相羽です。

 『デリシャスパーティプリキュア(公式サイト@東映公式サイト@朝日放送)』第3話「コメコメのおつかい!まいごで大騒動!!」の感想です。

 ネタバレ注意です。
 ◇◇◇

 結論からいうと、「再びつながりたい気持ち」を心の奥底では持っていながら、カレーを素材からみんなで一緒に料理して食卓を囲むゆいたちとは対照的に、今話時点ではニンジンをコメコメにお金を仲介して渡すことしかできない芙羽ここねと、「カレーは買って帰るか」とお金でカレーという結果だけを持ち帰ることしかできないジェントルーとが、同じカテゴリに属しているキャラクターとして重ねて描かれています。

 (今話時点での)芙羽ここねとジェントルーとで共通しているのは、何なのか。

 前提として、本作は価値観が多様化したり、コロナ禍でディスタンス(距離)が状態化しはじめたりして「バラバラ」になってしまった現代の人々が、「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」というそれでもまだみんなが共通して持っている記憶という旗印のもとに、再び集まってくる、再集合する……というコンセプトの作品です。

 となると、「再集合」の反対だから、「孤立」かな? とも思うのですが。

 実際、第1話では車の中という「閉じた」場所にいるここねが印象的に描かれていますし、第2話でも、ここねは「閉じた」コスメショップの中から出てくるとゆい(という「閉じた」ここねの世界の外の他者)とニアミスする……という描写です。今話ラストのここねが独りで夕食をとる描写がトドメを刺します。明らかに、物語序盤では「孤立」要素を持っているキャラクターです。

 一方ジェントルーも、もう雰囲気からして「孤立」要素は持っていそうなキャラクターです。少なくとも、「ブンドル団」ではセクレトルーさんと楽しく食卓を囲んで食事をとっているという感じではないでしょう。

 というわけで、


 芙羽ここね=ジェントルー=「孤立」


 という要素はまず間違いなくあるのですが。

 事態は、それだけにとどまりません。もうちょっと深い事柄を、『デリシャスパーティプリキュア』では第3話時点で既に描き始めています。

 そのあたりをとらえていくには、そもそも「ブンドル団」って何なの? という話が大事になったりするのですが。

 ここから先は、『デパプリ』の話以外にも、現代の時代背景とかも知ってみたいという方だけ読んで頂ければ、よい話となりますが。

(特に僕のオリジナルの見解というものでもなく、評論や学問の世界で語られていることを、ざっくりとまとめてみた程度の話となります。)

 まず、第1話の感想記事の中盤で、「現代とは『大きな物語』が喪失した時代である」という話を書かせて頂きました。↓


参考:『デリシャスパーティプリキュア』第1話の感想〜今日、大ごはん共同体が生まれた(ネタバレ注意)


 で、第1話の感想記事中では、「大きな物語」がなくなってしまうと、価値観がバラバラになって人間は分断されてしまうんだよ……という文脈でこの話をとりあげさせて頂いたのですが。

 「ブンドル団」のこと、および、ジェントルーと芙羽ここねというキャラクターのことを理解していくのならば、もう一つ違う角度から、この「大きな物語」の喪失について考えておく必要が出てきます。

 つまり、「大きな物語」があった時代は、世界中の「力」は「大きな物語」に集中していたのですが……。

 「大きな物語」がなくなってしまったら、その集中していた「力」はどうなったのか?

 シンプルに考えたら、人間たちはバラバラになったのですから、「力」もバラバラになって、一人一人の人間に還元されたのかな〜なんて思ってしまうのですが。

 ところが、そうはならなかったのですね。

 一部の、めっちゃ「力」を持った人間と、大多数の「力」を持たない人々へと、「力」は分たれてしまったのです。

 これが、いわゆる「力」の「遍在」と「偏在」の話です。

 「遍在」と「偏在」は読み方的には同じ音ですが、意味的には、「遍在」は「あまねく(みんなに行き渡るという意味での)」で、「偏在」は「かたよる(一部の人に集中するという意味での)」で、違っているのに注意して頂けたらと思います。

 だいたい、ざっくりとはめっちゃ「力」を持った人間が1パーセント、「力」を持たない人々が99パーセントくらいと言われていたりします。

 昨今話題になっている「格差」にまつわる話というのは、こういうその状態にいたるまでの時代の流れを踏まえておくと、もうちょっと深いところまで理解できるようになったりします。

 で、『デリシャスパーティプリキュア』の話に戻りますと、「ブンドル団」は、レシピボン及びレシピッピという「力」を独占しようとしていますから、もう、あからさまにめっちゃ「力」を持った1パーセントを目指している集団なんですね。

(現段階では「目指している」状態で、現実のGAFAみたいに既にほぼほぼ独占している集団ではない、というのが、批評的には示唆的ですが、その辺りの話はまた機会を改めて書かせて頂きたいと思います。)

 一方で、プリキュアたちはレシピを「シェア」することで、「独占」された「力」を、残りの99パーセントの人たちにも、還元しようとしている……という構図なわけです。

 『デリシャスパーティプリキュア』は、「力」の「偏在」を志向する「ブンドル団」に対して、プリキュアたちは「力」を「遍在」に向かわせてバランスを回復しようとしている……という対立構造の物語なのですよ。

 で、となるとジェントルーは、今のところ「ブンドル団」に所属していますから、キャラクターの属性としては「偏在」側です。

 え、ジェントルーとここねが重ねて描かれているっていう話だったけれど、ジェントルーが「偏在」側って、芙羽ここねは何がどう「偏在」側なの? 何が偏っているの? っていう話となるのですが。

