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第2話「さようなら、ゆい…!マリちゃんの決意」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 結論からいうと、本作は価値観が多様化したり、コロナ禍でディスタンス(距離)が常態化しはじめたりして「バラバラ」になってしまった現代の人々が、「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」というそれでもまだみんなが共通して持っている記憶という旗印のもとに、再び集まってくる、「再集合」する……というコンセプトの作品であると思われます。

 詳しくは、第1話の感想で書いているので、よろしくです。↓


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)


 この、「バラバラ」になっていたものが再び「集まる」という要素を、今回の第2話では、主人公のゆいとローズマリーがいったん別れ(「バラバラ」となり)、でも再び合流する……という流れで描いておりました。

 そして、表面的なゆいとローズマリーがいったん離れて、また合流したという展開の中に、何重もの象徴表現を織り込んで、全体としてたくさんの作品のエッセンスを表現していました。

 まず、ゆいとローズマリーは今話のお話の尺の中で描かれた「代表者」で、代表の背後には、隠れた「三人」という絵が浮かび上がるように組み立てられています。

 「三」は、明らかに本作で重要な意味を持っている数字です。

 おむすび、キュアプレシャスの必殺技のトライアングル……などなどと、主人公のゆいがなにかと「三角」モチーフなのもそうですが、少し飛ばした第1話から推定した「デパプリでは三角関係を描く説」は、こちらの二つのツイートのツリーに書いてありますので、興味があったら読んでみて頂けたらと思います(第1話は5回観ました……)。↓


 まず、「近景」の「三人」は、言うまでもなく、現時点でプリキュアになると発表されている三人、和実ゆい、芙羽ここね、華満らんの三人です。

 この三人は、全員今話にも出てくるのですが、ここねはコスメショップ(かわいいもの)、らんは食べ歩きのインスタ(のようなもの)、と、それぞれの興味のもとで異なったものを見ており、今話時点では、まだ「バラバラ」です。

 特にここねは第1話では一人車の中という「閉じた」場所にいるのが表現されており(第1話では、ブンドル団の捕獲用の缶、オムライスショップの扉、デリシャスフィールドという閉鎖空間……などなどと、「閉じた」もので「分断(バラバラの状態にある)」を表現していました。)、ゆいやらんと違う場所にいる、というのが強調されています。

 そんな、第2話時点ではまだまだ「バラバラ」の状態の、ゆい、ここね、らんの三人が、「ごはん(および幸せな記憶)」の旗印のもとに「再集合」していくお話が、ひとつ「近景」の物語としてありそうだということです。

 一方で「遠景」の物語とは何か?

 「遠景」の「三人」とは誰なのか?

 「遠景」とは、物語の前面に出てくるストーリーではないので、視聴者と近い感じではないのだけれど、遠くの方に描かれているストーリーで、でもちゃんとストーリー全体として意味をもってくる物語上の景色、くらいの意味でありますが。

 これは、ローズマリー、フェンネル、OPのクッキングダムサイドのカットインに映っているまだ顔が隠れている三人目、の「三人」です。

 OPのこのカットは、上記の「三角関係を描く説」があながち妄想じゃないのかもと思えるくらい三角関係チックでもあるので、ぜひもう一度観てみて頂けたらと思います。

 今話および、第一話冒頭で描かれている、ローズマリーとフェンネルの何かぎこちなさそうな描写から、こちらの「遠景」の「三人」も、現在何らかの意味で「バラバラ」の状態にあると推定されます。

 今話のキーになっている「壊れたデリシャストーン」は、かなりストレートに、この人間関係が壊れた、「バラバラ」になっている、というのが象徴的に表現されたものであると思われます。(あと、デリシャストーン、今回壊れたのを強調されている部分の他にも、もともと半分になった欠片のようなデザインのような? つまり、現在ローズマリーが身につけているのはバラバラになった半分で、全体版のようなものが存在する?)

 こちらの「遠景」の「三人」も、ここから今は「バラバラ」であるけれど、(おそらく)「記憶」を媒介にして、再び「再集合」していく……という物語が描かれそうな予感がします。

 「記憶」を媒介にすると言っているのは、今回「師匠」に言及されているので、これは、ローズマリーとフェンネルともう一人の、共通の「師匠」なのかな、と。ゆいが「おばあちゃん」の「記憶」を大事にしているのと対応するようになって綺麗なので、こちらの三人は「師匠」の「記憶」が何か鍵になるのかな? という気がしたりしております。

 ざっと、


●近景:ゆい、ここね、らん

●遠景:ローズマリー、フェンネル、まだ顔が隠れているもう一人



 という構図で。

 今回の第2話は、それぞれの代表者であるゆいとローズマリーが、いったん「バラバラ」になり、また「再合流」するという流れを通して、「近景」と「遠景」がふたたび「集まる」という物語上の示唆や暗示を描いていたものと思われます。

 そんな、「近景」のゆいと、「遠景」のマリちゃんとを、「再合流」させるきっかけになったのが、やはり「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」の象徴である、ゆいのおばあちゃんの言葉です。


 「この世で一番強いのは。誰かのためにがんばる心なんだ」(和実ゆいのおばあちゃん)


 ゆいが口にするだけじゃなく、わざわざローズマリーにも台詞として言わせて、二人が「同じものを共有している(共有できる)」ということを表現しているので、まず間違いなく、この言葉・この精神が、今話における二人、およびこれから先における物語で出てくるであろう「バラバラ」になった人たちを、「再集合」させる旗印となるものであると思われます。

 実際、ざっくりとは「他者愛」だよ、ということを言っている言葉なので、「バラバラ」から「再集合」に向かうには、相性がよい言葉です。「再集合」していくにあたって、「他者」を尊重する態度は大事であると思われますので。


 「その言葉を、私は信じてる。だから絶対できるって信じている」(キュアプレシャス)


 表面的には、レシッピッピを助けることができると信じているという意味ですが、大きくは、作品テーマ上、「バラバラ」になってしまった現代の人々が、「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」というそれでもまだみんなが共通して持っている記憶という旗印のもとに、再び集まってくる、「再集合」できるということをプリキュアは信じている、という、作品の所信表明的な台詞であると解釈することができそうです。

 かくして、いったん「バラバラ」になったゆいとローズマリーは今話で「再合流」し、「昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出」の象徴のひとつ、「からあげ」を取り戻しました。

 狼煙は上がりました。

 ゆいと、ここねと、らんの「近景」の三人も、もう一度集まれるって信じている。

 ローズマリーと、フェンネルと、今はまだ顔が見えないもう一人の「遠景」の三人も、もう一度集まれるって信じてる。

 「近景」の三人と「遠景」の三人も、もう一度集まれるって信じてる。

 というか、現代に生きている人々、みんなみんな、もう一度集まれるって信じてる。

 作品のキャッチコピー、


 ごはんは笑顔 みんなあつまれ! いただきます


 がカッコいいです。

 「バラバラ」になったあの人も、この人も。あの「国」も、この「国」も。女も、男も。子供も、大人も。

 「ごはん」の旗印のもとに、もう一度「再集合」です。

 今年も、大きなストリームが始まってゆくのでした。

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