 はい。

 芙羽ここね、お金持ちなんですね。

 いわゆるリアルの方で言われている富の「格差」において、1パーセントの勝者側、(お金という)「力」が「偏在」している側の人間なのです。(実際は、リアルの方の本当の1パーセントの大金持ちみたいな、大金持ちオブ大金持ちまではいかない程度のスケール感で劇中では描かれていると思いますが。)

 そういう意味で、芙羽ここねも「偏在」側なんです。

 今話のここね。パムパムのことが気になったり、あんなにも心の奥ではこの全てがバラバラになった現代世界で「再びつながりたい気持ち」を持っているのに、コメコメにお金を仲介してニンジンを渡してあげると、コメコメは立ち去っていってしまう、ここねはまだ一人……という描写はけっこう切ないですよ。

 あれ? お金が集まる側にいるのに? 「力」が「偏在」している側の人間なのに、「再集合」できてない? 一人「ごはん」? 私は、何?

 というわけで、ここまで書いてきたことを踏まえると、構図としては、


 ジェントルー=芙羽ここね=「孤立」&「力」の「偏在」


 というのが、みてとれるかと思います。

 ここから! 次回、ここねが「再びつながりたい気持ち」を爆発させて(次回のサブタイトルに「想い」の言葉が入っている)、キュアスパイシーに初変身、世界がまた「再集合」と「遍在」へのバランスの回復へと向かうのですね。フライングでもう泣きそうですよ。

 今話時点で、ここね、こんなにも再びつながりたくてつながりたくて、でもつながれなくて、デリシャスフィールド(本作では「閉鎖」空間の比喩)でも外にはじき出されてしまって孤立して……からのゆいさんからのお姫様抱っこ(つながりの回復)ですからね。ここねのゆいへの気持ちも激重になりそうで(え)今から熱いです。

 で、じゃあ、問題意識として設定されてる「力」の「偏在」と「孤立」に対して、プリキュアたちのアプローチは何なのか、彼女たちがになっている要素が何なのかといったら、これが、作中でも何度も出てくる「シェア」による「遍在」への志向ってことですね。

 繰り返しになりますが、本作は価値観が多様化したり、コロナ禍でディスタンス(距離)が状態化しはじめたりして「バラバラ」になってしまった現代の人々が、「ごはん(=昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出)」というそれでもまだみんなが共通して持っている記憶という旗印のもとに、再び集まってくる、再集合する……というコンセプトの作品なので。

 コメコメが赤ちゃんの姿→子どもの姿……と成長していくという、擬似子育て要素が入っているのは、もう、もろに「子供の頃の楽しかった幸福な思い出」要素なんですね。それを、守りたい大事なものだと一つ描いている。

 カレー、子どもの頃に我々も食べましたよね。ギリギリ、「食卓でカレーで団欒」の記憶がある世代です。状況的には各人様々なれど、おおむね幸福な記憶だったのではないかと思います。

 その「昔、子供の頃にみんなで食事して楽しかった幸福な思い出」を今度はゆいが料理を作る側になって伝承していく……という流れなのですが、ここに「シェア」の概念が絡んでくるのですね。

 つまり、レシピボンとレシピッピを守ると、ハートキュアウォッチ経由でレシピがたくさんの人々に「シェア」されて、「レシピ」という(本作における)「力」は、「偏在(かたより)」から「遍在(あまねく)」に向かうわけです。

 で、人々があまねくカレーを作れるようになるので、あまねく「食卓でカレーで団欒」で「再集合」がとても大きい規模で実現できるようになっていくわけです。

 これが、第1話の感想で書いていた、大「ごはん」共同体構想的なものの、骨組みなのではないかと。

 無数のお家「食卓」の再生と、それらがネットワーク化されることによる大「ごはん」共同体再構築の試みなのでこれはけっこう熱くて、今話ラスト時点で、ゆい、マリちゃん、コメコメ、パムパムと、食卓に「再集合」したメンバーが既に第1話から増えていて、これはもう、どんどん集まってくる方式なのだろうと。

 プリキュアに変身すると発表されているここねとからんはもう集まってくるとして、拓海もくるでしょ? 今回書いたとおり、ここね=ジェントルーで同じ要素持ちなんだから、ジェントルーもきそうでしょ? と、このあたりは今から胸熱ギミックですよ。

 今作のキャッチコピーは、


 ごはんは笑顔 みんなあつまれ! いただきます


 です。

 集合の旗印となる「子供の頃の楽しかった幸福な思い出」には、「昔。プリキュアシリーズを観ていた頃の楽しかった思い出」も含まれています(だから、歴代シリーズのオマージュが多く、キュアプレシャスの変身バンクには歴代変身バンクのオマージュが多数取り入れられている。視聴者の集合場所への道しるべとなる記憶を表現しているから。)。

 全てがバラバラになって「力」は「偏在」し「格差」化した現在の世界で、どこまでもう一度人々は集まることができるのか。

 今年も、一つの作品からはじまるストリームの行く末に興味があるのでした。

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『デリシャスパーティプリキュア』第3話時点での考察のまとめ/togetter

→クッキング型セット



→コメコメ



→前回:『デリシャスパーティプリキュア』第2話の感想〜今はバラバラな三人と三人を結ぶ幸せな記憶から贈られる言葉へ
→次回:『デリシャスパーティプリキュア』第4話の感想〜親と分断された子ウサギに手を差し伸べられる自分になるということへ
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